『知られざる森田療法―日仏交流の軌跡―』 ―(1) 本書について―

2018/06/28




 
   十年ほど前(2007年)に出した『知られざる森田療法―日仏交流の軌跡―』という小著があります。
   この本の内容については、我ながら恥ずかしいものがあるため、宣伝も弁解もせずに、無言を貫いてきましたが、今になってから敢えて一言しようと思います。
   自分は、1980年代に精神分析的な心身医学を学ぶためにフランスに留学しましたが、逆にフランス人たちから日本の精神療法について問われたのでした。それが大きなきっかけになりました。その時点で既に自分は日本では三聖病院に非常勤で一定年数関わっていましたから、改めてその経験を見直しながら、折りにふれて森田療法のことをフランス人に伝える役割に、細々と断続的に従事し始めたのです。それをある程度積み重ねた段階で、フランスへ森田療法を伝えた記録を集めて、日仏両語で一冊の本にまとめて、敢えて世に晒し、日本とフランスの両国の人たちの批判を仰ごうとしたのでした。紹介活動を始めて十年以上経ったこの時点で、自分自身、過去の紹介原稿は、読むに耐えなくなっていました。しかし、そんな紹介をしてきたのも事実なので、それらを収録しています。その意味で、出版時から既に恥ずかしい代物だったのです。
   一方、出版に間近い過去において、また出版時点において、発表したり書いたりした原稿も含まれています。もちろん欠点はあるものの、それらは現在読み直しても再評価に耐えそうで、むしろお読み頂いて恥ずかしくないと思うものです。ベルクソンの哲学と森田療法の関係、スピリチュアルないたみと森田療法、神経質概念や治癒概念の見直し、などについて書いた原稿がそうなのです。恥ずかしい小著について、著者として初めて口を開くゆえんです。これらの恥ずかしくない原稿は、恥ずかしい原稿とともに埋没する運命にありそうですので、恥ずかしくない原稿の方をみずから救済して、この欄に掲げて、日の目が当たるようにしようと思います。実はそれが恥ずかしいことかも知れないのですが。

 

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   最初に、まず序文、目次、そして後記を以下に読んで頂けるようにしておきます。2007年の時点における、三聖病院の森田療法についての筆者の描写にふれて頂く資料でもあります。我ながら建て前を重んじた文章になっていますけれども。ちなみに言えば、その後、三聖病院の森田療法は、宇佐療法と呼ばれるようになります。この経緯については、説明を要しますので、別途に詳述することにして、2007年においては、三聖病院における森田療法は独特のものであっても、宇佐療法と呼ばれていなかったということのみ記しておきます。

 


序、目次、後記