「三聖病院記念品保存室(スペース・レア)」閉室(続報・急告)

2016/01/17

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「三聖病院記念品保存室(スペース・レア)」閉室(続報・急告

 

 三聖病院は、森田療法が大正8年頃に成立した3年後の大正11年に母体が開院され、その後平成26年まで92年間にわたり、伝統的な原法を維持し続けた貴重な病院です。その閉院時、病院の歴史的資料(史料)の保存という重要な課題がありました。
 以下、このブログ記事は、元三聖病院関係者各位(元職員、元患者様、現三省会員様ら)に宛てての、取り急いでのお知らせです。このブログは、三聖病院とは関係のない京都森田療法研究所から、病院の元医師であった者がその責任と使命において発信しています。病院の同窓会でもあればよいのですが、それもなく、別れ別れになってしまった病院の元関係者同士が連絡しあう術が他にないからです。
 しかし、このブログは不特定の閲覧者の方々がお読みになります。そのため、それもやむを得ないこととし、不特定多数の方々もご一緒に考えて下さればいいと思う、二重の意味を込めて発信します。(病院の元関係者同士の閉じられた集合体内での通信ならば、書いてよい赤裸々な内部的に過ぎる情報は、当然ここでは控えます)。
 さて1年前の閉院に当たり、病院とその関係者がなすべき最も大事なことは何だったでしょうか。ここまで書けば、それは歴然としていることがおわかりでしょう。閉院と時間差を置かずに病院の建物が解体されるに際して、散逸と消滅の危機に瀕している貴重な史料の保存を図ることでした。三聖病院が、一医療法人としての裁量で処理してしまう問題ではありませんでした。それは森田療法史上に大きな位置づけをなされる病院の、使命であり社会的責任でした。以前より三聖病院は、自らその歴史を語るとき、WHOから二度視察を受け、海外からの見学は二十何か国からにのぼる、と病院の自己紹介を繰り返してきたのです。森田療法の歴史を担ってきた国際的に重要な病院であると自負してきたのです。その病院が閉じるに当たっては、如何に重要な病院であったかを示す史料を後世に向けて保存する責任があったことは明らかです。足跡を残さず、忍者のように消え失せるのは無責任なことです。
 一昨年秋、京都でPSYCAUSEというフランス語圏国際組織の学会の開催を京都で引き受け、そのときプログラムに沿って彼らに三聖病院を見学させました。折しもそれは三聖病院の年末の閉院が発表された直後に当たりました。かくして彼らは、この病院を訪れた最後の外国人グループとなったのですが、彼らの言ったことがあります。「この歴史ある病院の史料を保存する記念館を創る必要があるのではないですか」。外国人からそのような意見が提出されたのです。
 また年が明けて平成27年2月、閉院がようやく一般に知れた時期のこと、国内の複数の文化人から、「病院の史料の保存は無事におこなわれているのですか」という問い合わせの声が相次ぎました。外部の識者は心配してくださっていたのです。その識者の方々というのは、日本森田療法学会内部の方々ではありませんでした。学会内部の方々は、院長と不肖、私(岡本)とで史料保存について対策を講じているだろうから、任せるほかないとおそらく思っておられ、学会からの問い合わせはありませんでした。危惧して問い合わせて下さったのは、医学史関係の複数の識者からでした。
 しかしその方々も、病院関係のどの筋に尋ねたらよいか、困られたようでした。病院の関係者と言えども、様々な関係の人がいて的確な説明が得られなかったようです。閉院と建物解体に向けてカウントダウンが進む中で、院内側で史料の保存にむけて策を講じるべく必死になっていたのは、私のような者でした。外部の精神科医師や文化人の声が、K大精神科を通じてようやく私に届きましたが、かなり時間が経ってからでした。
 ともあれ、WHOから二度も視察を受けたほどの、日本を代表する森田療法専門病院であるがゆえに、史料の保存について、外部からの関心は大きく、内部ではそのような関心は払われないという、奇妙な逆転現象が起こっていたのです。本来なら、病院の解散が決まったらその時点から、記念品や資料を保存するための記念館またはそれに類する受け皿を創るために予算を組み、閉院に合わせて準備をして然るべきです。しかしそのような手立ては一切おこなわれませんでした。とるものもとりあえず、私は記念品や資料を仮にでも収めるために、私費で賃貸する物件を探し回りました。(それに便乗して物件を売りつけようとする向きがありましたが、これは論外のことでした)。茶番と言うべきか、トリックスターの出現と言うべきか、あるいは私がトリックスターだったのか。
 結局、病院に隣接する賃貸マンション三室を借る目処をつけて、院長と相談しました。そして、院長の賛同により、マンション「スペース・レア」3室の賃貸に踏み切ったのです。これについては、元病院職員の藤岡様が経費の一部負担や管理面で献身的に尽力して下さったことを書き添えねばなりません。
 しかし、病院が無くなり、記念品や資料を「スペース・レア」に預かるべき時がきて、思いがけないことが起こりました。病院の記念品のうち、一部の貴重品は院長のご自宅に、残る記念品は、「平等施一切」そのままに周囲の人たちに分配、進呈されてしまったのでした。この病院では最後までトリックスターが競演しているようでした。
 解体寸前の建物内には、後は誰が持ち帰ってもよいというゴミの山が残されました。でもその中には、実際には歴史的に保存すべきいくつかのものがあったのです。私たちは、その中から大切なものを選び出して、「スペース・レア」に運び入れました。また、ゴミの山の中から宝探しをしようと群がってきた人たちがいましたが、彼らが持ち帰らない物がありました。それは多くの机類です。入院患者(修養生)さんたちが作業室で過ごした日常の生活と切り離せない長机の数々。また病棟の各室に残っていた数々の書生机、さらに院長の講話に使った机。これら机のすべてを、人手を借りながらマンションに搬入しました。さらに建物に残っていた物がありました。病棟の各部屋の番号札です。無くなっていたものもありますが、掛けられたまま残っていたすべての札を保存しました。建物に釘で固定されていた板が少しありました。宇佐玄雄の墨跡を浮き彫りにした古い木の板です。打ち付けられていたので外せないものもありましたが、外せたものは保存しました。ゴミ扱いされていた書類の山の中から、入院中の自治会関係の資料も見つけました。玄雄先生の昔の講話の録音のダビングのようなテープも拾いました。
 こうして「三聖病院記念品保存室(スペース・レア)」に、雑多な様々なものを集めて、ささやかな展示室にして、一年が経ちました。しかし誰から何の援助も頂かず、私費で家賃を払い続けるには限度があります。苦しい出費の一年間でした。バトンをどこにつなぐこともできません。
 それゆえ、ここに「三聖病院記念品保存室(スペース・レア)」の閉室決定の続報を出す次第です。
 この報告は、京都森田療法研究所のホームページを借りて、そのブログとして出していますが、他に広報の手段がないからであって、研究所とは何の関係もない報告であることをお断りしておきます。

 

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 次に、急告と記したのは、保存していた物品に関することです。
 院長にとって保存を要する品で、かつお宅に保存可能な余地があれば、そちらに運び入れる提案をしました。しかし、その余地もないし、すべて進呈した物であるから、自由に処理するようにとのことでした。ボランティアとして預かっていた当方としても、これ以上保管は困難です。きたる1月24日をもって、退去しますので、残念ながらすべての物品の処分を適宜に検討します。ただし部屋の番号札ばかりは処分し難いので、あとしばらくの間、京都森田療法研究所で預かる予定です。残っている札の番号は、以前に当研究所のブログに出した札の写真でわかります。ご自分が過ごされた部屋の番号を記念に保存したく思われる方は、京都森田療法研究所の「通信フォーム」を通じて連絡下されば、渡す方法を相談の上、進呈いたします。ご連絡の際は、三聖病院の資料の保存がなされなかったことへの、感想や意見をご記入願います。番号札以外の物は、24日までに処分しますが、もしも関心があれば、大至急にお申し越し下されば、対応できる可能性もあります。しかしそれは保証の限りではありません。
 参考までに、保存していた品々の大まかなリストを以下に記しておきます。
 

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・長机 15脚 ・書生机 10脚 ・講話用机 1脚
・禅語や仏教語などを彫った板(「言語道断非去来今」、「照顧脚下」、「平等施一切」、「眼横鼻直」、「歩々是道場」などなど多数)
・修養生が作業として彫った木札類(かなり多数)
・額(撃竹、ようこそようこそ、森田と玄雄の写真の模写図、晋一先生の学生時代の恩師の肖像画、涙骨筆の色紙の額、玄雄の三聖医院開業を祝って贈られた色紙の額(大正11年)、忍耐、真実)
・高松塚古墳の壁画の模写を貼り付けた大きなパネル板
・三聖寺跡で発見された古い洗濯板(江戸時代?)
・院内の診察室などの札
・入浴表示の木工品
・三聖病院と書かれた寒暖計
・鈴木知準診療所から進呈を受けた「今に生きる」のバックナンバー
・自治会関係書類
 
 ※他にも書き漏らしがあるかもしれません。只今処理に追われています。