森田療法「サ・エ・ラ」~(4) 『迷いの道に咲く花は』 : 蜂たちの「人生いろいろ」~
2016/04/24
かつて「この世の花」というヒット曲で、一世を風靡した女性歌手がいた。「からたちの花」も咲かせた。そして50代の坂にさしかかろうとするときに、「人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ咲き乱れるの」と歌って、人びとの心をつかんだ。時の内閣総理大臣までが、国会答弁で「人生いろいろ」と言った。
「お千代さん」と親しまれた歌手、島倉千代子さん自身の人生にもいろいろなことがあったようである。花は咲き、花は散る。お千代さんは癌で逝った。
ほぼ、そんなお千代さん世代の老(若)男女、十数人が、花園大学禅文化研究所所長の西村惠信先生の膝下に、週一度禅を学びに通っている。
この勉強会(研究会)は、約20年前に始まったらしい。西村惠信先生という「善知識」のお人がらを慕い、その該博な禅知識に魅せられた人たちが、集っている会である。それは通称、「BEE(ビー)の会」と呼ばれている。その名称の由来は、花の蜜を吸おうとして蜂たちがやって来るごとくに、西村先生という大輪の花のもとにメンバーたちが集まっているからだそうである。私も蜂たちの仲間入りをして2年になる。「入ったら出られない蟻地獄かもしれないから、蟻の会」と、私はどこかで冗談を言ったことがあるが、これはブラック過ぎる冗談なので、訂正せねばならない。西村先生の度量は大きい。来る者は拒まず、去る者は追わず。過去20年間に、多くの人たちが吸い寄せられて、しかしそれぞれの事情で会を離れている蜂たちも少なくない。ときどき出戻りの蜂もやって来る。そんな開かれた会で、場の雰囲気も自由そのものである。メンバーたちが師と対等にものを言い、ときには師の説明に対して「違う」と言って、それを正す。だから寄ってたかって師を刺す蜂の会のように見えて、私は最初驚いたものだった。もちろん礼を失してはならないのは言うまでもないのだが、禅の大家を囲んでこんなに自由にものを言える会があるのは、有り難いという一言に尽きる。
会ではこれまでに様々なテキストを読んできたようだが、現在は『信心銘』について元代に書かれた『信心銘中峯廣録』という書物の原典を読んでいる。漢文を読みこなせない自分には、これは格別に難解で、およそ歯が立たない。なのでやりとりの話だけを聴いているが、週一度通うその度ごとに、一匹の蜂としてなにかを教えられる。とにかく有り難い会である。
西村惠信先生ご自身筆、蜂の絵
今年は臨済禅師1150年、白隠禅師250年遠諱記念で、禅の文化や思想を見直す催しが相次いでいる。4月から京都国立博物館で、「禅ー心をかたちにー」という特別展が開かれており、先週、西村先生とBEEの会のメンバーがこぞって博物館に行った。館内は、集められた臨済禅の形象で満ち満ちていて、それらに圧倒される。それにしても、「心をかたちに」ということは、意味深長である。
日本画の橋本雅邦は、「無心」を重んじた。そして、画の真相は形よりもその神にある、と言った。森田正馬は、そのような橋本の美術思想に感銘を受けて、雅号を「形外」としたのだった(そう確信した事情は、小著『忘れられた森田療法』に書き留めておいた)。博物館内には、橋本が批判した狩野派の画家の絵もあった。橋本雅邦や森田正馬なら、こんなさまざまな禅の「心のかたち」をどう見るだろうか。そんなことを思いながら博物館を出た。
昨年、西村惠信先生は、BEEの会の老(若)男女たちにおっしゃった。「皆さんはこうして勉強会に来てくれていますが、それぞれに理由や動機があるはずだから、皆でそれを書いて本にしませんか」。それで私家版で文集を出すことが決まった。刊行は昨年末に予定されていたが、やや遅れて、今年の3月に『迷いの道に咲く花は』という書名で日の目を見た。その命名は西村先生による。「迷悟一如」と同じ意の、「悟りは迷いの道に咲く花である」という某禅者の言葉から、本のタイトルをおつけになったのである。題字も表紙の絵も、文中に添えられている挿し絵も、すべて西村先生の筆になる。
この本の中にはさまざまな花が咲いている。「赤く咲く花、青い花、この世に咲く花数々あれど」、咲いた花はやがて散る。「迷いの道に咲く花は」、まさに人生いろいろである。
同書の内容のうち、わが拙文の部分は、昨年このホームページに先行的に紹介した文章と同じものです。三聖病院での勤務体験より、森田療法から禅へと「己事」の「究明」に向かわざるをえなくなった事情を書き記した一文です。花ではありませんが、その部分を以下にPDFで収めておきます。
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