第37回日本森田療法学会・シンポジウムⅠ-3「仏教、禅の叡智と森田療法―『生老病死』の苦から『煩悩即菩提』へ―」の抄録
2019/10/08
第37回日本森田療法学会が、10月5日、6日に浜松にて開催されました。10月5日に「森田療法成立100年、森田理論の再考」のシンポジウムが開催され、シンポジストの1人として、発表させて頂きました。発表内容については、追って「研究ノート」欄に全スライドと共に説明を添えて、提示します。
なお、学会前の抄録集に出た、発表前の抄録があります。遅まきながら、以下にそれを掲載しておきます。
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第37回日本森田療法学会
シンポジウムⅠ-3 森田療法成立100年
2019.10.5
仏教、禅の叡智と森田療法
―「生老病死」の苦から「煩悩即菩提」へ―
京都森田療法研究所
岡本 重慶
釈尊、親鸞、白隠はいずれも「生老病死」の苦による強迫観念に悩み、大疑の末に悟った神経質者であった―。仏教や禅と療法との深い関わりを示す森田の言説である。療法の成立百年になるこの機会に、苦や煩悩という課題を原点として療法が出来上がった流れを、仏教や禅の面から見直したい。
森田が幼少より親しんだ真言宗では、人間の煩悩を否定的に捉えない。そのような煩悩観を下地に、森田は「生の欲望」を肯定し、重視することになる。また井上円了の影響の下、仏教周辺の様々な民間の通俗療法に関心を持ち、破邪顕正を経てそこから自然良能を生かすことを学んだ。
神経衰弱については明治40年前後から外来診療を始め、催眠や説得や生活正規法 で工夫を凝らした。しかし強迫観念の治療に難渋し、明治42年の論文でそれを禅語の「繋驢橛」に喩え、煩悶者を解脱させるために宗教家の示教を切に希うと表明した。発作性神経症の予期恐怖に対しては、暗示的に庇護を保証して恐怖突入をさせ、無事の経過を見た後に「煩悩即菩提」を説諭した。森田自身が大学一年の試験時に必死で猛勉強をしたら症状は起こらず好成績を得た体験が前提にあった。だが、かかる「煩悩即菩提」は煩悩から菩提へという二元論の域を出ない。入院療法は大正8年に神経衰弱の永松婦長を自宅に泊めて家事をさせたことを発端とするが、難治の不潔恐怖の谷田部夫人と森田の迫真の対決が、双方にとり「煩悩即菩提」の本物の体験となった。かくして入院第一期で苦悩と一体化する絶対臥褥が一層重要性を帯びていく。療法の本旨「事実唯真」の語の典拠には諸説あるが、これは真言宗の言葉「即事而真」(事実が即ち真実、の意)の言い換えであろう。
禅僧との出会いとして、明治43年の両忘会の釈宗活老師への参禅や、大正8年に慈恵医専を卒業した教え子の禅僧、宇佐玄雄との交流がある。森田は療法名として、宇佐が提案した「自覚療法」を肯定的に受けとめた。参禅体験や宇佐との関係の詳細は当日に譲る。一方真宗との関係も深い。行者の「はからい」を去り他力に任せる「自然法爾」や「不断煩悩得涅槃」の教えは森田療法に通じる。なお倉田百三は、患者の立場から親鸞の『歎異抄』のみならず道元の『正法眼蔵』の思想をも鼓吹した点で注目される。総じて顧みれば、仏教や森田療法は苦や煩悩を生き抜く「ネガティブ・ケイパビリティ」の叡智そのものであり、今後もそれが生かされることを望んでやまない。