アタラクシー、瞑想、禅、そして森田療法(その2)―フランス人におけるアタラクシーへの親和性と仏教の受容について―

2016/07/08

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フランスに禅(曹洞宗)を広めた僧侶、弟子丸泰仙禅師(1914-1982)

(写真は、ストラスブールの禅仏教センターの案内冊子より)

 

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1. フランス人にとってのアタラクシー
 前回、Nyl ERB 女史とのやりとりをほぼリアルタイムで紹介しました。しかし通信が一段落するはずの結末に至って、天然気味のこの女史は、見事に討論をひっくり返してくれました。
 そこで二つの問題が、今更のように持ち出されました。まず第一に、日常生活で必死に働いている状態こそが悟りだと、森田正馬が言ったとのことだけれど、自分は疑問に思う。野中剛監督の三聖病院のドキュメンタリー映画には、主人公がアタラクシーの境地に導かれる過程が描かれていたように受け取った。だから、やはり森田療法はアタラクシーを求める療法ではないのですか? と。第二に、森田療法における治癒とは何なのですか? 一生懸命働くのも結構ですが、それが最良の人生ですか? と。
 どうもアタラクシーが女史の固定観念になっているらしく、手のうちが見えてきました。一方、森田療法における治癒の概念に関することは、より高次の問いかけです。
 そこで、今一度回答のメッセージを、メール送信しましたので、冗漫になりますが、その内容を以下に紹介します。

 〈当方からNyl ERB女史へ〉
 「改めて差し向けられたご質問に、お答えします。
 森田療法の目指すものがアタラクシーであるか? 答えは、ノンです。 森田療法の真髄は、苦を抱えて生き抜くところにあります。この世で苦を避けることは不可能なのですから。もちろん、人生、苦ばかりではありません。生きていれば、コインの両面のように、苦があれば楽もあります。森田療法はマゾを志向しているのではないのです。禅もまた然りです。楽しいことを素直に楽しみ、苦しいことをそのまま受け入れ、「あるがまま(ARUGAMAMA)」に生きていく、それが人生です。「ARU」とは “l’être”を意味し、「まま」とは、「無条件に、理屈抜きに、自然のままに」ということを意味します。
 ところで、三聖病院における森田療法は、本来の森田療法から偏して、過剰に禅の装いをし、独特の教義に傾いていて、宇佐療法と称されるまでになっていました。入院中の規則として雑談は禁じられていましたが、技法的な不問にとどまらず、言語的にも非言語的にも、コミュニケーションそのものがない自閉的な不問の世界だったのです。また禅では、まずは己事究明を課題とし、その果てに自他不二に至るものですが、三聖病院では、最初から自己意識を持つことを否定し、他者意識を持つことを肯定する二分法的指導がおこなわれていました。同じ病院に勤務している医師や他の職員にとっても、院長とのコミュニケーションは難しいものがありました。こうして外見的に神秘性をまとった院長像は、患者さんたちの崇拝を集め、元入院患者たちの会は、院長を教祖の如くに仰ぐカルト的な集団をなしていました。
 このような三聖病院のドキュメンタリー映画を制作された野中剛監督は、自身の先入観や印象を加えることなく、事実としての病院を撮影対象とし、それを映像として提供して、病院への評価は観客に委ねようとされたのです。
 ところが残念なことに、この映画を視聴した人たちの大半においては、映像の奥までを観ていず、映像の表面だけを追って病院を賛美し、不適切な鑑賞しかできないでいるのです。この映画は最後の結末が重要なのですが、多くの人たちは、映画を最後まで観ていません。熱心に映画を鑑賞していれば、最後までじっくり観て然るべきですが。
 主人公の入院患者さんは、病院の暗示的な環境の中で、教祖のような院長の敬虔な信者のようになってしまいました。心の安らぎを期待して映画を観ている人たちには、主人公が治療者を崇拝するようになった状態が、まさしく治癒であるように見えて、めでたしめでたしと思ってしまうのでしょう。しかし、主人公の陶酔的な心理状態は、非現実的な夢想の域を出ません。実際彼は、退院後に周囲の人たちに対して、院長への崇拝を語り続けたため、友人たちから奇異の目を向けられます。そして心理的に混乱していたため、野中監督は、一年間ほど定期的に彼に会い、マインドコントロールが落ちるまで、フォローされたのです。映画の最後の部分には、退院後のこのような顛末がさりげなく収められています。
 主人公が入院中に体験した陶酔的な心理状態は、アタラクシーに近いのでしょうか。西洋人がこの映画を観て、アタラクシーを連想しても、無理からぬことだと思います。ただし、それは宇佐療法の場合のことであって、本物の森田療法はアタラクシーにいざなうものではありません。

 次に、森田療法における治癒とは、という問題についてです。これは、われわれにとっても重要な課題です。同時にこれは単純なことでもあります。アタラクシーにこだわれば、この答えは見えなくなります。
 本来、森田療法は神経症の症状を特異的に治すための方法なのではなく、人生の苦楽を生きる智恵としてあるものです。「あるがまま」ということが、つい忘れられがちになります。苦を楽に変えたいのは人情ですが、できないことであり、それにとらわれてあがくと、神経症になります。言い換えれば、神経症は「治したがり病」であり、森田療法はそれを治してやります。
 宇佐療法では感情を排しますが、それとうらはらに、本物の森田療法は感情の生き生きした動きを大切にします。行動もまた大切ですが、素朴な感情が自然に適切な行動につながるのです。
 こうして森田療法は万人の生き方に必要なもの―、あるいは既に世の中の多くの人たちが、たとえ森田療法という名称を知らずとも、そのような智恵を持って生きているに違いないのです。
 この療法を、神経症の治療という狭い領域に閉じ込めるべきではありません。苦悩があってこそ人間は成長するものなので、神経症というものは必ずしも治す必要はないと思います。森田療法の、あるいは仏教の智恵は、万人の人生にとって必要です。」(6月29日)。
 以上が私の書き送った答えです。
 
  Nyl ERB 女史は、精神分析と森田療法を対立させて考えながらも、森田療法を西洋的なアタラクシーの方へ引っ張って理解しようとしたのでした。自由、平等を原則とするフランス社会で、生きていくためには個の確立が求められることは理解できます。そして個の確立のために精神分析を拠り所とするフランス人の心理も、精神分析的に理解できます。しかし、フランス社会では、心を合理的に扱う精神分析があるその反面で、興味深いことに、東洋の仏教的な思想や体験への関心が少なからず浸透しているのです。小乗仏教(上座部仏教)、禅(曹洞禅)、瞑想がその主なものです。瞑想につながるものとして、ダライ・ラマのチベット仏教やティク・ナット・ハンのベトナムの禅もかなり入ってきています。これらに共通するものを、強いて西洋の既存の概念に照らすと、アタラクシーが持ち出されることになるようです。
 

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曹洞宗で使われる禅語「非思量」の掛け軸と、面壁して座禅をする僧侶。

(写真は、ストラスブールの禅仏教センターの案内冊子)

 

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2.瞑想について
 まず瞑想というものは、本来禅の座禅とは別のものであり、主に小乗仏教(上座部仏教)において、戒律を守り、煩悩を断つ厳しい修行の一環としておこなわれてきたものです。またインドにおいては、古くからヨーガの瞑想がおこなわれていました。
 これらはフランスに導入されて、méditation(メディタシオン)と呼ばれ、ストレスなどに対するセラピーとして流布することになりました。しかし、méditation は西洋の言葉であり、西洋ではキリスト教の信者が、神に祈り神をイメージすることが méditationだったのです。したがってフランスにおいてméditation と言われるもは、複合的な意味合いを持つことになります。
 一方、禅と瞑想は、わが国においてさえ混同されやすいものですが、フランスでは両者は融合しているのが現実です。フランスには、20世紀後半に、弟子丸泰仙という禅僧によって、曹洞宗の禅が広められました。黙照禅と言われ、ただひたすらに只管打座の修行をする曹洞宗の禅は、フランス人からすれば、それはキリスト教の méditation にも、また小乗仏教の瞑想にも通じるように見えたものと思われます。そのような親和性を接点として、フランスには曹洞宗の禅が根付いています。
 森田療法は、曹洞宗の禅とも無関係ではありませんが、フランス人がもし méditation と森田療法を同一視すれば、アタラクシーを連想される場合と同様に、理解にずれが生じることになります。
 ともあれ、フランスにおいて、東洋的な宗教や思想が受け入れられている現状を知っておくことは必要です。
 

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アルザスの曹洞宗の禅寺、RYUMON-JI(龍門寺)の庭と小道。寺の敷地は広い。

 

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3.アルザスの禅寺(龍門寺)とストラスブールの禅仏教センター
 さて森田療法と近い関係にある禅は、フランスでどのように普及しているのでしょうか。フランスの禅事情に通暁しているわけではありませんが、アルザスに在住するNyl ERB女史から、アルザス地方にRYUMON-JI(龍門寺)と禅仏教センターという、曹洞宗の二つの重要な禅施設があることを聞いています。
 しかし、まずフランス全土には、どのような禅施設が存在するのでしょうか。これについては、インターネット上に“Zen Centers in France”というサイト(最終アップロードは2008年)があり、禅施設がリストアップされていますので、情報として完全と言えないにせよ、これがかなり参考になります。
 この資料には、フランス国内の82カ所の禅施設が挙げられています(個人的な禅の集いのレベルのものは無数にあるようですが、それらはこのリストに含まれていませんので、そういう意味では一応信頼に足る資料です)。そこでこの資料に基づき、禅の宗派別に見ると、このうち明らかに曹洞宗を標榜している施設が56件あります。その内訳としては、弟子丸泰仙の流れを名乗るものが46件、それ以外のものが10件です。これだけを見ても、フランス国内の禅施設の約三分の二が曹洞宗であり、さらにその大半が弟子丸泰仙の系譜に属することがわかります。
 臨済宗を標榜している禅施設は、4件に過ぎません。これらはすべて、Taikan JOJI(太寛常慈)というフランス人の臨済僧妙心寺派の開教師によって興された施設です。
 それ以外には、曹洞宗と臨済宗の双方の融合した禅を名乗るもの4件、ベトナムのティク・ナット・ハンの流れのもの4件、キリスト教のスピリチュアリティと融合した禅を名乗るもの3件、残りの11件は標榜不明です。なお上記の全82件のうち、temple(寺院)を標榜するものが、5件あり、曹洞宗寺院3つ、臨済宗寺院1つ、宗派不明1つです。曹洞宗寺院では、ロワール河の近く、ブロア市の近郊のヴァレールに弟子丸泰仙自身が曹洞宗の拠点として開いた禅道尼苑が知られており、そしてストラスブール郊外のヴァイテルスヴィラーには、弟子丸の重要な弟子によって開かれた龍門寺があります。これらが曹洞宗寺院の双璧をなしています。臨済宗寺院は、上述した太寛常慈によって開かれたものです。
 このように概観すると、龍門寺はフランスの曹洞禅の重要な寺院であることが、改めてわかります。
 残念ながら、自分は訪問したこともありませんので、資料に拠りながら、龍門寺と、ストラスブールの禅仏教センターのことを簡単に紹介しておきます。
 幕末の日仏修好通商条約以来、主にアルザス地方が商業のみならず、文化的にも日仏交流の地となった歴史があり、アルザスは日本との馴染みの深い地方です。龍門寺ができるより早く、1970年にストラスブールに、弟子丸泰仙の直弟子のひとり、ジャン・ショーゲン・ベイビー禅師によって、Centre de Bouddhisme Zen(禅仏教センター)が設立されました。ここでは、仏教者であるか否かを問わず、世俗の市民も歓迎し、はじめての人には手ほどきをしながら、毎日座禅をおこなっています。曹洞禅は、“méditation-zen”と称され、座禅は“méditation assise”と言われています。このセンターは龍門寺と連携しています。泊まり込んで僧堂での生活をし、摂心に参加する人は、龍門寺に行ってそれを体験をすることができるのです。
 このセンター及び龍門寺に共通する禅へのいざないとして、次のような説明がに記されています。
 「 二千年以上前に、シャカムニ・ブッダは、méditationにより覚醒体験をして、この世の苦の原因を知り、苦から自由になる法を説きました。…今への集中、個人の責任感への気づき、慈悲への目覚め、忍耐、感謝の念が座禅の重要な意義で、これらによって日々の生活への具体的な答えがもたらされるのです」。
 RYUMON-JI(龍門寺)は、ストラスブールの郊外に、弟子丸泰仙の重要な弟子、Olivier Reigen Wang-Genh オリヴィエ・レイゲン・ワン-ゲン禅師によって、1999年に開かれました。この方は、曹洞宗の布教使であり、国際禅協会副会長、フランス仏教ユニオンの会長で、フランスにおける曹洞宗の重鎮です。
 龍門寺は広大な敷地を持ち、様々な目的の複数の建物、石庭などの庭、植物の菜園などもあります。ここでは僧侶、尼僧、一般人ら、数十人が、規律正しく日課を守って集団生活をしていて、毎月摂心がおこなわれています。このような規模、規律、指導内容を見ても、本格的な修行生活が用意されていることがわかります。
 出家、得度を目的とせずとも、志せば一般市民もここでの生活集団に受け入れられることは大きな魅力です。méditationとは何なのかという疑問も残りますが、入院森田療法が衰退の途を辿りつつある今日、このような修行生活をできる場があることは、羨ましい気がします。
 

提唱

龍門寺における指導者の提唱