第36回日本森田療法学会参加記(2) ― 丸山 晋 先生の “KJ森田療法” の世界―

2018/09/27


丸山 晋 著 『森田療法の世界』2018年8月31日、やどかり出版 刊



 

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   学会の一般演題の中で、KJ法を用いた発表がありました(我妻則明先生による、森田正馬の著作に見る人生観の分析)。不肖自分がそのセッションの座長を仰せつかっていたので、精一杯に準備をして臨みました。しかし、KJ法については実施した経験がありません。KJ法と言えば、なんと言っても丸山晋先生が第一人者です。先生の著作を集めて、改めて読み込んだものの、俄か勉強というのは覚束ないものです。幸い丸山先生を個人的に存じ上げていますので、連絡をして、コメントを伺うというカンニング対策をしました。
   さて学会当日、KJ法についてのご発表(我妻先生)は、あえて私がカンニング内容を披露することなく、フロアの方との質疑があって、無事に終えて頂きました。この日は丸山先生はご欠席でしたが、翌日先生は学会場においでになり、会ってお話しすることができました。そのときに、新刊の尊いご著書『森田療法の世界』を頂きました(書影を上に掲げています)。
   この本の「はしがき」に先生は記しておられます。「私のメンタリティは「部分から全体へという志向性」が強いので、この表題はいたく気に入っている。森田療法の時間軸的理解ではなく、空間軸的理解となるからである」と。さらに次のようにも書いておられます。「私の森田療法は、高良先生のそれを一歩も出ていない。私が森田療法の世界で多少なり貢献したことは、KJ法を導入したことだと思う」。日頃謙虚な先生がこうおっしゃるのですから、説得力があるのです。
   丸山先生と私はほぼ同世代です。学生時代には安保闘争を経験しています。医師になった頃は、医学部におけるインターン制への反対運動、さらに精神科を中心にして起こった、封建的な医局講座制の解体と閉鎖的な精神医療の改善を目指す運動がありました。そんなうねりの高まったある年に、全国の「精医連」(と称したと記憶する)の若き医師たちが決起して京都に集まり、真如堂で合宿をしたことがありました。定見もなく参加した私は、本気だった丸山先生と、そのとき合宿の場と空間を共有していたことを、ずっと後に知ることになります。
   丸山先生は、まずは直面する野外の事態に真剣に取り組んでこられたのです。そしてその体験を弁証法的に高めながら、進んでこられたのです。その過程で川喜田二郎氏に出会って師事なさり、野外研究(フィールド・ワーク)を重視する発想法と取り組み方を自家薬籠中のものにされました。丸山先生にとって、精神療法は野外研究の対象です。とくに治療者と患者が生きた人間同士として生活の中で交流する森田療法は、実験室内ではない野外の営みであり、治療者自身も含めて、野外研究の対象になるのです。こうして丸山先生は、長年にわたりKJ法を実施しながら、自然にKJ法と森田療法をひとつのものにして、「KJ森田療法」を創案し、確立されました。
   入院森田療法の実施が困難な昨今、入院の治療構造を外来に翻案して、入院の代替としての外来森田療法が模索されているように見受けます。しかし、KJ森田療法は、入院の代替としてでなく、自然に外来で実施できるものです。関心がもたれて普及することが望まれます。


丸山 晋 著 『精神保健とKJ法』2003、啓明出版 刊


第36回日本森田療法学会参加記(1) ―「無所住心」―

2018/09/13




 

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   去る8月31日から3日間、法政大学で第36回日本森田療法学会が開催されて、参加しました。
   学会では、自分は毎年のように何かの発表を重ねてきましたが、今年は発表をしませんでした。学会には表舞台だけでなく、裏機能があります。その裏機能にあやかろうと思いました。と言っても怪しい機能ではありません。全国から集まって来る方々と、学会場で自由に会って懇談することができます。それにあやかろうとしました。あるセッションに関わらせ頂いたので、気が抜けませんでしたけれども、今回は学会の機会に会えたらと願っていた何人かの方々と、実際にお会いしてお話しすることができました。そんな私的エピソードを二、三記しておきます。
 
   生活の発見会員でいらっしゃる台湾の徐玉章様に、熊本以来、一年ぶりにお会いしました。下村湖人のことを少し話題にしました。かつて総督府の統治下で、下村は校長として台中一中に赴任し、生徒たちのストライキに遭遇しましたが、その台中一中は徐様の出身校にあたるそうです。当時の記録も学校に残されているとのことでした。下村が台湾で管理的な学校教育に挫折した失敗体験は重要です。その体験を糧にして、下村は帰国後、青年たちと生活を共にする塾風教育を始めました。あたかも入院森田療法のはしりのようなものでした。徐様とそんな話しをしました。
 
   森田ピアスクエアを主宰なさっている竹林耕司先生にお会いできました。
   竹林先生から去る7月に玉著をご恵送頂いていました。『集まれ!勝手コラム・森田療法の世界に触れる身近な話』というご本です。書影を冒頭に掲げました。先生は、ご自身が開催しておられる交流会や森田原著読書会で、話し合ったポイントをオンライン機関誌に「勝手コラム」として掲載しておられますが、その原稿を集めて、本になさったものです。ここには、副題の通り、森田の教えに触れながら、それを実際に生かすことに徹する話ばかりが収められています。あるいは、実際に当たってみなければ、森田の教えは生きてこないという、スタンスで書かれているのです。たくさんの項目の中で、私は「無所住心」という見出しで書いておられる箇所に注目していました。
   ここで、東日本大震災の復興支援で岩手県の陸前高田市のサケマス孵化場にボランティアとして行かれたときのことを記されています。孵化した稚魚を生育させる水槽の清掃をグループの人たちと一緒におこなったという体験です。大きな水槽を最初は皆が茫然と眺めていたが、タワシやブラシでそれぞれに作業を始め、誰が仕切るわけでもないのに、次第に無言のうちに作業が進みだした。このような自然な流れが生まれたのは、すなわち対象物や、周囲の人の動きや自分の作業の進捗などをみつめて、ものそのものになりきっていたのだった。すべてを無意識にバランスよく感じ取っていた。それが「無所住心」であったろう。ものそのものになり、みつめることで、臨機応変な工夫や対処が自然に生まれてくる。作業の途中で稚魚の姿を実際に見せてもらって、水槽の清掃作業そのものが一層自分そのものになっていったと、――
   そのように書いておられます。
   ここで教えられたのは、「みつめる」という態度と「なりきる」という境地が、実に自然にひとつに融合していることです。
   禅における究極的境地を指して、三昧と言われます。なりきっている状態に相当します。一方、禅の課題は「己事究明」にあるとされ、自己をみつめよと言われます。つまり、禅において、なりきるということ、みつめるということ、この二つの課題は、そんなにたやすく融合してくれません。その矛盾に遭遇するところに禅の鍵があるのだと思います。このことは、こちらに引き受けて、改めて述べたいと思いますが、水槽作業の「無所住心」の体験に、みつめるとなりきるの融合を見せてくださったのに、刮目させられました。
   竹林先生とお会いして、そんな話しをしました。