『忘れられた森田療法』(創元社の出版案内)

2015/02/23

 以下、ブログと同記事です。


入稿②

 

 版元の創元社が、この本の出版案内のページを設けて下さっています(下記アドレス)。

 

 http://www.sogensha.co.jp/booklist.php?act=details&ISBN_5=11586

 

 刊行の月日は2月27日です(私はすでに2月20日付の刊行分を手もとに受け取っていますが、これは先行印刷分だったようで、創元社の出版案内では2月27日刊行となっています)。書店の店頭には、2,3日中に出るだろうと思います。

 本書の刊行は、偶然にも三聖病院の閉院と時を同じくしました。創元社はそれを考慮して、当初は3月3日刊行予定だったものを繰り上げて下さったようです。

 

 本書の「あとがき」から、そのような時間の流れを読み取っていただくことができますので、以下に「あとがき」の一部を抜粋しておきます。

 
 

 平成二六年の晩夏、秋の気配を感じながら、本書の「結び」の文章を綴りました。その中に私は書いています。「原法のシンボルのような古色蒼然としたたずまいの病院が終焉を迎える時、森田療法の世界には、ある種の喪失感が漂うかもしれません」と。

 「終焉」は、現実のドラマとして、既にその夏から静かに私の足下で始まっていたのです。三聖病院は、年末をもって正規の診療を閉じることになりました。それを知ったのは、一〇月の声を聞いてからのことでした。

(中略)

 本書が日の目を見る頃、長いお勤めを終えた三聖病院は、おそらくまだその外観をとどめています。しかし、予想外のことが起こらなければ、春の訪れを待たずして、病院は地上から姿を消す運命にあります。

 本書の表紙には、この病院内に長年の間掲げられていた森田正馬の肖像画を使わせていただきました。正確には森田正馬の写真の模写で、絵の裏面には、「森田正馬先生之像 昭和二十八年七月吉日 桐村義治 寫」とあります。先代の宇佐玄雄院長の時代に入院した、当時既に高齢だった桐村という画伯の作品です。六〇年余り前に寄贈されたもので、ご遺族の所在も不明にて、このまま使用して差し支えないと院長も判断してくれました。この絵が、京都における森田療法の歴史を思い出させる、ひとつのよすがになればと思います。

 また、関西の創元社が本書に理解を示して、出版を手がけて下さったことを望外の喜びとしています。かつて「生活の発見会」の命名にゆかりある林語堂の『生活の発見』が刊行されたのも、創元社からでした。このたび、本書が世に出るのは、とりわけ編集部の柏原隆宏氏から随時的確なご助言をいただいたお蔭であることを最後に記して、謝意を表します。

 

 平成二六年 師走に記す

 岡本重慶

『忘れられた森田療法』(創元社よりの新刊のご案内)

2015/02/16

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 皆様、こんにちは。(本日ブログに掲載した記事と同じものを出します)。
 このたび、創元社より拙著『忘れられた森田療法 歴史と本質を思い出す』を、2月27日付けで刊行して頂きます。
 私(岡本)は、京都の三聖病院で、非常勤ながら40年近く森田療法に関わりました。その中で禅的色彩の濃い森田療法を体験的に学び、かつ思索しました。そしてそれを原体験としつつも、自分なりに、自由に森田療法を追求したく、3年前にささやかに「京都森田療法研究所」を設けたのです。そこでの活動のひとつとして、森田療法についての自分の想いや、研究的な文章を研究所のWeb ページに書き綴ってきました。拙いながら、それらは身辺雑記ではなく、森田療法についての本当の自分の想いを、いずれ本として上梓することを期して書いたものです。あらかじめWeb上に出してみたことで、貴重なご意見を頂くこともできました。
 そして一定の期間を経て、拙文をWeb から下げて、出版に適する文章を厳選し、かつ出版へ向けて大小の修正を加えました。仏教の視点から書いた文章も少なからずあるのですが、今回は仏教色の濃いものは留保しました。一方、「森田療法に対するフランス人の視線」というような書き下ろしの章も加えました。こうして出来上がったものが本書『忘れられた森田療法 歴史と本質を思い出す』です。中身には辛口の文章を収めています。でもそれらは(引用部分を除いて)独自の思い、あるいは想いです。ご叱正はあえてお受けして、それが意見交流につながれば、有り難いと思います。
 できるだけお求め頂き易い価格になるように、ソフトカバーの本にしてもらいました。
 何卒、ご一読頂けましたら幸いです。

 

 

  ●  ○  ●  ○  ●  ○  ●  ○  

 

 さらに書き添えねばならないことがあります。
 奇しくもこの本の刊行は、三聖病院の閉院の時と重なりました。感慨しきりです。
 三聖病院の作業室には、数十年前から、森田正馬の肖像画が掲げられていました。宇佐玄雄院長の頃に入院したある画伯(桐村義治氏)が、昭和28年に描かれたものです。これを本の表紙に使用させて頂きました。デザインの視点から、色調は加工されました。しかし原画はそのまま口絵に出しています。
 三聖病院はなくなりますが、この絵が、森田療法の歴史を思い出すひとつのよすがになればと思っています。

 

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