北海道森田療法研究会で発表しました

2015/06/29

 6月20日に札幌(会場:北翔大学)で開催された、北海道森田療法研究会で発表させて頂きました。この会は、日本森田療法学会の組織内の研修セミナーを兼ねていました。研究会で研究報告をするより、研修セミナーの講師をつとめる方が責任を感じます。しかし、市民講座ではなくて、森田療法の臨床に関わっておられる複数の専門職の先生方がご来聴下さって、準備不足のまとまらない話の意を汲んで、お付き合い下さいました。
 予告した通り、「私が三聖病院で学んだこと、学べなかったこと」について述べました。語りたい内容が多すぎて、話を収めきれませんでした。内容はさらに推敲し、まとめて秋の学会で報告の予定です。また今回の発表内容は、そのすべてをホームページ上に公表すべきものではありません。発表に用いたパワーポイント・スライドの一部のみを、「研究ノート」の欄に出しておきます。
 

北海道森田療法研究会で発表します(予告)

2015/06/15

 来たる6月20日、札幌において開催される北海道森田療法研究会で、下記のような発表をさせて頂きます。

 

 題 : 「 私が三聖病院で学んだこと、学べなかったこと 」

 

 わかって頂きやすいようにと、やや直截に過ぎるような題目にしてしまいました。誤解を避けるため、発表の意図するところを記した前置きを、以下に出しておきます(発表の冒頭部分に出すスライドの1枚です)。

 


入稿③

 
 発表内容の事前の抄録的なことを、ごく簡単に述べると、次のようになります。

 

 私が三聖病院とのご縁を得て、学んだことは、まず「事実唯真」という言葉に凝縮された森田療法の教えでした。

 さらに三聖病院ならではの、禅的療法を学びました。“ Client-centered therapy ” ならぬ “ Dharma-centered therapy ” だと院長がおっしゃったことが印象に残っています。

 一方、学べなかったこと(摂取できなかったこと、悩まざるを得なかったこと)もありました。

 禅は人それぞれのもので、人の数だけ禅があります。教えを鵜呑みにするのが禅ではありません。

 また、病院である以上、そこで行われていたことは、医療であり、また患者さんに対する精神療法であり、さらに禅そのものでもありました。

 医療行為と精神療法と禅を調和させることは、極めて困難な課題であり、学びきれないことが残ってしまったというのが、偽らざるところなのです。