2019年の今年は「森田療法創始百周年か」―森田療法考現学(5)―<補遺>

2019/04/08




 

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2019年の今年は「森田療法創始百年か」<補遺>


 
 <補遺1> 特殊療法の成績
 
  森田は、療法を成立させてから後に、治療成績をまとめた形にした最も早い発表として、次の報告を出している。
 
  「神経質に対する余の特殊療法成績」、日本之医界、第一五巻、第三九、四〇、四三号、大正十四年五月(『森田正馬全集第二巻』に収載)。
 
  ここで森田は、大正8年4月から同14年3月までの6年間に療法を施した86人を対象に、治療成績を記している。大まかなところを引用すれば、「普通神経質」では、全治57%、軽快38%、「強迫観念症」では、全治60%、軽快32%となっている。また、森田は、「『単に病を治癒するのみでなく自己の人性を治するを得た処の精神的一大転機であった』とは多くの患者の告白する所である」と述べている。さらに彼は、全治とは、症状を基準に診断するのではなく、苦楽を超越して生の欲望を追う境地のことなのであるということを指摘している。一方、治療の苦痛を恐れ、或いは不信を起こして途中退院した者が何人かあったが、その大半は意志薄弱者であり、治療成績の中に加えないとして、切り捨てている。このような入院治療の適応の問題は、森田が後世に残した課題となった。
  なお、残念ながら、絶対臥褥がどのように生かされたかについては、述べられていない。


 


 
 <補遺2> 宇佐玄雄が提案した療法名、「自覚療法」
 
  森田は療法の成績を報告した本稿の冒頭で、療法名は仮に「特殊療法」と言う名を用いるとしながら、「京都の宇佐君は『森田法による自覚療法』と称へて居る」と書いている。これより、宇佐玄雄が「自覚療法」と言う提案をしたのは、大正14年のこの報告より以前であったことがわかる。
  宇佐玄雄は、東京在留中の大正9年12月に、児玉昌博士とともに森田正馬宅に招かれている。一方で、今も御健在の御令息、宇佐晋一先生から次のようなエピソードを伺っている。
  父玄雄は、森田先生から「僕の療法を何と呼んだらいいだろう」と訊ねられて、「釈尊の開悟に匹敵すると考えて、『自覚療法』がよろしいでしょう」と答えたら、「それはよかろう」と仰った。同時にもうひとりの医員も同じ提案をしたが、森田先生は「これは宇佐君が言ったことにしておき給え」と仰った、というお話である。それはおそらく、大正9年に児玉昌博士とともに森田家を訪れたときのことであったろう。
  宇佐玄雄が「自覚療法」という療法名を提案して、森田がこれを肯定的に受けとめたことは、よく知られているが、意外に早い時期に森田と宇佐のそのやり取りがあったのである。また「自覚療法」の「自覚」については、禅に照合せねばならないと誰しも考えるので、難解で意味を測りかねるところもあったが、釈尊の「開悟」にちなんだ命名案だったと知れば、宇佐玄雄による命名の意味や、宇佐の療法観も明白に伝わってくるのである。
 

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