森田療法における重要な仏教的用語(1)―「事実唯真」の典拠になった真言宗の「即事而真」―
2020/08/05
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<最初に>
森田療法には、療法の鍵のようないくつかの重要な用語がある。それらは、日常的な平易な言葉を生かしたものだったり、森田自身による造語だったり、また深い思想がこめられた仏教的な用語だったりする。そのうち、とくに仏教的な用語の場合は、その深い意味がえてして難解なままに、私たちはなんとなく森田に倣って使っていることが多い。
昨年秋の日本森田療法学会でのシンポジウムで、仏教や禅と森田療法について報告させて頂いて、その際に森田療法の中の重要な仏教用語についても述べたが、なにぶん限られた時間内にて、簡単な言及をするにとどまった。その抄録の小論文原稿は提出したので、問題がなければ学会雑誌の春号に掲載して頂く運びになるだろうけれど、発表は多彩な内容を含んでいたため、抄録でも、やはり個々の内容はそれぞれ簡潔に記さざるをえなかった。
そのため、森田療法における仏教的用語について、省略した部分を補いつつ、より自由な記述で伝えたいという思いが残っている。療法の中の代表的な仏教的用語(実は仏教的用語であったと判明する言葉を含む)のうちで、代表的なものとして、学会シンポジウム時と同じく「事実唯真」、「あるがまま」、「煩悩即菩提」の三語を取り上げ、順に説明していきたい。学会で済ませた発表および学会雑誌向けの抄録論文と要旨は重なるだろうが、自由な視点から改めて書き直してみる。
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森田療法における重要な仏教的用語(1)―「事実唯真」の典拠になった真言宗の「即事而真」一
1.「事実唯真」
まず、森田療法の教えの真骨頂であると思えるような重要な用語に、「事実唯真」がある。森田は「非事実者非真也(事実に非ざるは真に非ざる也)」とも言い換えて教えた。それらの言葉はよく色紙などに揮毫して進呈しており、森田自身、この教えの言葉を重視していたことがわかる。この「事実唯真」という素朴な言葉は、森田療法ならではの教えとして、実に重い。
森田は、「余は試みに『事実唯真』という標語を作って見たが、…」(注1)と書いているが、その典拠を記してはいない。そして続く次の文章では、「…事実は何とも動かす事が出来ないから、常に事実を事実として之を忍受し、服従しなければならない。」(注2)と付け加えている。さらに『論語』(学而第一)を引用し、「子夏が『賢を賢として、色に易へ』といったのは、『事実を事実として感情に誘惑されず』といふ事になるのである」と、述べている(注3)。しかしこれは、「事実唯真」を敷衍した引用であり、子夏の教えが「事実唯真」の典拠になったことを意味しない。
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2. 「事実唯真」の典拠についての従来の説
森田による「事実唯真」の語の典拠については、従来二つほどの説がある。
その第一は、聖徳太子の言葉「世間虚仮 唯仏是真」(天寿国繍帳)によるとするものである。森田療法の関係者の多くの人たちが、聖徳太子の言ったその言葉から来ていると思い込んでおられる節がある。しかし、その根拠は曖昧であり、聖徳太子の神話が独り歩きしているように思える。太子のこの言葉については、乱世の虚しさを前にして、仏にこそ真実を見るとするのが、一般的な解釈である。逆に森田のひそみにならえば、乱れた世間がそのまま真実世界であるはずなのである。
三重野(注4)は、森田の「事実唯真」を重んじながら、言葉は事実と相違することを指摘するために、「私は聖徳太子の言葉『世間虚仮 ・ 唯仏是真』を真似て、『言語虚仮 ・ 事実是真』といって説明しています」と記している。論旨は一応わかるけれども、この言い換えを以て、「事実唯真」の典拠が聖徳太子の言葉であったということにはならない。世間は事実そのものであり、これを削除したら「事実唯真」から離反してしまう。太子の言葉に重ねて言語の虚しさを表現するところに無理があり、さらにそれを森田の「事実唯真」に近づけようとなさったのであれば、無理が重なっている。
また井上(注5)は、森田から直接聴いた話としてでなく、三重野の意見を引き合いに出しながら、森田正馬は聖徳太子の言葉をもじって「事実唯真」と言ったと述べているが、論拠が薄弱である印象を免れない。
第二に、森田正馬は祖父正直の墓碑銘を、ある漢学者の撰により建てたが、野村(注6)は、その墓碑銘の末尾の言葉、「一心所根 唯在真実」に、「努力即幸福」、「事実唯真」などの重要な森田の言葉が、祖父の生涯と重なって見えるとしている。しかし、そこから「事実唯真」の語が立脚する思想までは読み取り難い。
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3. 「即事而真」
ところで、真言宗の教えとしてしばしば出てくる言葉に、「即事而真(そくじにしん)」がある。真言宗では、『大日経』と『金剛頂経』の両経典が教理の基本として重視されるが、『大日経』の註解書である『大日経疏』に、この「即事而真」の言葉が出ている。「事に即してしかも真なり」で、現実世界の事実そのままが真理である、事実を措いてほかに真理はないという意である。現実を重視するこのような考え方は、中国で生まれたもので、「即事而真」の語や思想は、華厳思想や天台の『摩訶止観』や『法華玄義』に既に見られたものであった(注7)。したがって密教に特有の言葉ではなかったが、わが国では空海の継承者らによって真言密教に取り入れられて、その独自の言葉になった。世俗的活動を重んじる真言密教において、その実践的な生活面に通じる生きた言葉として定着したものである(注8)。
真言仏教の専門書や啓蒙書に、この「即事而真」の語は出ており、森田がそれを知らなかったはずはない。
この「即事而真」を典拠にして、森田は「事実唯真」の語を作ったと考えるのが、字義的、意味的に自然であろうと思われる。
<文献>
- 注1) 森田正馬 : 神経質及神経衰弱症の療法. 高良武久, 大原健士郎, 中川四郎, 他 編 :森田正馬全集, 1 ; 384, 白揚社,東京, 1974.
- 注2) 森田正馬 : 同上
- 注3) 森田正馬 : 神経質及神経衰弱症の療法. 高良武久, 大原健士郎, 中川四郎, 他 編 :森田正馬全集, 1 ; 385, 白揚社,東京, 1974.
- 注4) 三重野悌次郎 : 森田理論という人間学 ; 110-111, 春萌堂, 東京, 1999.
- 注5) 井上常七 : 森田正馬先生から私が直接受けた指導(二). 生活の発見, 55(12) ; 44, 2011.
- 注6) 野村章恒 : 森田正馬評伝 ; 19-20, 白揚社, 東京, 1974.
- 注7) 鎌田茂雄 : 「即事而真」思想の成熟. 鎌田茂雄,上山春平 : 仏教の思想6 無限の世界観<華厳> ; 30-38, 角川書店,東京, 1969.
- 注8) 松長有慶 : 密教の特質. 佛教学セミナー, 31 ; 54-57, 1980(5).