森田療法 「サ・エ・ラ」~(3)Physician, heal thyself~
2016/02/08
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古い話。大学の医学部を卒業するとき、クラスの皆が一文を寄稿しあって、お別れの文集を作った。「何十年先の自分は、どこかの病院の院長になっている」とか書いたクラスメイトもいたけれど、自分はそんなに先をイメージできなかった。何を書いてよいやらわからなかった自分は、思いついてちょっと気障なことを書いた。そのころ、医者が主人公のある三文小説(翻訳書)を読んだので、その原題をぱくって題目にした。” Physician, heal thyself “である。卒業後は精神医学を選ぶ方針になっていたことと関係があっただろうと思う。そして中身は、ドッペルゲンガーのことについて書いた。と言っても、精神病理学的なことを書いたのではない。何科を専攻するにせよ、医者たる者は、自分が自分を見つめて葛藤することが大切であると思う、というようなえらそうなことを書いた。そんなことをふと思い出しているが、神経質の良き面ともいうべき内省性の必要さを言ったことになる。
当時の私は、西洋の精神医学に興味を持ったばかりで、森田療法のモも知らず、森田療法のモにも関心はなかった。奇妙なものである。その後、フランス精神医学との関わりを迂回路として、森田療法にたどり着くことになるのだった。
大学卒業の前後は、紛争の嵐が吹き荒れていて、「自己批判」などという言葉を互いに突きつけるとげとげしいユース・カルチャーが蔓延していた。ノンポリの私は困って辟易していた。困っていたら、ラートロス(困惑的)だなどと「批判」された。反精神医学の旗を掲げる人たちが、精神医学用語を使って批判するので、なおさら困惑したものだった。
ところで医学部の同級会は、いまだに毎年開かれており、今年も先日出席した。みんな好々爺になり、大昔の「自己批判」を追及しあった嵐は恩讐の彼方に消え、生きている出席者たちが集まった。物故者はもちろん欠席だが、生きているのか世を去ったのかわからない欠席者もいる。さて、同級会のスピーチでは、医者同士が自分の病気の話ばかりしあった。精神科というマイナーな診療科を専攻した私は、クラス会では、何となく肩身が狭かったものだが、年齢を重ねると、うつ病などを患った経験者が増えて、精神科がみんなの身近になったようで、距離がうんと接近した。一方、数年前には、整形外科の医者で、診察室の椅子から転落して大腿骨を骨折して患者として入院し、患者の気持ちが初めてわかった、と言った者がいたが、今年は同じ整形外科の別の医者がこんなスピーチをした。
「腰痛で困っていたので、手術をして脊椎に金属を入れたんやけど、余計に痛くなったわ。皆さん、手術だけはするものやないで。」(その手術は自分でしたんか?と質問あり)。「自分で手術するのは無理やわ」。
と、こういうことは、実は精神科にも当てはまる。もちろん自分のことは、誰にとっても厄介なものである。しかし外科医が自分の手術をできないのと違って、語弊のある「自己批判」は別として、内省的な自己批判や自己批評は、難しいけれどできるだろうし、しなければならないと思う。
一年近く前に、小著『忘れられた森田療法』を上梓したが、雑誌「精神療法」の昨年の10月号に本書について、書評を頂いた。評者の先生は存じ上げていたので、雑誌上を借る前に直接討論をできればありがたかった、という思いに駆られた。
また互いの見解の齟齬の片方のみが、不特定多数の読者の目に触れるところとなったことに鑑みて、著者側からの応答も許容して頂けるだろうと思い、寄稿した一文が、同誌の本年の2月号に掲載された。願わくば『忘れられた…』を思い出して頂き、「書評」と「応答」を対比した上で、さらなるご批評、さらなるご批判を頂ければ望外のしあわせです。
書評 応答 応答(続)
批評と批判の違いや、適切な批評や批判は文化として必要なのだということを、このところ考え続けていました。
そんなとき、ネット上で、「批評・批判」についての面白いブログ記事に出会いましたので、参考までに、そのブログ記事へのリンクを以下に置いておきます。
森田療法は難しいものです。「己事究明」を課題とする禅につながり、自己をみつめるという原点に立ち戻ることを避けて通れません。
治療側に立つ者ならばなおさらのこと、自己批評、自己批判を続けていかなければいけないと、自戒しています。