「 私が三聖病院で学んだこと、学べなかったこと 」( 発表したスライドの一部紹介 )
2015/06/29
注)発表に用いたスライドの約半分を抜粋して、以下に提示します。
注)過去の写真 ( 以下も )
注)玄関の履きものを脱ぐ場所に掲げられていたが、本来は自分自身をみつめよの意。
注)以下、宇佐玄雄先生のこと。
注)病躯を押して。
注)「 水を節約しませう 」( 玄雄先生の筆跡 )。
注)ブラック・ジョークを書き込んでしまった。
注)「 正( まさ )に受くるは受くるにあらず 」( 禅語 )。レジリエンスに通ず。
注)「 一物も将( も )ち来たらず 」。
そんな言い草も放ってしまえ、と趙州は言ったという禅の故事をあらわす。
注)宇佐晋一先生の講話
注)いつでもどこでもその場その場で立ち処に( ただちに )主となる。
注)「 しゃべる人は治りません 」は、玄雄先生が説いた厳しくも暖かい言葉。
「 たった一人の集団生活 」は、入院原法が集団精神療法ではないことを表していた。
注)「 常に戦場に在り 」
注)入院の治療構造は、『 注文の多い料理店 』( 宮澤賢治 )に似ている。
注)「 よきひとの仰せをかぶりて(・・・)地獄は一定すみかぞかし 」のくだりを指す。
注)このように書き連ねると、教条的になるかもしれないけれど、精神療法は他者の人生を支配してはいけない。それをわきまえるところに森田療法の味がある。