第35回日本森田療法学会(熊本)印象記

2018/07/05




 
   2017年11月に熊本大学で開催された、第35回日本森田療法学会の印象記を執筆させて頂いたものが、雑誌「精神療法」6月号に掲載されました。編集部の方から、私のような者に執筆のご依頼を下さったもので、責任を感じてためらいましたが、ニュートラルな立場を守って印象記を書いてみようと考え、思い切って引き受けさせて頂いたものです。
 
   この学会は、熊本地震から一年半しか経っていない昨年(2017年)秋にに熊本大学で開催されました。学会長をなさった保健センター教授の藤瀬昇先生や、神経精神科のスタッフの方々のご苦労は、並大抵のものではなかったようです。
   私はたまたま、パネルディスカッションや、歴史部門でも発表させて頂いた経緯から、藤瀬会長や事務局長の遊亀先生との接点ができて、学会を開催なさったご苦労を垣間見ることができました。通常、学会に参加しても、準備や開催の水面下のご苦労はあまり見えないものですが、陰徳のようなご努力がなければ、学会は成立しません。
   新約聖書のルカ伝に、マルタとマリアの姉妹の話があります。イエス・キリストが彼女らの家を訪れたとき、妹のマリアはキリストの語る言葉に聴き入ったが、姉のマルタは接待に立ち働いた。これについて、エックハルトは、生活の中の活動を通して神に仕えた姉のマルタの態度をキリストは嘉したとする解釈を示したとされます。これは、禅にも森田療法にも通じる実践だと思います。震災からの復興もまだ途上の熊本で、学会が成立したのは、準備に従事なされたスタッフの皆様のご苦労があったからです。まず、そのような視点から学会印象記を書いてもよいと思ったのです。 学術発表に対する印象や評価は、聴く者の主観によって様々に変わり得ます。これについては、自分の卑見に流れることのないように慎重になりました。そのため、複数の方々の意見をヒアリングして、自分の意見もまじえながら、まとめることにしました。
   「高齢者」と「トラウマケア」についての、二つの重要なシンポジウムについては、少し辛口のコメントをしてしまいました。これは、学会に出席なさった関西の知人たちを問い詰めて、意見を交わした上でのことです。二つのシンポジウムを高く評価させて頂いたのですが、折角の森田療法の立場をこそ大切にする、ということを私たちは重んじたのです。
   短文にまとめた印象記の拙文の背景を、ここに説明いたしました。
   その拙文は、以下でお読み頂けます。
   よろしければ読んで下さい。

第35回日本森田療法学会印象記