神経症の若者は、北の大地に向かう

2015/06/29

 北海道森田療法研究会からお招きにあずかり、去る6月20日に札幌で開催された研修セミナーでつたない話をさせて頂きました。
 ちょうど私は、長年の間かかわった三聖病院が閉院となって、その経験を総括する課題に直面しています。また、北海道は地理的に京都から遠いこともあり、彼の地で森田療法に従事しておられる先生方においては、三聖病院のことを見聞される機会が少なかっただろうと思われ、この機会にと、次のような発表をさせてもらったのでした。
 「私が三聖病院で学んだこと、学べなかったこと」。
 しかし、これを整理して説明することは、自分で経験したこととは言え、容易ではありません。うまくまとめきれないままに、とにかく発表を終えました( お招き下さり、そしてご出席下さった北海道の先生方、ありがとうございました )。
 さてパワーポイント・スライド以外に、会場で配布したままになったおまけ資料がありました。それを次に掲げておきます。説明は要さないと思います。

 
 

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 [ 神経症の若者は、北の大地に向かう。]
 
 京都で入院森田療法や外来森田療法で治らず、神経症を治すため、北海道へ酪農などのアルバイトをしに行った者が、何人かいました。 で、北海道でアルバイト生活をしていると、一旦よくなる。
 京都に戻るとまた神経症も戻ってしまう。
 結局は、現実の生活に取り組むほかなくなる。
 
 「北」という幻想
  「北」は歌謡曲や演歌の、テーマのひとつ。
  「北」は、孤独、放浪、逃避、忍耐などのイメージを含む。
 「大地」は強さ、自然、母性、包容などのイメージを含む。
 
 この二重のイメージに、神経症者は心を惹かれる。
 北海道に流れてきて、しばらくこの地での生活を体験して、そこから帰って、元の生活に戻るのも、悪くない。
 
 蘇東坡の詩
 
     「廬山は煙雨
      浙江は潮
      未だ到らざれば千般恨み消せず
      到り得帰り来たれば別事なし
      廬山は煙雨
      浙江は潮」
 
 つまり入院して退院するというのも、このような体験だと思うのです。
 結局、生活するしかないのです。
 入院原法の治療施設が存在すれば、それは貴重なことです。
 作業をし、集団内の人間関係の中で、社会性を身につける。
 そして、治るために「悟り」を開かねばならないという幻想を砕く。
 ただし、入院施設では治療者は力量を問われる。