岸見勇美先生に―、散らない桜

2021/04/03


この桜は散りません


 
 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      

 
 
  恥ずかしながら、私は何かにつけて、つい反応が遅れる困った人間です。嬉しいこと、悲しいこと、苦しいこと、内面では人一倍に感じ取りながら、反応を言動に表すのに時差が生じてしまうことがあります。精神科の仕事をしていた職業病的習い性もあるのかもしれませんが、いささか困ったものです。嬉しいときには、それを黙ってしみじみと感じるのです。もちろん相手には感謝の気持ちでいっぱいになりますが、行動的な表現が遅れたらいけないです。悲しいときはなおさらに、胸に秘め込んでしまいます。
 嬉しかった経験としては、もう数年も前に、拙著に対して、岸見勇美先生が、丁寧な書評を書いて送って下さったことがありました。森田療法の分野で著名な作家のあの岸見先生です。もちろん丁重にお礼は申し上げましたが、後から考えてみたら、頂いたそんな玉文を公的に出して皆様にお読み頂いてこそ、その文章が生かされたのだと気づきました。
 そんな鈍い頭で、今更ながら岸美先生から頂いた文章をここに皆様にご披露させて頂こうと思いつきました。
 岸美先生本当にありがとうございました。数年後の今、改めてお礼申し上げます。
 
 岸美先生の文章は、拙著『忘れられた森田療法』への書評です。
 以下にそれを出しますので、お読みいただけます。
 
 
 岸見先生の書評

三聖病院閉院時の宇佐晋一先生最後の講話について(解説)

2021/04/02

 




 
 
 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      

 
 
 

三聖病院閉院時の宇佐晋一先生最後の講話について(解説)


 
 

 平成26年の三聖病院閉院時に宇佐先生最後の講話を撮影した動画のデータが手元に残っていたので、すでに6年経っているものの、先般このブログ欄にその動画シリーズを出した。
 その解説をつい怠っていたところ、有り難いことに南條幸弘先生が、ブログ「神経質礼賛」の No.1844 から3回ほどにわたって、丁寧なコメントを記してくださった。おかげさまで、それで十分過ぎる解説を頂いたことになった。だから、屋上屋を架すようなことになるけれど、裏コメントを少しだけ披瀝しよう。
 
 まず、「しゃべる人は治りません」という教えについて。
 入院中の人たちは、症状のことなどをおしゃべりしていないで、作業をしなさいと、まあそういう意味に受け取っておけばそれでよいと言えばよい。
 ただ、この教えは最初は宇佐玄雄によるもので、玄雄筆の文字が木彫りになって、長らく院内に掲げられていた。ところが晋一先生の代になってからのこと、かなり以前だが、ある患者がその板を叩き割ってしまったらしい。それで板はなくなったが、その「しゃべる人は治りません」というせっかくの教えを残すために、半紙に墨書されて、何枚にも複写されて院内に掲示されていたというわけである。墨書の筆跡は晋一先生のものではない。誰が墨書したのだろうか。そこで、ある入院患者さんが日記で晋一先生に尋ねたら、ある女性が書いたとのみ、お答えになったそうであった。患者が割った板は、玄雄先生の文字が彫られたものだったが、晋一先生の代になり、その文字の意味が晋一先生の教えの意味合いに変化してからのことであった。
 結局、この言葉の意味としては、玄雄先生は、小人閑居してしゃべっていないで、作業をせよ、ということであったようだが、しかし、晋一先生になってからは、多少意味が変わった。言葉が神経症をつくる、言葉のないところに神経症は絶対不成立であるとされ、言葉のない世界をのみ肯定されたのであった。これは徹底した不問に通じるものであった。そこには原理的で、鬼気迫るようなものがあった。この言葉のない世界や不問のことについては、私は稿を改めるつもりである。ともあれ、同じ「しゃべる人は治りません」でも、宇佐玄雄先生と晋一先生の間において、意味合いの変化があったと見てよいだろう。
 
 次に「わからないで居る」の教えについて。
 南條先生は、これを森田正馬の指導と重ねてご理解くださっている。森田は、理屈でわからなくても強情をやめて、治療者に素直に従えば治るのだという教え方をしていた。森田だけでなく、宇佐玄雄の指導もそうだったのだが、二代目宇佐晋一先生の一流の禅的思想は、必ずしも森田や玄雄に合致するものではなかったようで、微妙に意味合いを異にした。簡単に言えば、「わからずに居る」は、禅原理主義的と言うほかなく、自己の心についてみずからわかるということはあり得ず、知的理解以前の、そのままの境地にあることを指していた。わかるとわからないの区別はない。禅で言う「無分別智」である。
 
 ところが、さらに付け加えるべきことに、晋一先生は、ある時から、ご友人の心理学者の示唆を得て、自己意識と他者意識という心理学的用語と概念をも導入なさった。自己意識にとらわれず、他者を重んじる意識に徹すべしという思想であった。これは自己と他者の二分法そのものであり、無分別の智ではない。禅では「自他一如」、「自他不二」と教える。野球のイチローさんでさえ「自他一如」と言っているくらいである。
率直に言って、講話などで長年にわたり、伝えてくださった教えの内容は、このような変遷があった。
 
 そこで改めて変遷をたどれば、宇佐玄雄が説いたような、理屈を言わずに作業をすれば治るという教えから、その上に晋一先生の「無分別智」(分別をしないところに智がある)、あるいは「虚妄分別」(分別することは虚妄なのである)という原理的教えが説かれた。禅僧の御尊父は案外平易な教えを説かれたが、二世の御子息の方ががより禅的で難解な教えを説かれて、そこでそれをわかりやすく言い直したのが、「わからずに居る」なのであった。しかしながら、その機微はどれだけ入院患者さんたちに伝わったであろうか。患者さんはすべてが神経症圏とは限らない。思考障害を有する人たちも少なからずいたから、今にして言わせてもらえば、「わからずに居る」は少し危険な惹句であるように感じられた。さらにその上に、自己意識と他者意識という二元論が加わったのであるから、物議を醸した経緯がある。この不統一は惜しくてならない。
 ともあれ、三聖病院に勤務したことのある者として、不可解なものを引きずっている。6年前の最後の講話を今更持ち出したのも、そんな自分の無意識がさせたようなものである。
 南條先生がお書きくださったコメントは、正統的な森田療法の立場からこのように見える、という範のような推論を示してくださったのだと思う。しかし三聖病院は少し次元を異にするところに存立していた。
 今なお改めて顧みる必要があると思っている。