森田療法的人生のために―京都森田療法研究所からの発信―

2023/01/16

 

京都森田療法研究所からの新春のご挨拶

 

 私のことを、森田療法評論家だとおっしゃる向きがあったようです。自分自身はどんな臨床をやっているのだ、とも言われていたようでした。
 既に廃院になった三聖病院に勤務していた頃は、院長がピラミッドの頂点におられ、私たち、他の医師たちは入院患者さんらと関わっても、副主治医のような立場の域を出ませんでした。そんな日の当たらない役割にひたすら徹することが、森田療法の実践なのであろうと心得て、その立場をまっとうしました。日陰の副主治医の立場にいると、院長の不問の処遇の下で、無視されている生身の患者さんたちのあえぎが伝わってきたものです。副主治医の医者だからこそ、身近で受け止めることになる人々の苦悩が感じられました。それは神経症の症状のことよりも、生きていることそのものの苦しみであり、存在の苦で、それは治療するというにはおこがましく、人間同士として共有することしかできないものだったのです。三聖病院は暗い病院でしたが、あの暗さは何だったのか。一見、透明感の漂う「あるがままの世界」の底辺には、深くて暗い部分があり、前進できない人たちの苦悩が澱のように溜まっていたのです。院長が住んでいる「あるがままの世界」の住人たりえず、死神に憑かれたような人たちが存在する場所である病院に勤務して、彼らの呻吟を聞いていた医者にとっては、三聖病院は実に暗い病院だったのです。患者の呻吟に対して、電気ショックという方法もあったのでしょう。しかしそんな芸もない医者は、ただ聴いて共感し、四苦八苦を生きねばならないということを、治療者自身としても身にしみて感じるほかなかったのでした。
 あいつ(岡本)は三聖病院でどんな臨床をやっとったのや、と言われていたらしい自分として、以上がその答えなのです。そしてこれもまた森田療法ではないかと言いたいのです。光を求めながら共苦する、それこそ森田療法でしょう。患者はつらいよと言われるだろうが、治療者もつらいよ。それが治療者にとっての森田療法なのです。
 しみじみそんなことを考えています。
 そんな心境にもつながる、自分の今年の年賀状を、PDFでご披露します。
 皆様にとって良いお年でありますよう、祈念いたします。
   岡本重慶

 

年賀状