森田療法のディープな世界(4)―森田療法における治療者の条件―

2024/01/27

森田正馬と宇佐玄雄の肖像(三聖病院の作業室に掲げられていたもの)
 

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4. 森田療法における治療者の条件
 
 堅苦しい題目を掲げたが、なるべく難解にならないように書き進めたい。
 
1) 森田療法は療法か。
 森田療法は、単に理論や技法をもってする療法ではない。その点で他の精神療法とは大きく趣を異にする。医師である森田が、悩み多き神経質者を対象に、自身の「療法」を創始したので、そのままひとつの精神療法として収まりがついてしまった。だが、このような収まり方は、森田療法というもの自体にとって違和感のあるものである。森田療法は、私たち人間が苦楽と共に生きていく生活そのもの、人生そのものである。ではこの「療法」において、治療することとされること、つまり治療者患者関係はどのようにして成立するか。同様に治療者が治療者たりうるために必要な条件とは何か。森田療法が「療法」ならば、これらはその本質にかかわるがゆえに、問いたいことである。
 
 森田が創始した本療法は、治療者の自宅という家庭的な環境に患者が受け入れられて、父権的な治療者の指導を受けながら生活を共にするものであった。このような治療の場では、おのずから治療者の全人格が患者たちを前にしてあからさまに発揮された。たとえば、森田は患者たちの目の前でほんものの夫婦喧嘩をして、患者たちに対して、自分と妻のどちらが正しいか言えと迫ったのである。そこでは、精神療法やカウンセリングで問題にされるような、治療者の自己一致(ロジャース)とか自己開示とかいうレベルを超えて、真に迫る生きざまが、あるがままに展開されていたのだった。しかし森田正馬の原法以来、それを継承する多数の人たちが、多様にかかわってきた中で、本療法は変遷を見た。したがって、治療者のあり方を改めて見直すべき時に来ていると言えるだろう。
 ものものしくなったが、以下、主に森田療法における治療者の条件について、思いつくことを取り上げてみる。
 

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2) 治療者は神経質者であることが望ましいのか。
 森田療法は、体験を通じて体得されるものなのであるから、治療者は神経質者として治療経験を有している人であることが望ましいとして、それが重要視される面がある。しかし、神経質体験が絶対視され、それが治療者の必須の条件のごとくみなされるならば、それは偏見と言うべきで、許容し難い。森田療法は必ずしも、神経質本位制のものではなく、人間本位制のものなのである。したがって神経質であることが森田療法の治療者の条件になるかという、よくある神経質な問い立てはほとんど用をなさない。では誰でも治療者になり得るかと言うと、問題はそんなに簡単ではない。
 人間本位制の面から、治療者のあり方を問題にすることはできる。それは、私たちの日常における人間同士の交わりで起こる現象と変わらない。厳しく鍛えて育ててくれる人がいる。優しく察して包んでくれる人がいる。こんな人たちとの交わりによって、私たちは生かされ、救われている。逆の立場になって相手にかかわることもあるだろう。これが日常における私たちの森田療法的な体験である。
 森田療法における治療者の条件は、日常の延長として、日常の中にある森田療法を、患者たちを相手に凝縮的に再現できる人たり得ることである。それが、森田療法家であることの人間的な必要条件であろう。もちろん、ここで治療者の全人格が問われることになる。
 

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3) 家父長としての治療者
 森田正馬は、自身が始めた療法を振り返って、自然療法、体験療法、家庭的療法などと称した。自然療法や体験療法という呼び方は、療法の中身を端的に表していて、わかりやすい。一方、家庭的療法という地味な名称は、注目されにくい。しかし森田の療法は、自宅に入院を受け入れて、家族の一員として同居させ、家庭生活を共にしながら、家父長である治療者が、妻の協力も得て患者らを指導したものであった。このような治療の方法や内容は、他に類を見ない出色のものであった。入院原法の方式の特徴として、よく知られていながら、当時の古き大家族制の文化の中で行われたことであったとして、歴史的に一線を画して捉える向きが多い。確かに文化的背景が大家族的な療法を可能ならしめたひとつの要因であったとは言える。しかし、森田夫妻は家族としてふたりきりであり、大きな建物や広い地所を入手して、そこに従業員や入院患者を受け入れて、森田は大家族的な入院治療を実施したのであった。森田のそのような意図と行動力は驚嘆に値する。単に家庭的療法という名称から浮かびそうな、ありきたりのものではなかった。入院治療の原型として、重要な場と構造があり、そして家父長であり師であり、生身の人間である治療者と家族同然の患者たちとの間に、生き生きとした交流が展開された。治療者の厳しさを母性的に補う役割を果たす森田夫人もいた。入院患者が加わって、結果として大家族的な集団となったのだが、この森田療法を過去のものとしてに葬ってはならないと思う。
 
 4期からなる入院森田療法は、一気に出来上がったものではなく、森田が工夫を重ねて完成したものであった。
 わが国では、落語などの古典芸能や相撲などの世界において、家父長的大家族的集団の中で、師弟関係を軸として、弟子が育成されてきた。森田がそれを念頭においたかわからない。さらには禅の世界での上下の人間関係がある。わが国におけるそのような人間教育の歴史から見て、森田の療法はそれらに通じる面がある。と共に、逆に森田ならではの独特の人間の生かし方がある。まず制度ありきではなく、森田という治療者と患者が、療法の中で一体になって進むところに、その本領があったと思えるのである。
 
 一方、西洋においても、古典的な人間教育があったし、近年の自由な教育もあった。古くは、ドイツに職業教育としてギルドの徒弟制度があり、それは現代にもマイスター制として継承されている。わが国の師弟関係の教育に近いものがあるから視野に入れてもよいが、森田療法は神経質の療法として創始された点で、単純に比較することはできない。
 また、西洋の新しい教育の流れとの関係で、自分の小さな体験を言うと、かつてフランスで森田療法を紹介したとき、あるフランス人が、森田療法は自由を重視するフレネの教育に似ていると言った。私は意味がわからなかったが、森田療法において、感じから出発して、外界へ向けて自分を自由に生かすところが理解されたのかもしれなかった。
 森田がイタリアのマリア・モンテッソーリの教育に関心を持ち、その影響を受けたことはよく知られている。モンテッソーリは、集団に入って行動できない障害のある子どもを、まずは外部から集団を観察させて、興味が募ってきたところで自発性を生かして、集団の動きに入らせるという方法をとった。これにヒントを得て、森田は第2期の患者をまずは第3期の作業から距離をおいて観察をさせ、自発性を溜めて、第3期へと入らせたのであった。
 

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4) 治療者の純な心
 森田療法における治療者の条件として、その全人格が問われることをすでに述べたが、人格の中心にあるものは、純な心であろう。そこで、純な心についてふれておきたい。
 森田は、純な心の重要性を繰り返し教えている。純な心という呼称は、森田の独自のものだが、それは本来人間にあまねくそなわっている心性であるとともに、森田療法の根源にある重要なものである。純な心は、人間誰にでもある。あるいは、あるはずのものである。しかしその原型は素朴であり、未熟な性質にとどまっていることもある。また、それは内在しているのだが、すなおに発揮されないこともある。森田の言うごとく、いわゆる初一念にあたるのだが、第二念、第三念が発生して、初一念を打ち消してしまうのである。このように、純な心はひとつでありながら、育てられて質的に純化していく面がある。
 古歌に曰く、
 「生まれ子の次第次第に知恵づきて 仏に遠くなるぞ悲しき」。
 これは、赤ん坊に授かった純な心とその行方を、嘆きながら見守っているものと解せよう。成長とともに純な心が、変質することもあるのである。純な心は実はこのように複雑で流動的なものである。そんな純な心を大切にし、体験を通じて育て、陶冶すること、それが森田療法なのである。
 かつて子どもたちは、老人から、「困っている人を見たら助けてやれ、弱い者いじめをするな、人に迷惑をかけるな」と教えられた。森田療法に等しい古老の教えであるが、そんな古老たちは今はいない。
 現代社会において、純な心を失わずに、生かすこと。それが私たちの課題になっている。複雑な人間関係の中で、他者の気持ちを察して援助をできる人であるためには、自分の側に他者を察知するセンサーとしての感受性がなくてはならず、また共感的に理解できる感性が求められるし、さらには状況判断力や行動力も要る。現代社会ではこのような条件が必要となる。しかし人間であることに変わりはない。心の内奥にある貴重なものとしての純な心を、失わずに生かすことが、私たちの最大の課題である。
 助け合う方がうまく生きていける。辛いことは耐えるしか仕方がない。でも辛さを分かち合って生きていけば、少しでも救われる。辛い相手を放っておけなくて、同行二人の道のりを歩む。
 悟るとか治るとか自覚するとか言うのは、純な心に目覚め直すことではなかろうか。自利と利他の区別すらない、未分の世界である。虚飾にとらわれたり、我欲にまみれたりたりせずに、すなおに生きる。それが人間の自由というものである。そのような生活に精一杯にいそしんでいる人たちが、私たちにとっての師であると思う。人生の苦楽をそのままに、自分らしく生きているその人たちは、森田療法にこだわっている私たちより、おそらく一歩先にいるのだから。