森田療法における自力と他力(Ⅳ)―倉田百三の天国と地獄(1)―

2019/12/07

『出家とその弟子』第三幕第一場。
(『日本戯曲全集』第44巻、春陽堂、1929)


 

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承前

 
8. 森田療法と真宗―森田正馬と倉田百三の関係に見る―
 森田療法と禅の関係についてはここで言うまでもないが、森田が親鸞を幾度も引用している通り、森田療法は真宗にも親和性がある。しかし、森田正馬と真宗との出会いの事情や、真宗が森田療法に取り入れられた経緯は、厳密に言うと不明で、不思議な点が残されている。それが判然としていないこと自体に不可解さがある。そのため、森田療法と真宗の関係について、著者または報告者が両分野に通じている人であることを条件として、資料を探索したけれども、それを満たす本格的な文献らしきものは、ほとんど見当たらなかった。
 
 尤も、森田療法が成立した大正期の文化的背景を視野に入れれば、両者が近くなった関係をある程度推測することは可能である。世はあたかも大正の親鸞ブームであった。そしてそのブームの中心にあったのは、「親鸞もの」に代表される大正宗教小説の流行であった。親鸞という聖人の心の中に棲む凡夫としての人間的な煩悩と葛藤を描いた文学が、デモクラシーに目覚めた教養者層の人たちに広く受け入れられたのである。
 この「親鸞もの」として最初に登場したのが、ほかならぬ大正6年に出版された倉田百三の『出家とその弟子』(戯曲)であった。引き続いて、石丸梧平の『人間親鸞』などが出たけれども、『出家とその弟子』は他の追随を許さず、倉田百三は一躍時代の寵児となった。この戯曲は昭和8年の京都大丸劇場での初演を皮切りに、あちこちで上演された。
 読む戯曲としてのこの作品は、何カ国語にも訳されて海外でも愛読者を得た。スイスから、ロマン・ロランは倉田に絶賛の手紙を送り、洋の東西を隔てても、原罪への自覚や大いなるものへの帰依は、キリスト教と仏教に通じ合うものであるという見解を示して、倉田に共感を伝えた。そのロマン・ロランは、宗教的感情を「大洋感情(le sentiment océanique)」と称して肯定的に捉えていて、そこには、他力、あるいは甘えにも通じるものがあった。この「太洋感情」は、自我を重視する立場にあるフロイトから、発達的に未熟なものとして批判され、両者が相容れなかったエピソードがある。ここに提起される自我と宗教感情の融合の問題は、それを持て余した倉田が『出家とその弟子』たちに悩みを預けた課題でもあった。そして登場者たちは読者に答えを委ねるという、たらい回しの作品であった。
 それを見抜くかのように、国内の文壇の一部からは、聖者にもある性欲の悩みを盛って宗教のレッテルを貼ったものに過ぎないと貶されたが、それにしてもこの作品は、大正期の人心に感銘を与えたのであり、倉田自身、時代精神の中で煩悶する青年を象徴する作家としての評価を得たと言えよう。倉田は実に大正の親鸞ブームの火付け役だったのである。
 


ロマン・ロラン


 
 かくして一躍有名人となり、若くして天国を経験した倉田百三が、やがて「神経質者の天国」に陥って、森田のもとを受診したのは昭和2年である。出世作を出して10年後のことであった。
 ところで、森田の著作を見ると、昭和2年の倉田との出会い以前には、真宗への言及らしきものはほとんどなく、倉田の来院を契機に真宗や親鸞を語り出している。森田は治療者として倉田を指導しながら、倉田に触発されて真宗への関心を深めていったと言えそうである。ただこの場合、倉田は思想的遍歴をしている途上の人であり、森田が接したのは、主に強迫観念に悩む時期の倉田なのであった。その後も倉田が形外会に参ずることはあり、自分が「はからい」の業を経た体験などを語っていた。
 
 しかし昭和11年の第62回形外会に参席した倉田は、変貌した自身の内面をのぞかせた。彼は自分の信ずるところがあって政治運動をやっていると言い、「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏で切って行く」というのはよい言葉である、と述べている。これを受けて森田は、倉田の著書の中に「『念仏申さるるようにやればよい。いやしくも念仏を申し得るならば、共産党のテロでも・ファッショでも構わぬ』という事がある。非常に感心しました」と応じている。実際に、この時期の倉田は、右翼活動に関わり出していたのであった。
 
 われわれは、森田療法と真宗の関係については、このような倉田と森田の間の、重大にして喜劇的な掛け合いから離れて、別の角度から見直さねばなるまい。倉田だけでなく、真宗の優れた学者や僧侶の識見にも照らして、森田は真宗を療法に生かしうる可能性を確かめる必要があった。もしそのような手順が不足していたのなら、大変遺憾なことであったと言わざるを得ない。
 
< 文献 >

  • 倉田百三 : 出家とその弟子. 角川書店、1961
  • フロイト(中山元 訳) : 幻想の未来/文化への不満. 光文社、2007

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