三聖病院閉院時の、宇佐晋一院長の講話 (動画撮影、その2)

2021/02/21


狸のいる中庭



 
 院長講話は、週3回、日曜午後、水曜夜、金曜夜に行われていた。
 最後の診療日である平成26年12月26日(金)を迎える最後の1週間の3回の講話、つまり、12月21日(日曜)、24日(水曜)、26日(金曜)の講話を録画した。今回2回目として視聴して頂くのは、24日(水曜日)の夜の講話である。
 従来、日曜日午後の講話には、外から訪れる方々(退院後の、あるいは外来通院の人たちなど)も参加しやすいので、院長は日曜講話では、なるべく一回で話がまとまるよう、さほど厳密ではないが、意識しておられたようである。水曜と金曜は夜なので、入院中の人たち(修養生)が主な対象であった。しかし、動画撮影をした最後の3回は、会場には立錐の余地なく、人が詰めかけていた。21日と24日は百人になんなんとし、最後の26日は百人前後だったろうか。動画撮影は会場の中心に三脚を立てておこなった。岡本が機材を準備し、撮影の際は二、三人の若い男性修養生に手伝ってもらった。講話の時間には、すでに夜の帳がすっかり降りて、庭に控えている狸の姿も見えない。ひょっとしたらこの夜は、狸が院長に化けて講話をしたのかもしれないから、とくと見極めてほしい。
 とにかく、24日の講話を視聴して下さい。今回も1時間あまりの講話を数回の連続で撮影して、一旦YouTubeにあげたものにリンクをつけています。

 
(リンク) 閉院間際の講話② 平成26年12月24日(水)
 

三聖病院閉院時の、宇佐晋一院長の講話(動画撮影、その1)

2021/02/10




 
 三聖病院は宇佐玄雄先生によって東福寺山内の塔頭、旧三聖寺の建物と立地を生かして、昭和2年に創設された。
 30年後、昭和32年に玄雄先生の遷化により御子息の宇佐晋一先生が、29歳で二代目院長に就任して、禅的森田療法を継承し、孜々としてその診療の実績を重ねてこられたのであった。父子二代で、築かれたその歴史は、先に大正11年に開院された三聖医院にまでさかのぼれば、90年を超えていた。だが光陰人を待つことなし。諸般の事情を受けて、三聖病院は、平成26年(2014年)の暮も12月末、その歴史の幕を閉じた。そのときなお宇佐晋一先生はご健在であったことは喜びとせねばならない。
 平成26年12月末の、病院の診療最後の週も、いつもの如く、宇佐晋一先生の講話はおこなわれた。その週の3回の講話を録画していたので、それらをYouTubeに出し、ブログにリンクして、供覧に資そうとする。しかし、撮影した動画をYouTubeに出す作業に伴う困難のため、講話1回分が、数本の動画に分かれる。今回のブログではまず、平成26年12月21日(日)の1回分の講話にあたる数本のYouTubeにリンクをつける。第2回分、第3回分が残されているが、それらはこの後の連載となる。
 

閉院間際の講話① 平成26年12月21日(日)
 

 なお、講話の内容についての説明は、講話の動画のシリーズ連載後に追って記そうと思う。