レクイエムー禅的森田療法の夢の跡ー

2015/06/06

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敷地の端にあったツツジもなくなり、万寿禅寺との境界の白壁の塀が見える ( 5月16日撮影 )。

 

 

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5月中旬、病院のともらない看板灯もようやく撤去された ( 5月16日撮影 )。

 

 

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切断されてなお立ち続けていた樹木の根も抜去された。敷地内の地中で生きていた最後のいのちだった ( 5月25日撮影 )。

三聖病院の長い歴史の中で最も根性を秘めていて、最後の最後まで往生し尽くしたのは、ほかでもない、誰でもない、名もない樹木の根であった。

 

 

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一日の仕事を終えた人たちの、夕方の清掃作業 ( 5月25日撮影 )。

 

 

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更地になった敷地。隣接するマンション、スペース ・レアの3階から撮影。 何もないはずなのに電線が写っている。もしかして?

 

 

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元院長の宅地内の木が赤い花をつけた。

 

 

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赤い花は石楠花だそうである。 元院長宅に幸あれ。

 

 

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ここは本来東福寺の所有地。 向こうに見える建物は万寿禅寺とその右側にマンション、スペース・レア。 さようなら、三聖病院。 京都はもう梅雨に入った。

 

惜春─三聖病院の名残り─

2015/05/04

年度が終わる3月末をもって、法人が解散して病院は正式に廃院になると、当初は聞いていた。実際にそのような手続きがいつ完了したのか、確認できていない。

建物の解体作業は、年度を越えて延々と進められた。地上から消えゆく三聖病院の姿を最後まで見守っている方々がおられたことだろう。そのため、解体の進行状況を画像で実況的にお届けしてきた。

その解体も、大方は4月末に終了したようだ。しかし敷地の外、大通りに面して「三聖病院」の標識は今も残されている。また敷地内にも、未だに病院の名残りをとどめるものがある。

 

 

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門の内部、万寿禅寺に隣接する敷地の際に、解体工事の難を逃れて何本かの樹が残っている。そこにあったツツジが、樹の緑を背に一斉に鮮やかな花をつけた。もう5月である。

 

 

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重機。敷地内で大活躍した主役である。

 

 

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ダンプカーもごみの搬出に活躍した。

 

 

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ごみの山がなくなり、平らな更地になりつつある。

 

 

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病院のすべての建物は消滅した ( 敷地に隣接するマンション、スペース・レアの3階から望む )。

莫大な木片と宇宙塵は、ダンプで運び出された。木片は土に還り、宇宙塵も地球の土となるだろう。

修羅のごときものは銀河鉄道に乗って宇宙の果てに向かったと言われるが、定かな情報ではない。

「 自我神話化 ( Ich-Mythisierung ) 」した禅的森田療法 ( 宇佐療法 ) の神話は、いつまで続くであろうか。

 

 

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元院長のご自宅。私宅なので、同じ場所にそのまま存在している。

地上では、ここを聖地として、療法は今や「 自我収縮 ( Ich-Anachorese )  」した。

 

 

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解体工事も終わりに近づき、大通り側の遮蔽シートも外されて内部が見える。そこには、切られた樹がそのまま立ち続けていた。樹の近くにあった作業室は影も形も無くなったのに。

 

 

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外灯を兼ねていた「 三聖病院 」という大きな標識は、なぜか未だに残されている。

向かってその左には、万寿禅寺がある。三聖病院ゆかりの東福寺の塔頭、三聖寺が万寿禅寺に変身したという複雑な歴史を共有している。

現在は、北朝鮮出身の在日の方々の菩提寺になっている。

 

 

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万寿禅寺にある鐘楼は、東福寺の重要文化財である。

 

 

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万寿禅寺越しに、向こうに見える建物が、件のマンション、スペース・レアである。この最上階 ( と言っても3階 ) から、病院の解体作業を見守ってきた。万寿禅寺と、その後方にあるマンションは、いずれも病院の敷地に隣接しているのである。

 

 

 

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春が逝く。

ソメイヨシノと宇佐玄雄─こんな春があった─

2015/04/20

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満開のソメイヨシノを背景に、宇佐玄雄先生の銅像の姿があった ( 数年前の写真 )。こんな春はもうこない。

 

 

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ごみの山は少し削られたのかもしれない。この虚しい更地部分にソメイヨシノも銅像もあった。

 

 

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門の外のほとんど枯れた松の木が、雨の後で生気を取り戻したのか、急にまつぼっくりを蓄えだした。

山川草木悉有仏性。

 

 

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同上 ( 拡大 )。

入院第2期のように観察してみる。

 

 

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敷地後方のごみの山。

知る人ぞ知る、在りし日の病院の内部は、ピカピカに磨かれた廊下や便所とうらはらに、他の場所の多くはごみ屋敷同然だった。このごみの山に、変わり果てたごみ屋敷の最期の姿を見る。

 

 

 

 

春と修羅─山をなす宇宙塵─

2015/04/13

宇佐療法という宇宙の容れものであった建造物は、 「 文化財 」 として惜しまれた。

木造の建物は、木と土でできている。解体された分だけ、木片と土と瓦礫が混じったごみの山ができる。何もない更地の空間が、突然姿を現すわけではない。

宇宙塵とて、地上ではごみの山となるのが現実である。

 

 

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山をなす宇宙塵 ( 敷地前方から見る )

 

 

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同上

 

 

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同上

 

 

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山をなす宇宙塵 ( 敷地後方から見る )

 

 

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同上 。 ごみの累積で重機も動きを制限されている。

 

 

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ほとんど、ごみ ( マンション3階から撮る )

 

 

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異次元の宇宙は、新たな仕切りの向こうの建物空間 ( 元院長の私宅 ) のみへと収縮した。

 

 

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切られても、 「 いのち 」 がある。

 

 

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宇佐療法という名称は、当初は一部の人が皮肉をこめて使ったものだが、いつしかそれは、この療法を信奉する人たちにとっての誇り高き呼称となった。

宇佐療法と言う宇宙には修羅のごときものがいた。修羅のごときものは修養生の魂と交感し、修養生は修羅生となった。

今、ようやく修羅や修羅生の鎮魂を祈る刻が訪れようとしている。

 

フランス人は見た─閉院迫る昨秋の三聖病院─

2015/04/06

もう新しい年度を迎えました。

宇佐療法と言う宇宙だった三聖病院の敷地には、工事で吐き出された宇宙塵が積もり、一部の樹々と一部の廃屋は、未だに往生できずに取り残されていました ( 平成27年4月5日 ) 。

 

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時を遡り、閉院を2ヵ月後にひかえた2014年10月21日、この空間を訪れたフランス人たちが、その時の病院の姿をカメラにおさめて帰りました。そして、それらの画像の一部を Nyl ERB 女史 ( 精神分析家 ) が送り届けてくれました。その中のいくつかのコマを選んで、以下に提示します。

── 閉院前にフランス人のカメラにおさめられた三聖病院の姿です。

 

 

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脱いだスリッパを横に揃えて並べることは、フランス人にとっては奇妙な体験だったらしい。

 

 

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「立入禁止」

 

 

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看護詰所

 

 

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怪しい部屋に怪しい人物がいる。

 

 

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「努力即幸福」 ( 森田正馬の墨跡 ) の扁額。

 

 

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「非事実者非眞也」 ( 森田正馬の墨跡 ) の扁額。

 

 

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厨房とその事務室

 

 

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病院の玄関で。

 

 

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三聖病院のドキュメンタリー映画 ( 野中剛監督作品 ) に出てきた病院の階段。

 

 

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前庭の地蔵たちと、鯉のいた池。

 

 

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狸と、金魚のいた池。

 

 

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ここはトイレではないのだが。

 

 

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「心ほったらかし」

 

 

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「希望」は敷地の隅に置かれていた。

 

 

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池の金魚

春と修羅─存在と不在─

2015/03/30

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三聖病院は、あります ( 3月29日 )。

 

 

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平成26年12月27日の閉院を予告する平成26年10月1日付のお知らせが、今、門外に貼られている。去来今に非ず。

 

 

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三聖病院は、解体され不在となることによって、まさに存在している。

 

 

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仰げば、まだハクモクレンがいっぱい。もうすぐ散ってしまう。

 

 

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門のシャッター越しに見る風景。白い花びらが少し散っている。

 

 

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建物の背後に鬱蒼と並んでいた樹木がなくなり、工事用シートも外され、敷地の後方からの視界が良好になった。

 

 

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病棟が一挙に姿を消した。そこには多くの人たちが住んだ部屋があった。

その向こうに管理棟の一部が、虚しく存在を主張してまだ残っている。遠く、左側には第2診察室らしき部屋が見える。それは私たちが外来診療をした部屋。

 

 

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第2診察室を拡大して撮る。

 

 

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第2診察室を、さらに拡大。

毎週ここで診療していたので、若干懐かしい。窓の向う側の庭木を見通せる。実際にあった部屋より、この方が絵になっている。

 

 

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まだ敷地に残っている建物 ( マンション3階から撮影 )。右方に見える建物群の中に、厨房や浴室や便所がある。管理棟で感じるような空虚さは、ここにはなかった。

 

 

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窓が二つあるのはトイレ ( 女性用 ) である。洗剤 ( ?) が置いてあるのも見えて、生活臭が残っている。

便所はまさに存在していた。

 

 

春と修羅─最後に白い花が咲く─

2015/03/24

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白いあだ花が咲いた。

門の中の敷地の隅に残されていた白木蓮の木が、一斉に花をつけた。

 

 

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紅梅の花は散った。

花の命は短くて。

 

 

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門のシャッターの上から望む。

前庭にあった諸物や管理棟だけでなく、その後方にあった病棟の西側部分も消えた。敷地の向こう側まで見通せる。

 

 

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病棟の一部は無くなった。

その付近の工事用シートは外されたので、残る病棟部分が見える ( 敷地の裏側から撮影 )。

 

 

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マンション「スペース・レア」の玄関付近から、病棟の残された部分が目のあたりに見える。

 

 

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病棟の2階屋根上の登頂者たちの勇姿。健康そうな人たちだ。屋根裏の散歩者にあらず。

 

 

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瓦投げ。

 

 

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マンション3階より。

木がかなり無くなって、見やすくなった。敷地の半分は小さな野原になった。しかし、建物はまだ何棟か残っている。年度内に解体工事が終るのか、あやしい。

春と修羅─紅梅咲く─

2015/03/16

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最後の早春、門の外の紅梅がほぼ咲きそろった ( 3月15日 )。

 

 

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門のシャッターには 「監視カメラ設置」 と表示あり。少しものものしい。

ここでは、病院を懐かしむ人が、ときどきシャッターの隙間から中を覗いている。

私は地上から消え行く病院の姿を、こうしてカメラにおさめている。

 

 

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やや遠景になるが、道路からでもこのように内部が見えるのだ ( 3月12日 )。

 

 

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立ち働く人がいて、作業は進む ( 3月12日 )。ご苦労様です。

左下にわずかに見えるのは玄関の屋根だったらしい部分。

 

 

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管理棟はほぼなくなった ( 3月15日 )。正面に見えるのは病棟の建物。屋根の瓦が外された。

2階に窓枠が残っているが、そのひとつが、正馬先生の泊まった部屋にあたる。

 

 

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同上の写真の一部 ( 右上 ) を拡大。

 

 

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同上の部分をさらに拡大。これは管理棟の残骸の屋根裏なのだろう。

 

 

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病棟の向かって左端部分の、瓦がなくなった屋根と、1本だけ残されている棕櫚の樹。

 

 

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木にも仏性あり。

 

 

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マンション3階から。

アングルは同じで、奥行きがわかりにくいが、病院の中枢である管理棟はほとんど消滅した。

消滅しても 「 不生不滅 」 。ぎゃていぎゃていはらぎゃてい、はらそうぎゃてい。

 

 

 

春と修羅─あけられた風穴─

2015/03/09

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前庭には、既に銅像も鯉の池もソメイヨシノも何もない。

そしてそれは玄関から始まった (2月26日、門のシャッター越しに撮影す)。

 

 

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管理棟 (本館) の姿に変化あり (3月5日)。大穴ができた。

 

 

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同上。拡大して撮影。

 

 

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やや別の角度から見ると。

 

 

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同上。拡大して撮影。内と外の空気が通い合う風穴が気前よくあけられている。

 

 

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大きな風穴はあたかも 「空」 に通じる。色即是空、空即是色。3月7日、屋根の塵埃は雨に流されて。

 

 

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隣接するマンション 「スペース・レア」 の3階から見る (3月7日)。

 

 

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門の外側の小さな敷地にある紅梅は、無心に花をつけている。

 

 

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「売却物件ではありません」。東福寺の所有地であることを知る人は少ない。

解体工事の 「施主 大本山東福寺」 の表示は目立ち過ぎるのか、消えている。

 

 

『忘れられた森田療法』(創元社の出版案内)

2015/02/23

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 版元の創元社が、この本の出版案内のページを設けて下さっています(下記アドレス)。

 

 http://www.sogensha.co.jp/booklist.php?act=details&ISBN_5=11586

 

 刊行の月日は2月27日です(私はすでに2月20日付の刊行分を手もとに受け取っていますが、これは先行印刷分だったようで、創元社の出版案内では2月27日刊行となっています)。書店の店頭には、2,3日中に出るだろうと思います。

 本書の刊行は、偶然にも三聖病院の閉院と時を同じくしました。創元社はそれを考慮して、当初は3月3日刊行予定だったものを繰り上げて下さったようです。

 

 本書の「あとがき」から、そのような時間の流れを読み取っていただくことができますので、以下に「あとがき」の一部を抜粋しておきます。

 
 

 平成二六年の晩夏、秋の気配を感じながら、本書の「結び」の文章を綴りました。その中に私は書いています。「原法のシンボルのような古色蒼然としたたずまいの病院が終焉を迎える時、森田療法の世界には、ある種の喪失感が漂うかもしれません」と。

 「終焉」は、現実のドラマとして、既にその夏から静かに私の足下で始まっていたのです。三聖病院は、年末をもって正規の診療を閉じることになりました。それを知ったのは、一〇月の声を聞いてからのことでした。

(中略)

 本書が日の目を見る頃、長いお勤めを終えた三聖病院は、おそらくまだその外観をとどめています。しかし、予想外のことが起こらなければ、春の訪れを待たずして、病院は地上から姿を消す運命にあります。

 本書の表紙には、この病院内に長年の間掲げられていた森田正馬の肖像画を使わせていただきました。正確には森田正馬の写真の模写で、絵の裏面には、「森田正馬先生之像 昭和二十八年七月吉日 桐村義治 寫」とあります。先代の宇佐玄雄院長の時代に入院した、当時既に高齢だった桐村という画伯の作品です。六〇年余り前に寄贈されたもので、ご遺族の所在も不明にて、このまま使用して差し支えないと院長も判断してくれました。この絵が、京都における森田療法の歴史を思い出させる、ひとつのよすがになればと思います。

 また、関西の創元社が本書に理解を示して、出版を手がけて下さったことを望外の喜びとしています。かつて「生活の発見会」の命名にゆかりある林語堂の『生活の発見』が刊行されたのも、創元社からでした。このたび、本書が世に出るのは、とりわけ編集部の柏原隆宏氏から随時的確なご助言をいただいたお蔭であることを最後に記して、謝意を表します。

 

 平成二六年 師走に記す

 岡本重慶