アタラクシー、瞑想、禅、そして森田療法(その1) ― Nyl ERB 女史らの論文紹介後に著者と交わした討論―

2016/06/23

12

        アルザスには曹洞宗の禅寺、RYUMON-JI(龍門寺)がある。そこでおこなわれている摂心。
            (写真はRYUMON-JIの案内冊子より)
 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      ♥

 
1.「アタラクシーと精神分析」(前回の紹介論文)を受けて
 先に、Nyl ERB 女史らの「アタラクシーと精神分析」という珠玉論文を紹介しました。それは精神分析の立場から森田療法について、論考を試みたものでした。ただし、その立論に対して、いくつかの問題を指摘せざるを得ませんでした。とりわけ、森田療法を正面から論じきることを保留し、アタラクシーという古代ギリシア哲学の用語を森田療法に当てて、それと精神分析を対比した点に、問題を含んでいたのです。
 辛辣ながら、前回そのようなコメントを書きました。
 ちょうどそれを書いた直後(6月11日)に、Nyl ERB 女史からメールが届き、こちらの懸念している“アタラクシーと森田療法の関係”について、ご自身の立場からの説明が記されていました。
 それを皮切りに、女史との間で、メールでメッセージをやりとりして討論を交わしました。文化を異にする者同士、逐一討論することは必要です。短い論文に書かれていなかった空白部分を、かなり埋める共同作業をすることができたのです。
 それらを次に紹介します。
 

蓮

         ストラスブールにある Centre de bouddhisme Zen 禅仏教センター(曹洞宗系)の案内冊子。
        Méditationの文字が大書されている。
 
2.私たちのやりとり
〈Nyl ERB女史より〉
 「アタラクシーと禅は、実際には別のものだろうと思っています。西洋でも、その志を持つ人は禅に触れる体験をしているわけですけれど、ヨーロッパにおける存在の哲学は、禅や仏教と本来対極にあるものです。フランスでは、誰もが ZEN に興味を持っています。しかし、それはあまりにも俗化した次元での関心であり、ZENを深く知ってのことではありません。厳密な意味においては、私自身も禅を語る資格はないので、アタラクシーに関係づけて述べておく方が適切だと考えたのです。また、言葉を媒介にする精神分析に対して、沈黙によるアプローチをするという森田療法が目指す境地は、アタラクシーに近いのではないかと推測したのです。でも、森田療法を理解することは難しいです。森田療法は、知的に理解するものではなく、体験的に知るものでありましょう。われわれの間にある差異もまた、差異を知ることで一層理解し合えるのではないかと思います。」(6月11日)
 
 このようなメッセージをもらったことで、違いを理解しようとしてくれる柔軟な姿勢を読み取ることができ、その姿勢こそ評価するに足ると思いました。
 

   ♥      ♥      ♥

 
そこで、アタラクシーと森田療法の関係について、こちらから意見や疑問を投げかけることにして、およそ次のような内容のメール文を書き送りました。
 
〈当方より女史へ〉
 「精神分析と森田療法の比較検討は、古くて新しい問題です。先行研究は少なからずありますが、多くは言い古された指摘にとどまっています。そんな中で、森田療法の目指すものを、アタラクシーとほぼ同一視した、唐突とも思えるような論考に触れて、私は戸惑いを覚えました。森田療法を禅と重ね、禅をアタラクシーにつないでいることは察しがつきます。それにしても、森田療法もしくは禅と、アタラクシーとの異同を、もう少し明確にして論を運ぶべきであったのではないでしょうか。したがってその点を論じる必要性が残されています。そのため、ひとつの手がかりをこちらから提供します。それは禅における究極の境地とされる『悟り Satori』についてであり、かつそれがアタラクシーとどう関係するかを、点検してはどうかという問題提起なのです。
 禅の体験の究極の境地は、『悟り(Satori)』であるとされます。悟りとは、主体としての自己が客体としての自己と対決し、その二元的対立の果てに、『真の自己』の境地に至るものです。それは、心身や主客や自他や生死の二元的対立のない、あるがままの自己である境地です。そこにおいては、悟りと迷いの二元論的対立すらありません。迷いの渦中で必死に生きている状態が悟りであり、逆に悟りを開いたと思って自負するとき、既に迷いの中に転落しているのです。
 人生に煩悩はつきものです。あるがままとは、煩悩を超越することではなく、煩悩に執着しないでそのまま生きることを意味します。禅の修行において、座禅がおこなわれるのは、心身がひとつになった状態で、あるがままの自己を体験する方便として、座禅が定着したものだからです。座禅や禅の修行は、煩悩を超越した神聖な境地を目指すものではなく、人間としてあるがままに生きようとする努力を、方法として凝縮したものであり、それ以上の特殊なものではありません。
 禅と禅における悟りについて、基本的に以上のように理解した上で、アタラクシーと対比する必要があるでしょう。
 しかし、その前に追加すれば、禅の悟りというものにも、さまざまな捉え方があるのです。ひとつの有名な例を紹介します。
 かつて戦乱の時代に、戦に巻き込まれて火炙りの刑に処せられた有名な禅僧がいました。快川(Kaisen)というその僧侶は、火刑にされる前に、次のような辞世の言葉を残しました。
 『心頭を滅却すれば、火もまた涼し』
 禅の悟りをあえてアタラクシーと重ねるならば、火を涼しいとする境地はアタラクシーに相当するのでしょうか?
 しかしながら、火は熱いのが当たり前です。殺されたくない、死にたくないのが当たり前です。森田正馬なら、火を涼しいとわざわざ言うような悟りを、きっと受け入れなかったでしょう。森田は、治癒と禅の悟りを同一視しました。ただし森田は、『生きるために火花を散らして働くようになったのを悟り』と捉えたのです。悟りについての森田の見解はおそらく的確です。火を涼しいという悟りは、凡人にとって無用のものだと、私は考えています。
 以上に述べたことを考慮して、アタラクシーと禅と森田療法を対比してほしいと思います。」(6月13日)
 

   ♥      ♥      ♥

 
以上のような私からのメッセージは、女史にある程度まで通じたようで、反応のメールをもらいました。彼女の発言は、先の論文内容よりも深まってきました。しかし理解と同時に新たな誤解も発生し、彼女からの疑義も呈されています。
 ともあれ、彼女からのメッセージを紹介します。
 
〈再び Nyl ERB 女史より〉
 「あなたが禅について書いてくれたことをよく読み返しました。そしてその結果、厳密な意味での禅思想と、ヨーロッパで一般に安易におこなわれている禅の思想とを、混同すべきでないことを改めて知りました。
 ヨーロッパにおける禅は、当面のストレスや不安を解消するのに役立つメディタシオン(瞑想)につながっています。それはある種の流行現象ですが、実利的なもので、医師もそれを活用しています。以前はルラクサシオン(リラクゼーション)と呼ばれていたものに当たります。このメディタシオン(瞑想)は、インドの仏教の僧堂で僧侶のもとで修行した人たちによって、ヨーロッパにもたらされたものです。
 さて、禅思想がとりわけ仏教の本質に触れるものであることは言うまでもないようですが、その哲学は、自己への畏敬と、satoriと呼ばれる覚醒体験に至るような生の高揚にあるということを知りました。そのような禅が探求するのは、絶対的な生そのものになりきるために、煩雑な生を空にする法なのであろうと私は考えます。だからこそ、火炙りになる僧をして、火は涼しいと言わしめたのではないでしょうか。
 アタラクシーは、このような究極の至福の追求に類しますが、satoriの境地に達するものではありません。
 森田療法の対象患者は神経質で、悪しき生を生きており、satoriの追求からほど遠く、単に幸福になりたいと念願しているだけである―、だから森田療法はその願望を実現してやるために、彼らをsatoriへの道へと導いてやる、ということでしょうか―。
 ところが、私はあなたのメールをまた読み直してみて、とんでもない勘違いをしていることに気づきました。森田は治癒とsatoriを同一視した。彼によれば、必死で生きている状態そのものがsatoriなのである、と書いてあるからです。
 より良い幸福の追求は精神療法のひとつの本旨であり、それを描いている野中剛監督の(三聖病院)の映画から、ある種のアタラクシーを感じ取れますが、そのようなアタラクシーとも懸隔があることになるのでしょうか。
 先の小論で私は、精神療法間の対比として、森田療法と精神分析の違いを述べました。しかし、一体、精神療法あるいは森田療法の営みは治癒を可能にすると信じるべきなのでしょうか? 私は懐疑的になっています。絶えず極度に緊張して生活することは、確かにより良いひとつの生き方かもしれませんが、それで最良の人生を取り戻すことになるのでしょうか! 私は疑問に思います。
 是非あなたの考えを知らせてください。」(6月20日)
 
 メッセージの終わり近くなって、混乱と疑問が噴出しています。
 
〔女史の混乱〕
 一旦は整理がついたかに見えた、アタラクシーと森田療法や禅との関係が、再度混乱しています。その原因として、ひとつには、禅の本物の悟りは日常生活を必死に生きている状態にこそあるという見方が、まだ腑に落ちていないらしいということがあります。さらに三聖病院のドキュメンタリー映画を観た女史は、そこではアタラクシーが主題になっているかのような印象を受けたようで、その記憶がよみがえった模様なのです。女史は熱心な人なので、これらのことについては、もっと根気よく伝え続ければ、理解を得られるはずです。
 
〔女史の疑問〕
 もうひとつ、大きな問題は、森田療法における治癒とは何かということを、女史が突きつけてきたことです。フランス人が、いきなりこの問題に飛びついてきました。
 これはわれわれにとっても大問題です。近年、私自身も思っています。森田療法は神経症の治療という狭い領域にとどまる必要はない。極論すれば、例外的な場合を除いて、神経症を治療対象にする必要はない。森田療法はみんなのものである。万人の人生とともにある智恵として、社会のあちこちで現に生かされているであろうし、より一層生かされるとよい。森田療法は人間が呼吸している空気のようなもので、特別なものではないけれど、不可欠なものである。そのような柔軟な見方、生かし方が、とりわけ忘れられています。(手前味噌になりますが、そんなことを昨年小著に記しました)。
 味噌臭くなりましたが、この問題も、賢明な女史は理解してくれるはずです。
 かくして、やりとりはまだ続きますが、本日はここまでです。
 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      ♥

 
注記
 最後になりましたが、文中で度々用いてきたアタラクシー(英語読みでは、アタラクシア)という言葉の語義を、念のため書き添えておきます。
 〔ataraxie(仏)、ataraxia(英)〕
 古代ギリシアのエピクロス派が用いた言葉で、語源からは、何ものにも邪魔されない状態のことであり、外界から煩わされない精神の平静、安定を指した用語である。エピクロス派はこのような状態に快楽があるとし、それを理想の境地として追求した。
 

本日5

「アタラクシーと精神分析」― Nyl ERB, Muriel Falk VAIRANT 著の論文について ―

2016/06/12

二人

 
 雑誌PsyCause日本特集号に掲載された論文の一つ、Nyl ERB女史(精神分析家)とMuriel Falk VAIRANT医師による“Ataraxie et psychanalyse”(「アタラクシーと精神分析」)という論文の要旨とその内容について紹介します。
 まず、論文のRésuméを原文のまま掲げ、続いてコメントを書き加えます。
 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      ♥

 

文章

 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      ♥

 
 著者らは、森田療法を精神分析と対比して、まず、両者は人間を幸福に至らしめんとする点では相通じることを認めています。ただし、両者は思想や道筋を、かなり異にしているということを指摘して、次のように言います。
 
 精神分析では、個人の歴史における過去の体験を取り上げる。そこでの基本的手法は言語である。対話によって欲動を変化させ、思考に自由を与えて、個の自我を再構築をはかるのである。
 古代ギリシャのアゴラは、公衆の議論の場であった。集団の中での個々人の対話の積み重ねによって、西洋の民主社会ができた。西洋の建築においては、個々に分析された細部からなる構築によって、華麗にして重厚な建築物ができた。宗教の次元でも、キリスト教では、過去の出来事の中で歴史選択がなされてきた物語としての聖書が、重きをなしている。
 個人の精神分析においても然り。言語による対話によって、過去からの解放をはかり、それを起点に、新たな人生に立ち向かわせる。その試練を経て、穏やかな幸福がもたらされるのである。
 一方、森田療法は、主体をアタラクシーの境地に到達させようとするものだと、著者らは言う。アタラクシーとは、ギリシャ語を語源としており、あらゆる苦悩を超越した魂の深い静寂の境地のことであり、それが森田療法における幸福なのであると。
 そして森田療法の治療の方法として、次のような特徴を挙げている。
 入院森田療法では、僧院のような環境で、規律のもとに行われ、まず、沈黙が課せられる。しゃべることの禁止によって、他者との関係性は遮断され、自己を見つめる瞑想のような体験が惹起される。次に視点を外界に移し、観察し感じたことを日記に書き、それに対して治療者の助言が与えられる。このような徒弟奉公的な営みに、ある種の充実や至福が感得される。沈黙はまた、思考を停止させ、ある種の脈絡のない思考と、瞑想的で理性によらない覚醒体験へと通じていく。このような心的過程は、精神分析ではありえないものである。
 森田療法のそのような仏教的治療哲学においては、個は個として存在しえず、集団の中に差し戻されるのである、と。
 
 こうして著者らは、精神分析と森田療法の間に見られる相違は、それぞれの療法が依拠する文化の相違によるとして、日本における仏教について言及して、次のように述べています。
 
 仏教の基本的原則として、教義と実践がある。
 仏教の教義は、多くは、段階的な指導のかたちで教示される。ブッダは、まずわれわれの眼に現実の姿を見せつけ、次いで新たにその分析をさせ、究極においては、ブッダ自身が事物を見ているような見方、つまり《あるがまま》に見る見方へと吾人が到達できるように教えたもうた。
 仏教の実践面においては、さまざまな修行や霊的な訓練があるが、仏教者たちはそれを生かして、個別の体験から仏教の教えの意義を知って、霊的な道を前進し、目標としての悟りと解脱の境地に達するのである。
 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      ♥

 
 以上で、著者らの論文内容を、日本語文で要約的に紹介しました。原文の記述の順序に、必ずしも従っていませんが、内容を忠実に再現するように努めて記述しました。短い論文なので、ほぼ全体を漏らさず紹介したことになります。
 さて、この論文では、精神分析についての説明は的確で、教科書的であり、われわれにとってもお馴染みのものです。問題は、著者らの森田療法の捉え方です。私たちはその理解のしかたに大いに困惑を覚えるのです。
 この論文で、森田療法の目指すものは、苦悩を超越したスピリチュアルな静寂と安らぎの境地であると捉えられています。そしてその境地を指して、古代ギリシャ哲学由来のアタラクシー(ataraxie)という語が当てられています。フランスでは、ZENの体験は、しばしば ataraxie という言葉とその概念で説明されることがあると聞きます。このような禅理解のしかたが生じる思想的背景には、それなりの歴史的事情があるでしょう。まずヨーロッパに入ってきた仏教は、旧植民地であった東南アジアの南伝仏教、つまり小乗仏教(上座部仏教)でした。その後、日本から禅が導入されましたが、それは曹洞宗の禅でした。もちろん小乗仏教と曹洞禅は、仏教としてかなり異なります。しかし、いずれにおいても、俗界を離れてひたすら修行に打ち込むことが重んじられる点では、相通じるところがあるので、フランス人にとって、区別が困難だったことでしょう。仏教に超俗的な自己研鑽を見た彼らは、自分たちの文化の中にあるキリスト教的な瞑想と似通うものを、(小乗)仏教や(曹洞宗的)禅に見たのです。そしてそこに見たものをさらに深く理解しようとして、古代ギリシャ哲学にまで遡り、アタラクシーという用語や概念を持ち出すことになったのだと思われます。
 近年、ティク・ナット・ハン師のような、小乗、大乗の区別を超えた偉大な指導者がフランスにおける仏教に影響を与えていて、日常における瞑想(メディテーション/メディタシオン)が推奨されています。セクトにこだわらない大らかな仏教が、受け入れられるのは、望ましいことです。しかし、禅については、なお理解困難なままに、フランス人はためらいながら、それを瞑想(メディテーション/メディタシオン)という行いに結びつけるとともに、その究極の体験を知的分別で説明しようとして、アタラクシーという哲学用語を当てるのです。
 本論文の著者らも、禅仏教の目指す境地として、同様の先入観を持っていたことが、期せずして明らかになりました。つまり、森田療法と禅の関係をある程度知った段階で、性急にも一足飛びに、森田療法をアタラクシーに結びつけてしまったのです。論文においては、森田療法なるものについて若干の記述があるのですが、それがどのようにアタラクシーに繋がるのか、記述に脈絡がありません。
 しかしこの著者らが言葉足らずに書いた森田療法の説明は、実は三聖病院でおこなわれていた療法の特徴を記述したものにほかならず、そのような意味では、意外にも描写は的を射ているのです。彼女ら(著者ら)は、一昨年秋に京都に来て三聖病院を訪問した PSYCAUSE のグループの中にいた人たちで、それなりにこの病院を鋭い眼で分析的に観察したようです。言うまでもなく、三聖病院の独特の禅的森田療法に、森田療法の普遍的な本質があるかどうか、それには肯んじ難いものが残ります。京都に来たフランス人たちを、閉院間際の三聖病院に連れて行くのが、私には精一杯の「おもてなし」でした。その結果、熱心に訪問に加わった本論文の著者らにより、三聖病院の事実がフランス人の眼で冷徹に指摘されたことは、思いがけない収穫だと考えます。
 それにしても、三聖病院の療法の営みと、アタラクシーを直結させて考えるには、かなりの無理があります。森田療法の本質を禅に近いものとして、彼ら、彼女らに紹介してきたのは私自身なのですから、著者らが森田療法を禅との関係で理解しようと努めてくれることについては、私自身それを好ましく思うものです。しかしながら、一挙にアタラクシーに持っていく理解のしかたを提示されると、私は伝え方の不首尾に責任を感じますが、同時にやはり違和感を禁じ得ません。著者らは、そのように論を運ぶ根拠を有していないはずです。何を以てアタラクシーとするのか、残念ながら、彼女らの論旨には、空白があります。導かれる結論が突飛なのです。禅あるいは森田療法をアタラクシーとみなす先入観ありき、の論文の印象を拭えません。
 

 そのため、森田療法と禅について、改めて若干のことを補わねばなりません。
 森田正馬が「煩悩即菩提」という禅語を引用して教えたように、煩悩を抱えて生きること、そのままで悟りなのです。苦を苦とし、苦のままに生きるほかありません。悟りというものは、不可解なものです。苦悩を超越した域に至福の境地があるのかどうか、そのような命題にわれわれは関わる必要はありません。少なくとも、そのような境地の追求は、森田療法から逸脱していきます。
 森田正馬は、治癒と禅における悟りを同一視しました。ただし、森田は、「生きるために火花を散らして働くようになったのを悟り」というとしており、それが即ち治癒の姿なのです。悟り澄ました至高の心的境地を問題にしているのではありません。アタラクシーは論外のことになります。
 この辺の重大事については、日本人でも、とくに神経症の罠にはまっている人たちが、しばしば誤解をするところです。ましてフランス人に理解してもらうことは容易ではありません。でも同じ生身の人間同士、やりとりを重ねることによって、きっと理解してもらえるだろうと思っています。
 
 なお、禅の悟りの境地の捉え方について付言すれば、禅の思想的立場によっても微妙に異なると思われる節があります。禅の悟りをアタラクシーと捉えてしまう陥穽は、禅の悟りの問題と西洋の知との相対性の中に潜んでいるのかも知れません。
 ここでは長くなるので、稿を改めたいと思っています。
                                             (6月11日 記)
 

追記1.

 紹介した論文の著者のひとり、Nyl ERB 女史とは随時メールのやりとりをしていますが、上記の文章を書き終えた6月11日の夜、女史は彼女らがアタラクシーという用語を持ち出した理由についての説明を書き送ってきました。その趣旨の紹介を含め、アタラクシー、禅、森田療法について、次回にコメントを追加する予定です。
 
追加2.

 森田療法へのフランス人の反応に関しては、小著(『忘れられた森田療法』)の最終章に記しました。森田療法の日仏交流にご関心を持って下されば、参照して頂けると幸いです。今ここに書いていることは、その交流の流れの続きを、リアルタイムで補足的に報告しているものです。
 

puse_02[1]

Nyl ERB女史(中央)とMuriel Falk VAIRANT医師(右)。 2014年10月20日、京都での PSYCAUSE学会にて。
 

072509[1]

Muriel Falk VAIRANT 医師(写真左)。2014年10月21日、三聖病院にて。

‟ Les psy causent ” ー 心は「すったもんだ」 ー

2016/06/04

表紙画像 (2)lp
 

  雑誌 PsyCauseの日本特集号が刊行されたことを、先日のブログでお知らせしました。

  この特集は、一昨年(2014年)秋に京都において、森田療法を主なテーマとして国際PsyCause学会を開催したことに端を発します。学会の成果を中心に、翌年(2015年)の学会誌に日本特集を組もうという企画が生まれたのでした。そして“Cahier Japonais”(日本についての論考)の号がやっと日の目を見ました。2015年の最終号ですが、刊行が遅れて、本年3月末に出たものです。

  この号の編集には当方も介入しました。しかし相手方には、特集号の刊行を、今後のさらなる日仏交流につなぐ礎石にしようとする目論みがありました。京都を中心とするわれわれ西日本の少人数のグループには、そんな相手の希望に応じるだけの組織力がありません。この特集号の発行の水面下には、相手方との間にそのような葛藤がありました。フランス語圏とは言え、国際的な学会組織とわれわれ少人数が渡り合うのはかなり無理があって、骨が折れます。

  実を言えば、一昨年に学会を引き受けざるを得なくなった時点で、日本国内の francophone のプシ関係の先生方や、あるいは個人を超えて組織として PsyCause学会と趣旨を共有するところが多いと思われる日本の学会、とりわけ「多文化間精神医学会」のような学会組織に、交流をお引き受け願えればと、内心考え続けてきました。しかし当面の学会開催、三聖病院の閉院という事態、日本特集号編集など、すったもんだで現在に至ります。

  日本特集のこの号には、雑誌の各論文にカラー写真が添えられました(陰の声あり:文章が主体か、カラー写真が主体か)。それはよいとしても(陰の声:よいかどうかわからない)、日本側から寄稿した論文に添えられた写真の大半は、一昨年にフランス人たちが来訪したときに、京都や奈良の観光に出かけて撮影したものです。写真としてはまずまず美しく撮れています(陰の声:写真は真実を写しているか)。極めつけは雑誌の表紙の写真です。フランス人たちは、日本語の表意文字としての「観光」を知らないようでした。「光」を観るより「影」を観よ。雑誌を観た感想として、これからそういう皮肉を相手に届けようと思うのですが…(陰の声:野暮なこと)。

  雑誌の表紙には、小さな文字で書いてあります。“Les psy causent”と。幸いなるかな、日本語の読めない精神分析家たち。こちらのすったもんだも知らないで。

でも心はいつもすったもんだでよいのです(陰の声:よいも悪いもない)。
 
 ※ いくつかの論文の要旨を、追って紹介していく予定です。

                                

    目次画像lp

関西で生きている森田正馬の教育―和田重正先生から松田高志先生へ―

2016/05/15

040405

              松田高志先生 著『いのち輝く子ら―心で見る教育入門―』

 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      ♥

 
 

 知る人は少ない。
 森田正馬の本物の教育が、静かに関西に到達して、この地の一隅に根づき、神戸女学院大学の松田高志先生を中心として、それは脈々と生きていた。
 

1. 関西で発見、森田正馬の教育
 森田正馬に直接指導された経験を生かし、神奈川県の小田原で、在野における教育活動に一生を捧げた和田重正という人がいた。そしてその和田に直接師事された方が関西におられる。神戸女学院大学教授(現 名誉教授)の松田高志先生である。松田先生は、和田重正を経由して森田正馬の孫弟子にあたるわけで、森田の、そして和田の教育を継承し、その真髄をご自身の教育に生かし続けてこられた。森田療法の表舞台には登場なさらなかったので、松田先生の地道な教育活動は療法の主流の側からほとんど脚光を浴びることはなかった。けれども、神戸の大学や奈良県の農場で、長年にわたり「いのち輝く」教育の活動を実践してこられたのだった。

 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      ♥

 
 

2. 松田先生のご自宅を訪問して
 かつて神戸女学院大学に在学中に、松田先生の研究室のゼミ生だったK様(女史だが、様づけでお許しいただく)は、花園大学禅文化研究所の職員で、禅文化のお仕事に携わっておられる。10年近く前、私は禅関係の行事に参加して、K様とお話しする機会があったときに、松田先生のことや和田重正氏のことを教えていただいた。私にとってそれは初めて聞くお話だった。森田療法に関わるひとつの重要な流れなのに、そのことを認識するまでに少し時間がかかった。恥ずかしい話である。
 その後、森田正馬の次世代の人たちの活動について調べる機会があり、その方向から和田重正という教育者がいたことを知るに至る。こうして和田の流れを汲む関西の人であり、K様から伺っていた松田高志先生へと、関心が改めて収斂した。そこで先生に一度お目にかかりたく、ご連絡を取った。
 しかし、その松田先生は、2年前に思いがけない病を得て入院され、昨年ようやく退院なさって、その後は在宅でリハビリ生活を送っておられた。さいわい、K様ら元同級生の方々が同行して下さり、去る3月下旬に宝塚市のご自宅を訪問した。

 松田先生は京都大学教育学部のご出身で、ご自分の人生問題に悩みながら、教育の基盤としての教育人間学を専攻してこられたのだった。そんな中で和田重正氏と出会い、その教育観と生きた実践に触れ、以後長年和田重正に師事しつつ、教育の思想と実践を身近な全体として捉え、地道な活動を続けてこられた。数年前に神戸女学院大学をご定年になり、スローライフをますます充実した活動に生かそうとしておられた。
 しかしその矢先に、突然急な病に襲われ、思いもよらない体験をなさったようである。長い入院生活を経て、昨年退院され、現在はご自宅から通院してリハビリを続けるというスローライフを送っておられる。
 お宅を訪問したときは、車椅子に腰掛けて受け答えをして下さった。お聴きしたいこと、お尋ねしたいことが沢山あり、つい私ひとりが長時間にわたり松田先生を独占し、先生はお疲れになったに違いない。反省しきり。
 リハビリ中の松田先生がおられるだけで、その存在感は大きいけれど、やがて全快を見込めるようにて、現役に復帰して下さる日が遠くないことを、ひたすら願うばかりである。
 
 

いのちのシャワー

                松田高志先生 著『いのちのシャワー』

 
 
3.高志先生の高き志の行方
 松田先生は若き日に悩みを体験された。そして人びととの貴重な出会いに恵まれて、求めていた奥深い教育は、「ありのまま」に生きるという、身近な生活そのものにあることに気づかれたのだった。それは先生個人の内面の軌跡に関わるが、ご自身の人生のことについては、文章にしたり、語ったりしておられる。雑誌「禅文化」の207号、208号(いずれも2008年刊)に、人生の転機や人生における出会いについて、自らの経験を書き記しておられるので、それに拠りながら簡単に先生のことを以下に部分的に紹介する。
 
 
 高志少年は、理想の教育をするという夢を抱き、大学の教育学部に入学した。しかし大学に入ってから、学生生活に悩むことになる。
 悩みを抱えたまま大学院に進学。たまたま相国寺の坐禅会(智勝会)の掲示を見て、坐禅に参加し、熱心に通い続けた。
 当時相国寺には、僧堂に住み込んで雲水たちと一緒に修行している医師がいた。江渕弘明という森田療法をやっている医師だった。あるとき、その江渕先生の方から声をかけてくださって、「ありのまま」に生きればいいのだと教えられた。それで少し前向きになることができた。
 さらに幸運なことが起こる。大学の指導教官の後任として、智勝会の大先輩の上田閑照先生が教育学部に就任されて、親しく指導を受けることになった。
 その後ドイツに留学し、帰国後に江渕先生に再会する。そのころ、和田重正の著書『葦かびの萌えいずるごとく』を気に入って読んでいたが、不思議なことに、江渕先生からその本を薦められた。江渕先生は森田療法を通じて和田先生と親しかったのである。江渕先生は、和田先生が関西に講演に来るから紹介しようと言ってくれた。奈良での講演会で和田先生に紹介された。そして和田先生の私塾「はじめ塾」の合宿所「一心寮」での夏の合宿に来るよう勧められて、その夏に参加した。そこで生活を重視している和田先生の教育に触れて、以後十数年、和田先生に師事することになった。
 
 
 和田重正氏が開いた「一心寮」は、想像するに、森田正馬の入院原法と重なるところが多かったのではないだろうか。禅寺での修行のような規則づくめではなく、合宿としてある程度の規律を保ちながら、その中で自由に手分けして作業をし、講話を聴き、話し合いもするという、押しつけられない生活の中で、いのちの力が自然に発露する体験ができるのであろう。失礼な言い方になるかも知れないが、松田先生は、いわばここで森田療法の入院のごとき体験をなさったのだと思う。
 また、松田先生は、和田重正氏が発足させた「家庭教育を見直す会」(くだかけ会)の活動を関西で引き受ける中心人物として、和田に協力なさり、奈良県の御所市にある和田の本家の農場を借りて、「関西くだかけ農園」を教育に活用なさった。神戸女学院大学の学生たちを連れてここに通い、野菜や米を作ったそうである。そして学生たちは、先生の家に集まり、収穫した米でおにぎりを作って食べたそうである。

 
 

DSC01538

             和田重正 著 『葦かびの萌えいずるごとく』(柏樹社 刊、昭和39年)

 
 
4. 江渕弘明先生のことについて
 若き日の松田先生が、悩みつつ相国寺の坐禅会に通っておられたときに、僧堂で修行を重ねておられた江渕先生が、森田療法の指導をなさったという。さらに何年か後に、江渕先生は、和田重正先生に松田先生を紹介して、両者を結ぶ絆を作られたキーパーソンである。松田先生から伺ったお話から察するに、江渕先生は和田重正と同世代にあたる人である。
 重要な人物であるが、ここではこれ以上の言及をひかえておく。
 

かびめもえいずる

           和田重正 著 『葦かびの萌えいずるごとく』新版(地湧社 刊、平成26年)

 
 
5. 和田重正氏と「はじめ塾」・「一心寮」、「くだかけ会」
 和田重正は、両親が教職者である教育一家の次男として、鎌倉で生まれた。父がアメリカに留学中に、重正7歳のとき、母は病死した。幼くして母をなくした悲しみは少年の心に深い影を落とした。旧制浦和高校在学中の17歳頃から以後、長い年月、人生の問題に悩んだ。昭和4年に東大法学部を卒業するも、就職をせず、屁理屈ばかり考えて現実を避け、玉突き屋に通っていた。苦しみは高じて自室に引きこもり、自殺念慮を抱き、遂に遺書まで認めたのだった。
 そんなとき、部屋の外に咲き始めている桃の花を見て、新鮮ないのちが湧き上がる喜びを感じ、新生の体験をした。入院森田療法に喩えるなら、第二期の体験に似ているように思われる。重正は森田正馬のもとに入院したこともあったが、そのときに劇的に救われることはなかった。しかし、森田から与えられた「事実唯真」、「ありのまま」という言葉を自分の中で温め続けていたという。それが盤珪禅師が梅の花の香で悟ったような体験に通じたのだった。
 心機一転した重正は、教育の道を志す。昭和12年に東京で父の屋敷内に、寄宿寮「一誠寮」を開き、昭和17年に小田原に疎開して、その地で「はじめ塾」を開いた。通学と寄宿教育を扱った。 昭和39年には、「はじめ塾」の合宿所として、西丹沢に「一心寮」を開設した。
 このような和田重正の教育の根本は、生活体験の中で、自他の区別のない「いのち」に目覚めることであった。自己を犠牲にして他者に尽くすべし、というような外圧的な道徳教育の教条性を批判するものであった。逆説的に、和田の教育は、自己の欲望を深く追求することを大切にした。外面でなく、自己の内面に本心がある。目先のケチなことにとらわれず、本心を取り戻そう。本心は、湧き上がるいのちの力であり、成長への欲望、他者と喜びを共有したい希求である。生活の中でそれを回復し、発揮しあって、気持ちよくなろうとする教育なのであった。和田はこのような教育を、道徳教育と対置して、「人生科」と言ったのだった。
 この和田の教育を知って、親たちや子どもたちが、「はじめ塾」と「一心寮」に数多く集ったのだった。
 和田はさらに学校における教育の危機的状況に対して、視点を家庭に向け、父母たちを対象に「家庭教育を見直す会」を昭和53年に立ち上げた。それは「くだかけ会」と称され、機関誌「くだかけ」が発行され、各地で集いが開催された。「くだかけ」とは、ニワトリの古語で、母ドリがエサを欲しがるヒヨコに心をくだく、心をかけるの掛け言葉なのである。
 平成5年に和田重正は没した。「はじめ塾」は重正の長男の重宏氏を経て、そのご子息の正宏氏に受け継がれ、「一心寮」は「くだかけ生活舎」となって、重正の次男の重良氏に受け継がれている。 松田先生は、「一心寮」や「くだかけ会」と関わってこられた流れより、現在も「くだかけ会」(会と組織の名称)との交流を保たれている。

 
 

訂正版2

            大阪くだかけ会の開催を報じた、昭和58年の京都新聞の記事。

雑誌 PsyCause 日本特集号が出ました

2016/05/05

 2014年10月に京都で開催した「フランス語圏内国際PSYCAUSE学会」での、日本人の発表原稿を論文化したものを中心に、他の日本人の先生方にも寄稿して頂いて、雑誌 PsyCause の日本特集が成立しました。正確には、2つの特集が収められていて、そのうちの主要特集が、Cahier japonais です(もうひとつの特集はアフリカ)。本誌は昨年(2015年)の最終号なのですが、発行が遅れたものです。この号より、全論文にカラー写真が添えられて、内容だけでなく見栄えも美しく仕上がりました。
 

表紙画像

         雑誌の表紙。2014年秋、閉院間近い三聖病院にフランス人たちが訪れた。
         写真はその際にフランス人が撮影した宇佐晋一先生。

目次画像

         目次のページ。Cahier japonaisの各論文の著者と論文タイトルをご覧あれ。
         画像を拡大すると読みやすくなります。

 
 なお、森田療法に関係のある論文のみ、「研究ノート」の欄で読んで頂けるようにしておきます。

森田療法「サ・エ・ラ」~(4) 『迷いの道に咲く花は』 : 蜂たちの「人生いろいろ」~

2016/04/24

迷いの

 

 かつて「この世の花」というヒット曲で、一世を風靡した女性歌手がいた。「からたちの花」も咲かせた。そして50代の坂にさしかかろうとするときに、「人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ咲き乱れるの」と歌って、人びとの心をつかんだ。時の内閣総理大臣までが、国会答弁で「人生いろいろ」と言った。
 「お千代さん」と親しまれた歌手、島倉千代子さん自身の人生にもいろいろなことがあったようである。花は咲き、花は散る。お千代さんは癌で逝った。
  ほぼ、そんなお千代さん世代の老(若)男女、十数人が、花園大学禅文化研究所所長の西村惠信先生の膝下に、週一度禅を学びに通っている。
 この勉強会(研究会)は、約20年前に始まったらしい。西村惠信先生という「善知識」のお人がらを慕い、その該博な禅知識に魅せられた人たちが、集っている会である。それは通称、「BEE(ビー)の会」と呼ばれている。その名称の由来は、花の蜜を吸おうとして蜂たちがやって来るごとくに、西村先生という大輪の花のもとにメンバーたちが集まっているからだそうである。私も蜂たちの仲間入りをして2年になる。「入ったら出られない蟻地獄かもしれないから、蟻の会」と、私はどこかで冗談を言ったことがあるが、これはブラック過ぎる冗談なので、訂正せねばならない。西村先生の度量は大きい。来る者は拒まず、去る者は追わず。過去20年間に、多くの人たちが吸い寄せられて、しかしそれぞれの事情で会を離れている蜂たちも少なくない。ときどき出戻りの蜂もやって来る。そんな開かれた会で、場の雰囲気も自由そのものである。メンバーたちが師と対等にものを言い、ときには師の説明に対して「違う」と言って、それを正す。だから寄ってたかって師を刺す蜂の会のように見えて、私は最初驚いたものだった。もちろん礼を失してはならないのは言うまでもないのだが、禅の大家を囲んでこんなに自由にものを言える会があるのは、有り難いという一言に尽きる。
 会ではこれまでに様々なテキストを読んできたようだが、現在は『信心銘』について元代に書かれた『信心銘中峯廣録』という書物の原典を読んでいる。漢文を読みこなせない自分には、これは格別に難解で、およそ歯が立たない。なのでやりとりの話だけを聴いているが、週一度通うその度ごとに、一匹の蜂としてなにかを教えられる。とにかく有り難い会である。
 

musi

            西村惠信先生ご自身筆、蜂の絵

 

 今年は臨済禅師1150年、白隠禅師250年遠諱記念で、禅の文化や思想を見直す催しが相次いでいる。4月から京都国立博物館で、「禅ー心をかたちにー」という特別展が開かれており、先週、西村先生とBEEの会のメンバーがこぞって博物館に行った。館内は、集められた臨済禅の形象で満ち満ちていて、それらに圧倒される。それにしても、「心をかたちに」ということは、意味深長である。
 日本画の橋本雅邦は、「無心」を重んじた。そして、画の真相は形よりもその神にある、と言った。森田正馬は、そのような橋本の美術思想に感銘を受けて、雅号を「形外」としたのだった(そう確信した事情は、小著『忘れられた森田療法』に書き留めておいた)。博物館内には、橋本が批判した狩野派の画家の絵もあった。橋本雅邦や森田正馬なら、こんなさまざまな禅の「心のかたち」をどう見るだろうか。そんなことを思いながら博物館を出た。

 

zen

 

 
 昨年、西村惠信先生は、BEEの会の老(若)男女たちにおっしゃった。「皆さんはこうして勉強会に来てくれていますが、それぞれに理由や動機があるはずだから、皆でそれを書いて本にしませんか」。それで私家版で文集を出すことが決まった。刊行は昨年末に予定されていたが、やや遅れて、今年の3月に『迷いの道に咲く花は』という書名で日の目を見た。その命名は西村先生による。「迷悟一如」と同じ意の、「悟りは迷いの道に咲く花である」という某禅者の言葉から、本のタイトルをおつけになったのである。題字も表紙の絵も、文中に添えられている挿し絵も、すべて西村先生の筆になる。
 この本の中にはさまざまな花が咲いている。「赤く咲く花、青い花、この世に咲く花数々あれど」、咲いた花はやがて散る。「迷いの道に咲く花は」、まさに人生いろいろである。

 

 同書の内容のうち、わが拙文の部分は、昨年このホームページに先行的に紹介した文章と同じものです。三聖病院での勤務体験より、森田療法から禅へと「己事」の「究明」に向かわざるをえなくなった事情を書き記した一文です。花ではありませんが、その部分を以下にPDFで収めておきます。
 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥     ♥ 

   

 

「エッケ・ホモ(この人を見よ)―私が蜂になった理由―」
 
 
 

IT入力のアルバイト・スタッフ(非常勤)募集

2016/03/31

 この記事については、「お知らせ」欄をご覧下さい。

「ささやかな」研究所の「ささやかな」活動―京都森田療法研究所活動報告―

2016/03/31

 森田療法の分野に、こんな研究所があってもよいだろう。小さな規模で大きな夢を。いや、大きくなくても一寸の虫として五分の魂を生かせればいい―。そう思って活動を始めました。
 
1.一寸の虫の五分の魂による三つの理念
 ・森田療法の「温故知新」。
 ・学際的研究。
 ・生活の体験の中に智恵を深め合う。
 
 ホームページの冒頭に掲げている通り、こんな三つの理念の下に、ささやかな研究所を平成24年の1月末にスタートさせました。活動が円滑に進まないこともある現実に直面しつつ、4年余りが経ちました。年度変わりを1月とするか、4月とするか、どちらでもよいのですが、4月を迎える今の季節は、気分も新たになる節目です。気分本位でも、この機会に過去の4年余りの「ささやかな」活動を振り返り、そして4月からの新たな継続を、事実本位に見据えていきます。
 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      ♥

 

2.これまでの4年間の活動
 まず、過去4年間の年ごとに、おこなった主要なことを列記します。
 
 ●平成24年
 森田療法についての日頃の考えをホームページに記述して発信することを開始。全国の方々と自由に討論できることを期待した。反応は多少。一方、地域的拠点の京都を中心に、関西圏内で交流できるオフ会的研究会の組織を模索するも、反応は消極的でした。しかし、森田療法の生かし方に関心をお持ちの方々が、随時個人的に訪れてくださるようになりました。「朋、遠方より来たる有り」。

 ●平成25年
 以前から関わっていたフランスとの国際交流が活発化。

 ●平成26年
 フランス語圏国際学会組織 PSYCAUSE の第10回国際学会会長を引き受けることになり、10月に京都で学会を開催した。
 12月に三聖病院閉院。病院の歴史的資料の保存のために、三聖病院記念館設立の要を感じて、孤軍奮闘を始めた。
 波瀾万丈の1年だった。

 ●平成27年
 たった独りでの三聖病院記念館設立は成らず。代わって個人的に「スペース・レア 三聖病院記念品保存室」を設けた。
 課題だった研究所の年報のような出版物の刊行ができず、個人の著書『忘れられた森田療法―歴史と本質を思い出す―』を世に問うた。
 前年の PSYCAUSE国際学会(京都)の成果を掲載する学会機関誌の日本特集号の編集に関わる。年末の予定だったその雑誌の刊行が遅れている。

 ●平成28年
 「スペース・レア 三聖病院記念品保存室」閉室のやむなきに至る。
 前出の雑誌の日本特集号は、4月に発行される予定。
 
 当初より、研究所の活動の趣旨として、国内での地道な活動に繋がる三つの理念を謳うにとどめ、国際交流を掲げるのを控えていました。しかし、以前からやりとりのあったフランス側は、極東の日本に関心を寄せ続けていました。森田療法の紹介については、皮相に流れぬよう慎重を期していましが、メールの通信で森田療法のことに言及しようものなら、相手は満を持したように食いついてきます。結果的にグローバル化の波に乗ってしまいました。京都での国際学会開催を引き受けざるを得なくなり、また、折しも閉院間際の三聖病院に、フランス人の団体の訪問を受け入れるというハプニングを実現させました。このような国際交流が蔵する意義を問う考察については、拙著(『忘れられた森田療法』)の中に 記しておきました。
 学際的な交流や研究は、(哲学、禅、教育の分野の方々と)国内で進めています。
 「温故知新」は、主に主宰者が問題意識として終始持ち続けています。
 最も難しいのは、地域における森田療法の研究交流や日常的活動です。今後の課題として浮上しています。

 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      ♥

 

3.会計報告
 平成24年 : 収入 ゼロ 支出 多額
 平成25年 : 収入 ゼロ 支出 多額
 平成26年 : 収入 ゼロ 支出 多額
 平成27年 : 収入 ゼロ 支出 多額    以上
 
 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      ♥

 

4.今後の活動について
 京都駅八条口の間近にあるワンルームマンションの一室が事務所です。居住用のマンションですが、このような入居を認めてもらっているのです。ネット上でクリニックとよく間違えられます。診療やカウンセリングを求めるメールや電話をよく受けますが、診療行為は行っていないため、応じきれないでいます。手狭な一室で事務処理や情報発信をしていますが、京都駅に近くて便利なのは何よりなのです。スタッフとしては、名のみでなく嘱託や客員などの研究員として、研究を共にしてくださる方々を擁し、さらに外部からのボランティアの方にも助けられ、その点は恵まれています。
 小規模ながら、過去4年間、精一杯に活動をしてきました。ただし地域に根ざす活動の問題があります。これについては、無関心であった訳はなく、ニーズに対して私たちは何をできるかを模索してきました。しかし現実には、できないでいました。重たいこの課題を持ち続けていきます。
 4年を経て所期の志は変わっていないので、おそらく今後も変わりません。志を同じくする方がおられたら、この研究所を乗っ取って欲しい、本気でそう思っています。

 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      ♥

 

5.運営の問題
 より卑近なことですが、実は重要で、様々な問題を抱えています。
 安定した組織にするために、法人化することを検討しています。その前に経済的基盤を整えねばなりません。
 また実務的には、ITを扱うスタッフにこと欠いています。主宰者はパソコン音痴なのです。メールの送受信だけはできるので、数少ない語彙での下手な作文で、自宅に居ながらにして毎日のようにフランスとやりとりしていますが、せいぜいそんなことしかできません。研究所にいるご主人様、兼留守番は、大きなデスクトップの1台のパソコンです。彼は(フランス語で、ordinateurは男性名詞なので)、彼自身に届くメール文が怪しいと認識するや、直ちに迷惑メールとして扱ってくれる優れものです。しかし森田療法の研究までは引き受けてくれません。はて、どうしたらよいのでしょうか。

前回の記事を別欄に。および「正馬」の呼称の件。

2016/03/14

1)“Physician, heal thyself”と題した2月8日付の記事は、森田療法についての研究と実践に関心をお持ちの多くの方々に閲覧して頂きたくて、しばらくの間、本欄のトップに置き続けてきました。引き続き目に留めて下さることを願い、その主要部分(書評と書評への応答)を、「お知らせ」欄に再掲載しました。
 より高次の観点からの御叱正、御意見を待ち望んでいます。
 なおブログ題にしていた“Physician, heal thyself”は、本来は新約聖書中の『ルカによる福音書』第4章に、諺として出てくる言葉です。「医者よ、自分を治せ」、あるいは「医者よ、自分を癒せ」と訳されています。ルカは自身が医者だったようですが、上記のフレーズはルカ自身の言葉ではなく、キリストの言行が記述されている中で諺として出てきます。味わい深いフレーズではあります。

 

2)森田正馬の名前は、「しょうま」か「まさたけ」かということは、議論され続けてきました。この問題について発言するほどの関心を有していなかった自分ですが、きっかけがあってこのことについて調べて、一文を草しました。それは、2月15日付で、「研究ノート」欄に掲載しています。

森田療法 「サ・エ・ラ」~(3)Physician, heal thyself~

2016/02/08

20160208title_abc

 
 

   ♥      ♥      ♥      ♥      ♥      ♥

 

 古い話。大学の医学部を卒業するとき、クラスの皆が一文を寄稿しあって、お別れの文集を作った。「何十年先の自分は、どこかの病院の院長になっている」とか書いたクラスメイトもいたけれど、自分はそんなに先をイメージできなかった。何を書いてよいやらわからなかった自分は、思いついてちょっと気障なことを書いた。そのころ、医者が主人公のある三文小説(翻訳書)を読んだので、その原題をぱくって題目にした。” Physician, heal thyself “である。卒業後は精神医学を選ぶ方針になっていたことと関係があっただろうと思う。そして中身は、ドッペルゲンガーのことについて書いた。と言っても、精神病理学的なことを書いたのではない。何科を専攻するにせよ、医者たる者は、自分が自分を見つめて葛藤することが大切であると思う、というようなえらそうなことを書いた。そんなことをふと思い出しているが、神経質の良き面ともいうべき内省性の必要さを言ったことになる。
 当時の私は、西洋の精神医学に興味を持ったばかりで、森田療法のモも知らず、森田療法のモにも関心はなかった。奇妙なものである。その後、フランス精神医学との関わりを迂回路として、森田療法にたどり着くことになるのだった。
 大学卒業の前後は、紛争の嵐が吹き荒れていて、「自己批判」などという言葉を互いに突きつけるとげとげしいユース・カルチャーが蔓延していた。ノンポリの私は困って辟易していた。困っていたら、ラートロス(困惑的)だなどと「批判」された。反精神医学の旗を掲げる人たちが、精神医学用語を使って批判するので、なおさら困惑したものだった。
 ところで医学部の同級会は、いまだに毎年開かれており、今年も先日出席した。みんな好々爺になり、大昔の「自己批判」を追及しあった嵐は恩讐の彼方に消え、生きている出席者たちが集まった。物故者はもちろん欠席だが、生きているのか世を去ったのかわからない欠席者もいる。さて、同級会のスピーチでは、医者同士が自分の病気の話ばかりしあった。精神科というマイナーな診療科を専攻した私は、クラス会では、何となく肩身が狭かったものだが、年齢を重ねると、うつ病などを患った経験者が増えて、精神科がみんなの身近になったようで、距離がうんと接近した。一方、数年前には、整形外科の医者で、診察室の椅子から転落して大腿骨を骨折して患者として入院し、患者の気持ちが初めてわかった、と言った者がいたが、今年は同じ整形外科の別の医者がこんなスピーチをした。
「腰痛で困っていたので、手術をして脊椎に金属を入れたんやけど、余計に痛くなったわ。皆さん、手術だけはするものやないで。」(その手術は自分でしたんか?と質問あり)。「自分で手術するのは無理やわ」。
 と、こういうことは、実は精神科にも当てはまる。もちろん自分のことは、誰にとっても厄介なものである。しかし外科医が自分の手術をできないのと違って、語弊のある「自己批判」は別として、内省的な自己批判や自己批評は、難しいけれどできるだろうし、しなければならないと思う。
 

 一年近く前に、小著『忘れられた森田療法』を上梓したが、雑誌「精神療法」の昨年の10月号に本書について、書評を頂いた。評者の先生は存じ上げていたので、雑誌上を借る前に直接討論をできればありがたかった、という思いに駆られた。
 また互いの見解の齟齬の片方のみが、不特定多数の読者の目に触れるところとなったことに鑑みて、著者側からの応答も許容して頂けるだろうと思い、寄稿した一文が、同誌の本年の2月号に掲載された。願わくば『忘れられた…』を思い出して頂き、「書評」と「応答」を対比した上で、さらなるご批評、さらなるご批判を頂ければ望外のしあわせです。
 
  書評                                      応答  応答(続)
 
 批評と批判の違いや、適切な批評や批判は文化として必要なのだということを、このところ考え続けていました。
 そんなとき、ネット上で、「批評・批判」についての面白いブログ記事に出会いましたので、参考までに、そのブログ記事へのリンクを以下に置いておきます。
 

人生かっぽ ─佐藤大地ブログ

 
 森田療法は難しいものです。「己事究明」を課題とする禅につながり、自己をみつめるという原点に立ち戻ることを避けて通れません。
 治療側に立つ者ならばなおさらのこと、自己批評、自己批判を続けていかなければいけないと、自戒しています。