『知られざる森田療法―日仏交流の軌跡―』 ― (3) スピリチュアルないたみを生きた明恵上人―
2018/07/12
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鎌倉時代の戦乱の世に、幼くして両親を失って、孤児となった紀州のある子どもは、京都の神護寺に預けられました。後に高山寺の住職になる明恵上人です。天涯孤独の明恵は、釈迦を父と仰ぎ、仏眼仏母像を母と慕いつつ、絶望の日々の中で自殺未遂や、自分の耳を切り取る自傷行為などを繰り返しながら、生き抜いて、やがて慈悲に目覚め、戦乱の世の不幸な人たちを救ったのでした。人間の存在そのものの深淵に絶望を抱えている人たちは、今の時代にも多くいます。そんな存在の苦を生きること、それこそ森田療法の原点です。スピリチュアルという言葉の使い方は難しいですが、精神の表層の葛藤ではなく、存在そのものの苦を、あえて「スピリチュアルないたみ」ととらえます。そして苦を生きた明恵上人の生き方は、過去から森田療法を照らしてくれるものであったと思うのです。
明恵上人の「あるべきやうわ」という教えも、自分を受け入れ、おのれの分を尽くして生きることを示しています。森田療法と同じなのです。
宮澤賢治の小説『注文の多い料理店』も、苦とともに生きることを忘れがちな日本人へのアフォリズムとして引用しました。