惜春─三聖病院の名残り─
2015/05/04
年度が終わる3月末をもって、法人が解散して病院は正式に廃院になると、当初は聞いていた。実際にそのような手続きがいつ完了したのか、確認できていない。
建物の解体作業は、年度を越えて延々と進められた。地上から消えゆく三聖病院の姿を最後まで見守っている方々がおられたことだろう。そのため、解体の進行状況を画像で実況的にお届けしてきた。
その解体も、大方は4月末に終了したようだ。しかし敷地の外、大通りに面して「三聖病院」の標識は今も残されている。また敷地内にも、未だに病院の名残りをとどめるものがある。
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門の内部、万寿禅寺に隣接する敷地の際に、解体工事の難を逃れて何本かの樹が残っている。そこにあったツツジが、樹の緑を背に一斉に鮮やかな花をつけた。もう5月である。
重機。敷地内で大活躍した主役である。
ダンプカーもごみの搬出に活躍した。
ごみの山がなくなり、平らな更地になりつつある。
病院のすべての建物は消滅した ( 敷地に隣接するマンション、スペース・レアの3階から望む )。
莫大な木片と宇宙塵は、ダンプで運び出された。木片は土に還り、宇宙塵も地球の土となるだろう。
修羅のごときものは銀河鉄道に乗って宇宙の果てに向かったと言われるが、定かな情報ではない。
「 自我神話化 ( Ich-Mythisierung ) 」した禅的森田療法 ( 宇佐療法 ) の神話は、いつまで続くであろうか。
元院長のご自宅。私宅なので、同じ場所にそのまま存在している。
地上では、ここを聖地として、療法は今や「 自我収縮 ( Ich-Anachorese ) 」した。
解体工事も終わりに近づき、大通り側の遮蔽シートも外されて内部が見える。そこには、切られた樹がそのまま立ち続けていた。樹の近くにあった作業室は影も形も無くなったのに。
外灯を兼ねていた「 三聖病院 」という大きな標識は、なぜか未だに残されている。
向かってその左には、万寿禅寺がある。三聖病院ゆかりの東福寺の塔頭、三聖寺が万寿禅寺に変身したという複雑な歴史を共有している。
現在は、北朝鮮出身の在日の方々の菩提寺になっている。
万寿禅寺にある鐘楼は、東福寺の重要文化財である。
万寿禅寺越しに、向こうに見える建物が、件のマンション、スペース・レアである。この最上階 ( と言っても3階 ) から、病院の解体作業を見守ってきた。万寿禅寺と、その後方にあるマンションは、いずれも病院の敷地に隣接しているのである。