高知の夏フェス―森田正馬没後80年墓前祭&記念講演会―

2018/07/19


黄昏の三人。
高知駅前に並び立つ、言わずと知れた幕末の土佐の三志士。



 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      ♥

 

   7月14日、京都では祇園祭の宵山が始まる。観光客が集まる喧騒を逃れたくて、高知に行った。7月14日はフランスではパリ祭である。高知のホテルの部屋のテレビで、“quatorze juillet”(7月14日)のシャンゼリゼ大通りの行進を観た。翌15日は「高知が生んだ世界的精神医学者 森田正馬 没後80年 墓前祭&記念講演会」(長いけれど、敬意を表して略さずに書いた)が開催される。まあ、今風に略せば、森フェスか。さて森フェスの当日。暑いったらない。高知の太陽が、カンカン。禅の洞山和尚は「寒時は闍黎を寒殺し、熱時は闍黎を熱殺す」と言った。寒い時は寒さになりきれ、熱い時は熱さになりきれ、と教えたのである。熱中症になったら熱中症になりきれと言うのであろうか。カミュの『異邦人』の主人公、ムルソーが、太陽のせいで人を殺したと言ったのを思い出した。太陽になりきったら、そんなことになる。まあ、物事は極端はいけないと思う。で、多少のキセルをしながら出席した。
 


記念講演会の前に、高知追手前高校吹奏楽部の演奏が行われた。



 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      ♥

 
   県立追手前高校の前身は、森田が卒業した旧制中学なので、つまりこの高校は森田の母校にあたる。無難な曲が演奏されていたので、私の音楽脳にはあまり響いてこなかった。洋ものの曲より、日本が生んだ名曲の演奏をなぜしないのだろう。ど演歌でも結構だ。
   いくつかの講演あり。没後80年の記念行事なので、文化講演会の色彩が濃くなっても仕方がないとは思う反面、生家をどのように生かし、どのように保存するかについて、具体的な報告がなされなかったことは、残念である。唯一、それを論じられた講演があったが、その講師は、NPO高知文化財研究所代表の方で、民間の立場から、総論的なことを述べられたに過ぎなかった。県や自治体から、生家の保存活用に向けて、現在ここまで事を運んでいるという報告は一切なかったのだ。とてもむなしい。記念講演会より、生家保存活用の進捗についての報告会の方が必要であろう。
 


三人衆の像がライトアップされだした。
左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎。みな人相が悪い。特に真ん中の人。これらは銅像かと思っていたが、中身は発泡スチロールで、表面はウレタンで特殊加工がしてあるらしい。つまり、張りぼてなのだ。腰につけた刀がものものしく、銃刀法違反であるが、これでは、迫力に欠ける。

 



龍馬と正馬は一字違い。人物はかなり違うが、子どもの頃、夜尿に悩んだらしいことは、よく似ている。

 


三人のシルエット。張りぼてには見えず、かっこいい。





記念講演会場の入り口にて。左から、生活の発見会本部の藤本様、熊本大学教授藤瀬先生、ひがメンタルクリニックの比嘉先生。

 
 
   15日夕には、熊本大学教授藤瀬先生、ひがメンタルクリニックの比嘉先生、正智会の畑野様と、土佐料理店で会食しながら、昨年の学会の成果である『森田療法と五高』の出版準備を進めるため、作戦を練った。秋には刊行に漕ぎ着けたい。
   深夜のテレビはワールドカップのフランス優勝のお祭り騒ぎである。
   どこもかしこもフェス、夏フェス。日本のふるさとの夏祭りが消えていく。友や家族と花火線香を楽しんだ、あの夏祭りへの郷愁。
   今回の森フェスの1週間後には、赤岡で、おどろおどろしい絵金祭りがある。8月には、全国に知られる、よさこい祭りが開催される。高知も夏フェスのシーズンである。
 


南国市の、故江淵弘明先生のお宅。



   禅に生き、禅に逝った知られざる森田療法家がいた。江淵弘明先生である。少年の頃から神経症に悩み、森田正馬の指導を受け、大学時代から相国寺の座禅会に入り、医師になってからも、生涯の大半にわたり相国寺での修行を続けた。その間を縫って、後進たちの森田療法的指導をした。そのご自宅は高知の南国市にあり、ご夫人は高齢だが、今も健在である。森田の生家から数キロの距離にある、そのお宅を訪ねて、江淵夫人にお会いした。
   鈴木知準診療所に入院した経験をお持ちで、かつて知準先生が高知に来られた時に江淵先生を紹介なさった人、香美市の山口博資様にもお会いできた。
   江淵弘明先生については、2年前の日本森田療法学会で報告した。
   以下のリンクより、その時のスライド画面を見ていただけます。

江渕弘明(こうめい)医師、禅に生きた森田療法家―その知られざる生涯と活動の軌跡―


江淵家のもうひとつの出入り口には、江淵弘明(建八) という亡きご主人のお名前も掲げておられる。

 
   「郵便物がくることがあるので」と、ご夫人はおっしゃっていた。
 


「ちょっと気づかう、そっと見守る」。高知駅で見かけた掲示。

 
   森田療法そのものだと思うようななにげない言葉を、駅などのポスターに見かけることがある。
 



「衝撃を与えないでください」。
龍馬空港にて。

 
   この人は、衝撃に弱いらしい。さらば龍馬、衝撃に弱い人。

第35回日本森田療法学会(熊本)印象記

2018/07/05




 
   2017年11月に熊本大学で開催された、第35回日本森田療法学会の印象記を執筆させて頂いたものが、雑誌「精神療法」6月号に掲載されました。編集部の方から、私のような者に執筆のご依頼を下さったもので、責任を感じてためらいましたが、ニュートラルな立場を守って印象記を書いてみようと考え、思い切って引き受けさせて頂いたものです。
 
   この学会は、熊本地震から一年半しか経っていない昨年(2017年)秋にに熊本大学で開催されました。学会長をなさった保健センター教授の藤瀬昇先生や、神経精神科のスタッフの方々のご苦労は、並大抵のものではなかったようです。
   私はたまたま、パネルディスカッションや、歴史部門でも発表させて頂いた経緯から、藤瀬会長や事務局長の遊亀先生との接点ができて、学会を開催なさったご苦労を垣間見ることができました。通常、学会に参加しても、準備や開催の水面下のご苦労はあまり見えないものですが、陰徳のようなご努力がなければ、学会は成立しません。
   新約聖書のルカ伝に、マルタとマリアの姉妹の話があります。イエス・キリストが彼女らの家を訪れたとき、妹のマリアはキリストの語る言葉に聴き入ったが、姉のマルタは接待に立ち働いた。これについて、エックハルトは、生活の中の活動を通して神に仕えた姉のマルタの態度をキリストは嘉したとする解釈を示したとされます。これは、禅にも森田療法にも通じる実践だと思います。震災からの復興もまだ途上の熊本で、学会が成立したのは、準備に従事なされたスタッフの皆様のご苦労があったからです。まず、そのような視点から学会印象記を書いてもよいと思ったのです。 学術発表に対する印象や評価は、聴く者の主観によって様々に変わり得ます。これについては、自分の卑見に流れることのないように慎重になりました。そのため、複数の方々の意見をヒアリングして、自分の意見もまじえながら、まとめることにしました。
   「高齢者」と「トラウマケア」についての、二つの重要なシンポジウムについては、少し辛口のコメントをしてしまいました。これは、学会に出席なさった関西の知人たちを問い詰めて、意見を交わした上でのことです。二つのシンポジウムを高く評価させて頂いたのですが、折角の森田療法の立場をこそ大切にする、ということを私たちは重んじたのです。
   短文にまとめた印象記の拙文の背景を、ここに説明いたしました。
   その拙文は、以下でお読み頂けます。
   よろしければ読んで下さい。

第35回日本森田療法学会印象記