寄稿文の紹介(千葉県の菊地武始様より)

2021/09/11

当研究所のホームページには、全国からさまざまなお便りやご意見を頂いています。
そのほとんどが、ホームページの水面下での岡本との個人的なやり取りで終始してしまいがちです。
私は、ブログ欄が皆様の意見交換の場としてご利用頂けたらよいと思っています。
当方は管理人にあたりますので、必要最小限の管理はさせて頂きますが。
以前はお手紙を頂いていた千葉県の菊地武始様から、最近メールが届きました。
かつての高良興生院での体験を振り返って記述なさっています。
文責はご自身で持ってほしいとの条件の上で、このメール文の公開にご同意がありましたので、
以下に同氏のメール文を公開させて頂きます。(岡本 記)

 

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<以下、菊地様から頂いたメール>

岡本先生、ご無沙汰しております。高良興生院出身の千葉の菊地です(67才、男性)。
研究所のブログや研究ノートを拝見しながら、猛暑やコロナ禍のなか、相変わらずお元気にご活躍のことと推察致します。

森田療法百年となり、今回「忘れられた森田療法」を再読致しまして、岡本先生の原点森田への回帰の意気込みを改めて感じたところです。

私は、思えば遥か半世紀も前、不安神経症(呼吸恐怖)を抱えながら高良興生院に入院したのが昭和44年、以来50年を経ても未だにそのなごりを(日常生活に支障ない程度に)ひきずっております。
我が人生の大きな支えとなっている森田療法への愛着は何とも断ちがたいものです。
同療法が年々考え方や形を変えながら拡がって行くなかで、真正森田の精神が失われていくように感じ、何とも歯がゆい思いがあります。
それはただ単に昔を懐かしむあまりなのか、年代的に真正森田により近い時期に同療法に向き合えた我々の世代の言わば特権なのか、何れにせよ寂しい思いにかわりはありません。
私の場合は、森田の直弟子に当たる高良武久先生の薫陶を直接受けた最後の世代と自負しておりますが、高良興生院では森田の宗教色を弱めた療法だったようで、当時すでに脱森田の兆候があったのでしょう。
今も手元に残る当時の木彫りの板には「君子不器」「不安常住」と毛筆で書かれていますが、高良先生はじめ諸先生方には禅的な教えや指導はされなかったように記憶しています。

さて森田の真髄は、神経症・強迫観念の苦しみをそのまま苦しみ、日々やるべきことに努力するということになると思いますが、すべての患者は最初は必ずこの症状を何とかなくそう、症状から逃げ出そうと努力するところから始まります。そして取っ掛かりが入院療法であれ認知行動療法であれ、様々、紆余曲折を経て治るべき人は結局はここ「あるがまま」に帰着することと思われます。
そのようなことは百も承知、二百も合点のことなのですが、だとすると、我々素人の市井の神経症経験者が何かお役にたちたい、経験を生かしたいと希望しても、ほとんど何も助言できないことになります。
例えば生活の発見会に参加しても、現在苦しんでいる患者さんたちには、症状を苦しんでください、日々の仕事に努力してくださいと言うだけで終わってしまいます。
そう考えて、空しい思いをしている今日このごろです。

この半世紀を懐かしさも交えて振り返りながら、ご無沙汰している岡本先生に一報しようと思い、メールしました。

つたない思いと文面ですが、返信頂ければ幸いです。

 

菊地