「担雪埋井」 ─三聖病院記念品保存室(スペース・レア)、閉室報告─

2016/01/25

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 横向きに前進せよ。作った人には気の毒だが、この種のものは、保存困難のため廃棄せざるをえなかった。

 

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 一年前、三聖病院の閉院を受けて、貴重な記念品や史料をとりあえず保存する受け皿が必要との認識より、「三聖病院記念品保存室」を、病院の隣地の賃貸マンション(スペース・レア)に設けて、一年間維持しました。しかし、先の記事にてお知らせした通り、1月24日に閉室しましたので報告しておきます。
 当初、開室することになった際に、「「シシュポスの神話」のようなことをするのですか」、と評してくださった方がおられました。しかし実際には二階へ上がって降りられなくなったのです。二階どころか、スペース・レアでは三階の部屋まで借りてしまった。そしてそのベランダから撮影した解体されゆく病院の建物の写真だけが、三階の産物となったのでした。
その後、私たちのしていることを、「「担雪埋井(たんせつまいせい)」ですね」と言ってくださった方もありました。
 「担雪埋井」とは禅語で、雪を持ち運んで井戸を埋めようとするのだが、雪は溶けてしまって、いくら雪を持って行っても井戸は埋まらない、ということを意味します。その表面上の語義は、何かをなそうと努力しても、そんなに簡単に報われるものではないという意ですが、必ずしもその空しさの指摘にとどまるものではありません。物事はそううまくいくものではないけれども、無駄になること、愚直なこともせざるを得ない場合があるのだ、という深い教えのようなのです。
 三聖病院の元職員の藤岡様のご協力を得て、この一年間、私たちがしたことは「担雪埋井」だったのでしょうか。まあ苦い経験でしたが。とは言え、病院建物の解体直前に、ごみの山の中から拾い上げて保存した物の中には、重要な史料と言えるようなものも少しはありましたから、すべてが淡雪のように溶けて流れて消えたわけでもありますまい。
 藤岡(旧姓吉久)一二三様は、かなり以前に病院に事務職員として勤務なさっていた方です。まったく人さまざまだと思います。退職して久しいのに、甲斐甲斐しく動いてくださったばかりか、経費の面でも協力してくださいました。私ひとりで一年間の「担雪埋井」をすることは困難だったと思います。

 

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 さて、閉室により、物品の大半を廃棄しましたが、なお捨てがたい一部のものは残しています。それらの内訳を記しておきます。

 
・長机(全部で15脚あった)の7脚は、京都市内の小規模な業者さんに無料で引き取られた。ものづくりの台に使うらしい。長机の残りと講話机は引き取り手なく、廃棄物として処分した。
・書生机10脚はリサイクル業者が引き取った(無料)。
・禅語や仏教語などを彫った板は基本的に捨てないことにし、三聖病院に縁のあった治療者が、治療環境に役立てるように渡してあげる方向。
・修養生が作業として彫った木札類。沢山あったが半分は廃棄した。残りは未処分なるも、森田療法に関心を持つ外国人や、その他の人たちに予定。
・額。約10点あったが、かさばるので半分は廃棄した。半分保存中(森田正馬の模写図の額は高知の森田の生家に渡すことも考慮)。
・入浴表示の木の工作品やその他の工作品。廃棄した。
・高松塚古墳パネルと古い洗濯板。廃棄した。
・「今に生きる」のバックナンバー。保存しており、関心者あれば渡すことに。
・自治会関係書類。保存中。
・宇佐玄雄の講話録音テープ。保存中。
・部屋の番号札。保存中。
・病院建物の簡易平面図。保存。
・その他の雑物。廃棄した。

 
※以上のうち、保存と記したものは、そのすべてをとりあえず、狭いながらも京都森田療法研究所内で預かって、藤岡様を共同管理人として、保存を引き受けることにします。公私を区別するため、われわれの私宅に置くことを避けます。研究所内での保管に移動が起こったときはこのホームページで知らせます。   以上