森田療法における重要な仏教的用語(1)<補遺> ― 「事実唯真」の典拠になった真言宗の「即事而真」についての<補遺> ―

2020/08/05




 

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 しばらく時間を置きましたが、前稿を追加的に補う<補遺>の稿を掲げておきます。

 

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<補遺>
 
 「事実唯真」の典拠となったと思われる真言宗の「即事而真」は、中国の仏教用語であるこの語が主に日本の真言宗に取り入れられたものであった。それは、中国の仏教文化の中で生まれた含みのある言葉で、時代とともに、帯びる意味合いが微妙に変化した経緯があった。「即事而真」の含蓄的な意味を理解するために、背景事情として、語の由来する流れを、追加的に少し書き加えることにする。
 とは言え、筆者は中国仏教史の専門から遠い門外の徒である。資料としては、信頼できると思われるいくつかの文献を参照して流れを把握した。それを大まかにまとめて記すことにする。
 
1. 中国における「即事而真」の思想の系譜
 
1)発端となった僧肇の思想
 言葉として表れた「即事而真」は、東晋の僧肇(そうじょう)(374または384-414)に発する。僧肇は老荘の学にも通じていた天才的な仏教僧で、鳩摩羅什に師事して仏典の漢訳を助けた人物である。自身の著作集に『肇論』がある。
 まず、『肇論』の中の「不真空論」の文章の末尾に、「道遠乎哉。触事而真(道遠からむや、事に触して真)」とある(注1、注2)。この「触事而真」は「即事而真」につながっていく言葉で、現実肯定的な中国仏教の特質を端的に表したものとして重要である(注1、注2)。
 さらにまた、同じ『肇論』の中の「涅槃無明論」には、「天地與我同根。萬物與我一體」(天地と我と同根、万物と我と一体)と、万物一体観が述べられている。これは、『荘子』の「斉物論」に出ている「天地與我並生。而萬物與我為一」(天地我と並び生ず、而して万物と我とを一と為す)に則ったものとみなされる。このように僧肇においては、天地や万物と我は一体であるという荘子に通じる思想も表現されている。
 ところで森田正馬(注3)は、ある古歌と自分の替え歌を並べて示している。「世の中に我というもの捨ててみよ 天地万物すべて我が物。」という古歌をまず出した。これは僧肇または荘子のような、我と外界の対立を超越した諦観を表した歌であろう。しかし森田は、これをもじって自分なりの歌に詠み替えた。「何事も物其のものになってみよ 天地万物すべて我がもの。」この後者の方が、超越的な諦観ではなく、なりきる境地を示しており、より森田的であり、療法的である。けれども、前者の僧肇的、荘子的思想も森田にまで届いていたことは注目される。
 いずれにしても、現実を肯定的に受け入れる中国の精神的風土のもとで、荘子の万物斉同的な世界観にも接近しつつ、「触事而真(即事而真)」と表現される仏教的特質が 僧肇において最初に表れたのだった。
 このような万物一体観の思想は、さらに自然と人間との一体観につながり、自然界の草木のようなものにも、人間と同じように仏性が存在するという草木成仏説に通じていったことも否めない(注4)。
 


左から、僧肇、荘子



 

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2) 北周の武帝の「即事而道」の思想(注5)
 仏教はインドから中国に受け入れられて、南北朝時代には華美な伽藍が建ち並び、仏教は隆盛を極めた。しかし、それは未だインドの仏教の外面的な受容にとどまっており、インドの仏教を理解した上で、中国人の魂の救済のために自分たちの仏教を打ち立てるには及ばないものであった。そのため、インド仏教を超克して中国独自の仏教の確立をはかるべく、南北朝の末から北周の武帝は、廃仏毀釈を断行した。廃仏によって、華美な寺院を整理し、堕落した僧侶や教団を粛清し、出家仏教そのものを否定して、在家仏教を積極的に肯定した。このような在家仏教の戒律として「貪らない心がけ」を仏教道徳として、儒仏一体論的な「至道」を示した。武帝は、その「至道」を説明するに、次の一言を以てした。
 「事に即して言わば、いずれの処か道に非ざらん。」つまり、この現実以外に道を行う場所はなく、この現実こそが真理実現の場であると言ったのである。武帝のこのような「即事而道」の教えは、大乗仏教の「煩悩即菩提」に通じ、また古くは僧肇に始まって、隋や唐で用いられる「即事而真」の思想を側面から支えたのであった。
 

3) 天台智顗の「即事而真」の思想
 天台宗は、「法華経」を中心に据えて中国で隋代に興った宗派であり、その実質的な開祖となったのが、天台智顗(ちぎ)(538-597)であった。おこなった講義は、『摩訶止観』『法華玄義』『法華文句』の三大部に編纂され、天台宗の根本聖典となった。
 そのうち、『摩訶止観』と『法華玄義』に「即事而真」の語が出てくる。智顗における「即事而真」の思想は、苦悩に満ちた現実がそのまま仏の世界となるのであり、現実を離れて真実が存在するのではないとするものであった。ありのままの現実の一切が実相として絶対肯定される。煩悩のままで、すべてが妙有の一真実の世界となる。『摩訶止観』ではそのような境地が示されている。『法華玄義』では、人間の心の善と悪を超える絶対の境地が『即事而真』の観点から取り上げられている。
 先の武帝の場合は、国家の治世を進めるに当たって民衆に説く「即事而道」であったが、天台智顗においては、人間の実存的な苦悩をとくに問題にするものであった。
 
 なお、ここで筆者としてあえて一言つけ加えておく。
 天台智顗における「即事而真」の思想については、主に鎌田茂雄氏の文献(注5)を参照しながら記した。ところが、とくに『摩訶止観』における境地は、「即事而真」の用語の意味範囲を出て、現実を絶対肯定しながら、現実を超越する理想的な境地が指し示されているように思えてならない。ちなみに、『総合仏教大辞典』(注6)の「即事而真」の項には、「天台宗では即事而真の語を通教で説く空の意味をあらわすのに用いる」とある。「空」として解するのが適切なのか、釈然としないものが残る。しかし自分の浅学ゆえかも知れず、この点はみずからの理解の課題として残すことにする。
 


左から、智顗、澄観



 

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4)華厳宗の智儼(ちごん)の「即事備真」の思想
 南北朝末から隋代にかけて成熟した「即事而真」の思想は、華厳宗においても、その時代を生きた第二祖の智儼(ちごん)(602-668)に継承された。智儼は、大乗仏教における「生死即涅槃」の考え方は、「即事備真」を表していると言った。「備」とは完全に具備していることであり、事に即することによって完全なる真が存在し得るという見地を示した。
 このように事と理の融即を重視する華厳の思想は、さらに続いて、第四祖の澄観(738-839)において、事と理の関係から法界が四つに分かれる、「四法界」の説が立てられた。
 「事法界」、「理法界」「理事無礙法界」、「事事無礙法界」の四法界である。華厳宗自体の立場はどこにあるのか、それが確固としないので、不明瞭な点がある。しかし、理を去った「事事無礙法界」は「即事而真」に当たるとするのが自然な見方である。これは、真言宗の立場からも認めているようであり(注7)、またそれは真言宗にとって、その「即事而真」の思想が天台宗のそれと異なることを言うに当たって、十分な根拠を提供することになろう。
 


左から、慧能、玄覚、石頭、良价



 

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5) 禅との接点
 
 西暦600年前後、南北朝末から隋代にかけての頃、北周の武帝による仏教の改革とほぼ時期を同じくして、菩提達磨が中国に入国して禅宗の開祖となった。即事而真の思想は、達磨に始まった禅宗の思想との間にも流れ込んだ。禅は事実をそのまま受容して、自己を尽くすことを旨とするものであろうから、即事而真と通じるのは自然である。
 両者の明らかな接点は、中国曹洞宗の淵源となった石頭希遷(700-790)の見解に遡る。希遷は、僧肇の『肇論』の中の句、「会万物為己者其聖人乎」(万物を会して己と為す者は聖人のみ)を読んで、深く心に感じ、『参同契』を著した。その題は「法は散らばり入り組んでいるが(交「参」)、本来全く一致して(同契)、融通し合っているという意味で、差別の現象と平等一如の実相とが相即円融する様を表している(注8)。そして『参同契』の中で、「理事参同回互、毎一門都有一切境界在」(理事は参同回互し、すべての門に一切の境界がある)、とした。
 中国曹洞宗の系譜は、六祖慧能の弟子の青原行思を発端とするが、その弟子の石頭希遷に至り、『参同契』によって「即事而真」思想と重なる禅的世界観が述べられたのであった。この思想の系譜として、その後、東山良价(807-869)が著した『寶鏡三昧』がよく知られている。
 一方、曹洞宗で重んじられる『証道歌』を著した永嘉玄覚(665-713)は、六祖慧能に指導を受けた人物であった。当時官吏であった魏靖という人物が、『証道歌』の序の言葉として「即事而真」と書いたとされる。このように、慧能の時代に既にこの語は、禅の領域に取り入れられている。以後禅家によって禅的な意味で用いられるようになった。主に曹洞宗系の分野で使われたように見受けるが、それは石頭以来の系譜によるものであったのか、事情は明らかではない。


空海



 

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2. 真言宗における「即事而真」の思想
 
 「即事而真」は、以上のような経緯を経て、わが国に入ってきたものであり、しかも、それはあたかも真言密教の専売特許のような特有の用語となってしまったのだった。では空海が独自にこの用語を中国からわが国に導入したのかというと、そうではない。空海の著作の中には「即事而真」の語は現れないのである。
 真言宗につながる経典の中で、この語が出てくるのは『大日経』の注解書である『大日経疏』の巻第一の冒頭部分の一節においてである。それを次に引用しておく(注9)。
 
「即事而真無有終尽(事に即してしかも真なり、終尽(しゅうじん)あることなし)」
 
 真言宗における「即事而真」の語の使用は、この『大日経疏』に拠って、空海の後進の学匠たちが取り入れたことによるとされる。しかし空海が『大日経疏』を読まなかったはずはなく、その中に出ている用語、「即事而真」になぜ言及しなかったのか。その理由は不明であるが、独自の思想体系を構築しようとしていた空海は、わが国で天台宗や華厳宗など、他の宗派にも導入されたこの用語の採用を保留したとも考えられる。
 いずれにせよ、真言宗の密教的思想と体験の中で、「即事而真」は重要な意味を帯びていく。空海は、『大日経』や『金剛頂経』などの密教経典を重んじ、宇宙的な大きな摂理と、多くのいのちある者たちの現世の生活をひとしなみに捉えた。そして大宇宙としての究極の真理は、大日如来として人格化され、小宇宙としての人々の中にも大日如来が内在する。そこには、すべての現象世界の事物がそのまま真実であるという思想があった(注10)。真言宗においては、「即事而真」は中国における現実重視の意を基本的に含みながらも、このような密教的な意味合いが加わっていた。
 
 「真言宗」でよく使われる「即事而真」の語について、密教的に付加された意味をやや強調して、以上に記した。そのことを考慮に入れても、真言宗の「即事而真」は、森田の造語の「事実唯真」に極めて意味が近いし、語義としては両者は同じと言ってよいほどである。また両者は同じような四字熟語的な言葉である。したがって「即事而真」が「事実唯真」の典拠になったと考えるのは自然ではなかろうか。森田は典拠を記していないが、真言宗を深く学んでいた森田が、「即事而真」の語を知らなかったはずはない。むしろ、療法向けの教えの言葉を造ったのであるから、密教思想の持ち込みを疑われることを避けるためにも、典拠に触れなかったと考えることができるのである。
 実際、森田の療法で「事実唯真」は重要な言葉として生かされるようになったが、森田はこの語を密教的な意味で使うことはなかった。
 真言密教との関係では、形外会で面白いことを話している(注11)。患者が屁理屈がうまく、初めから反抗してかかるような場合には、自分は喧嘩腰になることがあると言っているくだりで、「僕の田舎の家の寺は真言宗で、僕は中学校からその方の研究もボツボツやった。それで真言宗の祈祷者の心持は『施主は是れ未成の金剛薩陀。行者はこれ現成の大日如来』といって、『治してもらう者は、訳のわからぬ凡夫であるが、これを治してやる自分は、大日如来の代理であるぞ』という信念をもってする。」と述べている。この気合いが習慣になって、取れなくて困るとも言っている。森田らしさが溢れているエピソードである。また森田が、真言密教への関心を持ち続けていたのも事実である。
 しかし、こと「事実唯真」の言葉の説き方に関する限り、極めて合理的であったことは、多くの森田療法家の認めるところであろう。やはり「事実唯真」は、森田の親しんだ真言宗の「即事而真」を典拠として生まれたと推測してよかろうと思われる。

 
<注(文献)>
 

  • 1) 奥野光賢 : 吉蔵における僧肇説の引用について.印度学佛教学研究 34 ; 498-501,1986.
  • 2) 伊藤隆寿 : 吉蔵の儒教老荘批判. 印度学佛教学研究 34 ; 502-509,1986
  • 3) 森田正馬 : 精神修養に関する歌. 高良武久ほか編 : 森田正馬全集 第七巻 ; 453, 白揚社, 1975
  • 4) 鎌田茂雄 : 三論宗・牛頭禅・道教を結ぶ思想的系譜―草木成仏をてがかりとして―. 駒沢大学仏教学部研究紀要 26 ; 79-89, 1968
  • 5) 鎌田茂雄 : 第一部 華厳思想の本質. 鎌田茂雄,上田春平 : 仏教の本質 6 無限の世界観 <華厳> ; 20-196, 角川ソフィア文庫, 2006
  • 6) 堤玄立, 上別府茂, 吉岡司郎 編 : 総合佛教大辞典. 法蔵館, 2005
  • 7) 北川真寛,土居夏樹 : 「一乗経劫」について―即身成仏思想に関する問題―. 高野山大学密教文化研究所紀要 第19号 ; 43―70, 2006
  • 8) 中村元, 福永光司,田村芳朗,今野達, ほか編 : 岩波仏教辞典 第二版. 岩波書店,1989
  • 9) 宮坂宥勝 : 大日経疏(抄). 密教経典; 177-312, 講談社, 2011
  • 10) 松長有慶 : 密教の特質. 佛教学セミナー 31; 42-57, 1980
  • 11) 森田正馬 : 第46回形外会. 高良武久ほか編 : 森田正馬全集 第五巻; 540, 白揚社, 1975

森田療法における重要な仏教的用語(1)―「事実唯真」の典拠になった真言宗の「即事而真」―

2020/08/05




 

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<最初に>
 
 森田療法には、療法の鍵のようないくつかの重要な用語がある。それらは、日常的な平易な言葉を生かしたものだったり、森田自身による造語だったり、また深い思想がこめられた仏教的な用語だったりする。そのうち、とくに仏教的な用語の場合は、その深い意味がえてして難解なままに、私たちはなんとなく森田に倣って使っていることが多い。
 昨年秋の日本森田療法学会でのシンポジウムで、仏教や禅と森田療法について報告させて頂いて、その際に森田療法の中の重要な仏教用語についても述べたが、なにぶん限られた時間内にて、簡単な言及をするにとどまった。その抄録の小論文原稿は提出したので、問題がなければ学会雑誌の春号に掲載して頂く運びになるだろうけれど、発表は多彩な内容を含んでいたため、抄録でも、やはり個々の内容はそれぞれ簡潔に記さざるをえなかった。
 そのため、森田療法における仏教的用語について、省略した部分を補いつつ、より自由な記述で伝えたいという思いが残っている。療法の中の代表的な仏教的用語(実は仏教的用語であったと判明する言葉を含む)のうちで、代表的なものとして、学会シンポジウム時と同じく「事実唯真」、「あるがまま」、「煩悩即菩提」の三語を取り上げ、順に説明していきたい。学会で済ませた発表および学会雑誌向けの抄録論文と要旨は重なるだろうが、自由な視点から改めて書き直してみる。

 

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 森田療法における重要な仏教的用語(1)―「事実唯真」の典拠になった真言宗の「即事而真」一


 
1.「事実唯真」
 まず、森田療法の教えの真骨頂であると思えるような重要な用語に、「事実唯真」がある。森田は「非事実者非真也(事実に非ざるは真に非ざる也)」とも言い換えて教えた。それらの言葉はよく色紙などに揮毫して進呈しており、森田自身、この教えの言葉を重視していたことがわかる。この「事実唯真」という素朴な言葉は、森田療法ならではの教えとして、実に重い。
 森田は、「余は試みに『事実唯真』という標語を作って見たが、…」(注1)と書いているが、その典拠を記してはいない。そして続く次の文章では、「…事実は何とも動かす事が出来ないから、常に事実を事実として之を忍受し、服従しなければならない。」(注2)と付け加えている。さらに『論語』(学而第一)を引用し、「子夏が『賢を賢として、色に易へ』といったのは、『事実を事実として感情に誘惑されず』といふ事になるのである」と、述べている(注3)。しかしこれは、「事実唯真」を敷衍した引用であり、子夏の教えが「事実唯真」の典拠になったことを意味しない。
 


「非事実者非真也」。三聖病院に掲げられていた森田正馬の墨跡。



 

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2. 「事実唯真」の典拠についての従来の説
 森田による「事実唯真」の語の典拠については、従来二つほどの説がある。
 その第一は、聖徳太子の言葉「世間虚仮 唯仏是真」(天寿国繍帳)によるとするものである。森田療法の関係者の多くの人たちが、聖徳太子の言ったその言葉から来ていると思い込んでおられる節がある。しかし、その根拠は曖昧であり、聖徳太子の神話が独り歩きしているように思える。太子のこの言葉については、乱世の虚しさを前にして、仏にこそ真実を見るとするのが、一般的な解釈である。逆に森田のひそみにならえば、乱れた世間がそのまま真実世界であるはずなのである。
 三重野(注4)は、森田の「事実唯真」を重んじながら、言葉は事実と相違することを指摘するために、「私は聖徳太子の言葉『世間虚仮 ・ 唯仏是真』を真似て、『言語虚仮 ・ 事実是真』といって説明しています」と記している。論旨は一応わかるけれども、この言い換えを以て、「事実唯真」の典拠が聖徳太子の言葉であったということにはならない。世間は事実そのものであり、これを削除したら「事実唯真」から離反してしまう。太子の言葉に重ねて言語の虚しさを表現するところに無理があり、さらにそれを森田の「事実唯真」に近づけようとなさったのであれば、無理が重なっている。
 また井上(注5)は、森田から直接聴いた話としてでなく、三重野の意見を引き合いに出しながら、森田正馬は聖徳太子の言葉をもじって「事実唯真」と言ったと述べているが、論拠が薄弱である印象を免れない。
 第二に、森田正馬は祖父正直の墓碑銘を、ある漢学者の撰により建てたが、野村(注6)は、その墓碑銘の末尾の言葉、「一心所根 唯在真実」に、「努力即幸福」、「事実唯真」などの重要な森田の言葉が、祖父の生涯と重なって見えるとしている。しかし、そこから「事実唯真」の語が立脚する思想までは読み取り難い。
 


三聖病院内に掲げられていたもの。



 

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3. 「即事而真」
 ところで、真言宗の教えとしてしばしば出てくる言葉に、「即事而真(そくじにしん)」がある。真言宗では、『大日経』と『金剛頂経』の両経典が教理の基本として重視されるが、『大日経』の註解書である『大日経疏』に、この「即事而真」の言葉が出ている。「事に即してしかも真なり」で、現実世界の事実そのままが真理である、事実を措いてほかに真理はないという意である。現実を重視するこのような考え方は、中国で生まれたもので、「即事而真」の語や思想は、華厳思想や天台の『摩訶止観』や『法華玄義』に既に見られたものであった(注7)。したがって密教に特有の言葉ではなかったが、わが国では空海の継承者らによって真言密教に取り入れられて、その独自の言葉になった。世俗的活動を重んじる真言密教において、その実践的な生活面に通じる生きた言葉として定着したものである(注8)。
 真言仏教の専門書や啓蒙書に、この「即事而真」の語は出ており、森田がそれを知らなかったはずはない。
 この「即事而真」を典拠にして、森田は「事実唯真」の語を作ったと考えるのが、字義的、意味的に自然であろうと思われる。
 
<文献>

  • 注1) 森田正馬 : 神経質及神経衰弱症の療法. 高良武久, 大原健士郎, 中川四郎, 他 編 :森田正馬全集, 1 ; 384, 白揚社,東京, 1974.
  • 注2) 森田正馬 : 同上
  • 注3) 森田正馬 : 神経質及神経衰弱症の療法. 高良武久, 大原健士郎, 中川四郎, 他 編 :森田正馬全集, 1 ; 385, 白揚社,東京, 1974.
  • 注4) 三重野悌次郎 : 森田理論という人間学 ; 110-111, 春萌堂, 東京, 1999.
  • 注5) 井上常七 : 森田正馬先生から私が直接受けた指導(二). 生活の発見, 55(12) ; 44, 2011.
  • 注6) 野村章恒 : 森田正馬評伝 ; 19-20, 白揚社, 東京, 1974.
  • 注7) 鎌田茂雄 : 「即事而真」思想の成熟. 鎌田茂雄,上山春平 : 仏教の思想6 無限の世界観<華厳> ; 30-38, 角川書店,東京, 1969.
  • 注8) 松長有慶 : 密教の特質. 佛教学セミナー, 31 ; 54-57, 1980(5).