森田療法のディープな世界( 9 )―共苦すること ・ 森田療法の神髄についての再再論
2025/04/02
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1 . はじめに―共苦という視点へ―
先に、「森田療法のディープな世界( 8 )」 の稿で、森田療法の神髄は、療法が人生の四苦八苦の問題に向き合う覚悟を有するところにこそあるのであろうということを、僭越ながら書いた。もちろん、四苦八苦に悩む人々を苦と真正面から対決せしめよというような短絡的な意味ではなく、森田療法自体がこの問題を深く認識し、真摯に向き合うべきであるという意味のことを言ったのだった。
これに対して、南條幸弘先生が、ブログ「神経質礼賛 2304 四苦八苦」(2025年1月9日)で、適切な応答の文章を記してくださった。
先生は、「ニーチェのように人生の苦に対して敢然と立ち向かうのでなく、苦しいものは苦しいまま、それはそのままで、今やることをやっていく、というのが森田の姿勢である」と書いておられ、また森田は苦痛そのものになりきることを教えたと指摘しておられる。さらに先生は、神経質人間は苦に対して敏感であるから、「あえて苦を不問にふし、生の欲望を燃焼させる」ことで、現実への適応力を高めることになり、結果的に苦への有力な対処法になっていると指摘して、苦へのそのような対処は、いわば「かわしの受け」であるとおっしゃっている。「かわしの受け」とは、空手道で相手の攻撃を躱す防御技である。
ここでの文脈は、治療者は、当事者の苦を不問に付して、苦に対する「かわしの受け」を当事者に覚えさせる、という意味になるのであろうが、このような指導が生の欲望の燃焼につながる展開の過程は、容易なものではない。治療者の介在が重要な要素となりうる。南條先生ご自身は、患者さんの辛さに共感し、ねぎらう人になっているとのことである。
以上、南條先生のご発言を大きく取り上げたが、ここから四苦八苦の問題に対する森田療法の課題が抽出される。それはまず、治療的な立場にある人の介在とかかわりの重要性であり、治療者自身が苦を生きる人として、他者の苦に共感する感性、資質を有すべきことへの再認識の必要性である。さらに治療者であると否とに拘わらず、人は皆四苦八苦を避けることはできない存在であるがゆえに、苦を抱えた人間同士どう生きるかという問題につながっていく。他者の苦悩に共感し、共苦するところに森田療法の原点があるのではないだろうか。森田正馬が療法を創始したのは、神経質者の苦しみに共苦したからであったろう。
この稿では、療法の神髄についての「再再論」として、「共苦」を中心に、森田療法の深みをさらに探ってみたい。
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2. 森田療法の特殊性と普遍性
森田は自身の療法を「神経質に対する余の特殊療法」と称して、それは催眠術や説得療法で無暗に神経質の病症に肉迫するのをやめて、絶対臥褥に始まる治療法の系統を作って神経質の根本療法としたものであると述べている。そして、その方法は「通俗平凡であって、全く医術らしくもないものである」と言っている。つまり森田は、神経質を対象として、特殊な療法を作ったが平凡なものであるとしており、「特殊性」に両義性が読み取れるのである。
また森田は、別の箇所で、自分の療法は東西を問わず、民間療法も含めて、あらゆる療法に手を出して、やってみた結果、自然にできたものであると言っているが、まったくその通りで、神経質についての森田自身の捉え方はあるものの、厳密な理論構築と十分な試行を経て、療法を完成させたのではなかった。経験的に生まれた療法だったのであり、そこに問題もあり、面白みもあった。
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療法の初期に、谷田部夫人という不潔恐怖の難治の症例があったが、この人を治そうとして、森田は熱心さのあまり、この人を殴り飛ばしたことがあった。このような緊迫感の募る治療関係の中で、時が熟してこの患者は治癒したのであった。治療者と患者の双方から、窮して通じる「窮達」が起こったのだった。
森田はこの出来事について、自身の治療理論とは別の「理外の理」によって、治癒したものであるとした。たしかに、患者を殴ったことは森田としても、ばつが悪い。だが、「神経質に対する余の特殊療法」として定めた枠を超えて起こった、迫真的なハプニングによって患者は治癒したのである。われわれは、森田が弁解気味に「理外の理」と言ったところに、神経質に対する特殊療法という枠を超えた、真実性を見る。その底には、患者に対する森田の共感や共苦から発するものがあったのであろう。対象を神経質に限っても、このように森田の特殊療法の枠がすべてではなく、その枠は拘束力を持たないように思われる。
そこで、この枠の閾を下げるなら、理外の理の延長上で、療法を神経質に限らず、万人を対象とするものへと普遍化されると考えられるであろう。この療法の根底において、理論や治療の枠組みより以前に、「感じから出発する」という、感性、共感性、そして共苦が内在していることを重視せざるを得ないのである。
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以上において、神経質に対する森田の特殊療法は、方法として絶対的なものではないことを指摘した。さらに今ひとつ、対象としての神経質は、人間一般と性質を異にする特殊なものであるのかという問題がある。
人は誰しも四苦八苦を抱えて生きている。その中で、とくに神経質者は、生きている中で不安や苦悩に対して感受性が高くて治療を求めるがゆえに、治療対象になったのだったが、神経質の性質の特徴は、人間として異質なものではない。神経質者は、生老病死の苦にとくに敏感で、その分生きることにもとらわれを有している。森田の療法は、彼らに対して、苦を抱えながらも生き尽くすように仕向ける。結局、四苦八苦を生きることは神経質者に限らず、万人が遭遇する試練なのである。それに対して森田療法の教えるところは、たとえば次のような言葉に集約されるものであった。「苦痛を苦痛し 喜悦を喜悦す 之を苦楽超然といふ」。禅語にも似た高次の難解さがふんぷんとするのは頂けないが、苦楽のままに生き尽くすことを教えているのである。
ともあれ、このように、森田療法の趣旨を振り返って見れば、療法の本質は、決してその特殊性にあるのではなく、万人に通じる普遍性にあることを知るのである。そして、その普遍性の中に含まれる重要な要素が、共感性であり、さらに共苦の姿勢や心性なのである。
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3. 共感性について―惻隠の情と純な心―
宇佐玄雄は、「純な心」について次のように教えた。
「若し井戸端で遊んでいる子供が井戸にはまったら、助ける気にならないからと言って、そのまま捨てて置くだろうか、誰でも助けるだろうと思う。これを人間の「純」な心と言い、また生の力でもある。」
孟子は、人間には誰でも、他者の窮状を見て、いたたまれなく思う心があるとして、「惻隠」と言い、心に兆す自然な徳の感情のひとつであるとした。そして例として、幼児が井戸に落ちそうなのを見れば、誰でも哀れんで助けたい心(惻隠の情)が自然な感情として起こることを挙げた。宇佐玄雄は、まさにこの惻隠の心(惻隠の情)を純な心と同じものとみなして、それは生の根底にある力でもあると捉えたのだった。
森田正馬自身においても、その指導の中に、宇佐玄雄の惻隠の情の教えと同様に、いのちを奪われた生きものへの憐憫の情を重んじた指導のエピソードがあった。ある入院生が兎の世話をしていたその隙に、猛犬が飛びこんで兎をかみ殺してしまった。小屋の造り方が悪いからこんなことになったと弁解する世話係に対して、森田は、可哀相なことをしたと思わないのかと激しく叱ったのだった。責任回避をするよりも、殺された兎の痛みを思い、憐憫の情が湧く。兎に対する共感であり、共苦している心、それが理屈抜きの純な心である。
純な心については、岩田真理氏が、著書『森田正馬が語る森田療法』の中で次のように述べておられる。「森田療法の概念のなかで、重要でありながら理解しにくく、あまり論じられることのないのが、《純な心》である。」と。そしてさらに「この《純な心》の体得は、森田療法の一つのゴールでもあり、また核心でもある。」と。宇佐玄雄が、純な心を生の力と捉えていたことと重なる。
他者の苦痛、苦しみをわがこととして共感する共苦の心は、純な心の重要な働きである。
もちろん、苦しみだけに限らない。他者と苦楽を共有する共感性は、万人にあるはずのもので、森田療法の出発点は共感性にあると言っも過言ではない。そこで、共感性について少し考えてみる。
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人間の持つ共感性、すなわち思いやりと言ってもよいこの心性は、さまざまな視点からこれを捉えることができる。仏教では慈悲の心を大切にする。その思想を表すものとして、釈尊が教えたとされる「四無量心」がある。それは「慈悲喜捨」であり、1) 人に与楽をする心(慈)、2) 人を憐んで、苦を抜いてやろうとする心(悲)、3) 人の幸福を共に喜ぶ心(喜)、4) 我欲を捨てた静かな心(捨)、という四通りの心を指している。これら四つの測り知れない無量の利他心に発して、他者を安楽にするところにみずからも安らぎを得るとされるのである。
一方、仏教とは別に、共感性は心理学や脳科学の分野でも問題にされる。宗教も科学も、人間が生きていく上で重要なよすがであり、統合的に理解されて然るべきである。しかし、ここでは、科学的な面からの共感性の理解については、紙数を要するので簡単に触れるにとどめよう。
発達心理学的に見ると、満1歳頃の乳児に現れる「やりもらい遊び」は、共感性の獲得を示す重要な行動である。たとえば、もらったおやつを自分の口元に当てて、食べずにそれを母親の口元に当てる。母親は喜んで、それをまたわが子の口元に持っいく。子は喜んでまたそれを母親の口元に当てるという動作が繰り返される。素朴な共感性の現れである。逆に、痛みを母親に共感してもらって安堵して、他者の痛みを察することを覚えていく。痛がっている幼児をなだめるために、母親が「痛いの痛いの飛んでいけ」と、まじないのような言葉をかける。自分の痛みに共感し、共苦してくれた母親の魔法に子は救われる。母子関係の中で生じるこのような出来事は、共苦によって救われる原初の体験となって、子は成長していくのである。
脳科学の面からは、当然ながら共感性は脳の働きとして理解し説明される。それによって私たちは、共感性に対する信仰のような思い込みや、道徳的な決めつけから解放される。共感性は個々人の脳のそれぞれの働きであることを理解しておく必要があることを知る。その上で、私たちは、人間が生きていく中で仏教が教えるような慈悲は人間の重要な本性であることを認識する。
そして、森田療法における純な心とは。
それは森田正馬が療法を創始した過程で、自然に生まれた産物なので、平易なようで難解である。そのように指摘した上で、共感性や共苦は、その純な心のうちに含まれる重要な心性であると捉えておきたい。
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4. 石牟礼道子と水俣病
公害病が社会問題になり出した、戦後の古い話である。昭和30年頃から熊本県の八代の海の沿岸で発生した水俣病は、多くの人たちの苦しみを生んだ。
共苦について考えるとき、水俣病の人たちに共苦した地元の作家、石牟礼道子のことが私の脳裏に浮かぶ。
生きることに悩み、自殺未遂の経験を有していたひとりの主婦が、水俣病の人たちの苦しみにふれて、文筆を通じ、また社会活動にも参加して、救済に奔走したのだった。石牟礼道子の水俣病への共苦の体験は主に、著書『苦界浄土 わが水俣病』(講談社、昭和44年) から読みとることができる。それは「悶々たる関心と控えめな使命感をもち、これを直視し記録しなければならぬという盲目的な衝動」(同書)に駆られて書かれたものであり、水俣病に中枢神経までも冒された患者の人たちの、心の内部にまで入り、憑依されたかのごとく、その人たちの心の声を言葉に紡いだものであった。
石牟礼道子が没したのはまだ最近(2018年)のことである。水俣病は終わっていない。石牟礼の追悼の書、『新版 死を想う』の表紙の帯には、おそらく共著者の伊藤比呂美によって記された次のような言葉が並んでいる。
「死に鈍感な者は、生にも鈍感である。」
石牟礼道子は、死に敏感な人であり、したがって生にも敏感で、水俣病で苦しむ人たちの生のために後半生を尽くしたのであった。
石牟礼は、十代の後半に小学校の代理教員になったが、この世に生きて教員の任務を果たすことに悩み、19歳のとき、服毒自殺をはかったが、一命を取り留めた。その後の人生も死と背中合わせだった。結婚したが、結婚後に、弟は鉄道自殺をし、自身もまた、希死念慮を抱き続けていた。そんな折に、奇病の存在を知り、衝撃を受け、水俣病患者を支援する市民会議の立ち上げに参加した。
水俣病は、「チッソ」と言われた会社の工場が出した廃水物の中の有機水銀によって、海の魚介類を通じて発生したものであった。公害病としての認定、補償の問題は進まず、神経の障害を起こして奇病の烙印を押された患者たちは差別すら受け、悲惨な療養を強いられていた。支援者たちの活動の努力も容易に実らない。そんな状況の中に、石牟礼のように、ただひたすら共苦するばかりの関わりがあったのである。
水俣の地には、「悶え加勢(もだえかせ)」という風習があった。苦しんでいる人がいるとき、自分も一緒に苦しんで、その人の家の前を行ったり来たりして一緒に苦しむ。そんな人がいて、苦しみに加勢してくれることで、相手は少しは楽になるという。このような「悶え加勢」をする精神が水俣の土地にあって、そんな加勢をする人たちは「悶え神」と呼ばれたそうである。大乗仏教における菩薩道に近いものを感じる。自殺未遂を繰り返していた石牟礼道子は、水俣病の苦しみに共苦して、「もだえかせ」の人となり、水俣病の人たちによって、みずからもまた救われたのであった。
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私は、神経質や神経症を治そうとするばかりの森田療法に、何かしらもの足りなさを感じている。そのひとつに、このような人間同士の苦の共有の尊さの閑却があるのではないかと思う。それを想起してもらうべく、石牟礼道子と水俣病のことにふれた。
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5. 共苦について
森田療法のディープな世界を探るつもりで、遅々として進まなかったが、その深みの追求を企図してきた。しかし、昨今の森田療法が抱えている問題は、その深さと浅さに限らない。広さと狭さという観点からも考えるべきであったと、今さらのように思っている。
今日の森田療法の流れについて、葦の髄から天井を覗くようなことを述べるのをここで許して頂きたい。気づくのは、森田療法の形骸化と教条化の傾向である。つまり、一方では森田理論のダイジェスト版のようなものを学んで、それを取り入れて森田療法と称するような、皮相的な面が見て取れるのであり、それは療法の普及に貢献しているとは言え、療法の本質的な深さを置き去りにした、浅薄化、形骸化の傾向であると言わざるを得ない。
またもう一方では、今日、時代の流れから次第に外れてきた森田療法の復権のために、その本質を墨守しようとして模索される教条化の傾向があるような印象を受ける。このような印象は的外れかもしれないのだが、教条化は深さを追求して、森田療法の本質への回帰を意識するがゆえに本質へのとらわれになりかねないのである。
つまり、形骸化の傾向にも、教条化の傾向にも、本当の自然な深さを認め難いのである。
ここにおいて、森田療法の広さの大切さを思わずにいられない。森田療法はどこにでもある。「随所に主となれば、立つ処皆真なり」(『臨済録』)と禅で言うごとく、どこにでもある森田療法を再発見することが必要なのである。
そのように考えると、われわれは森田療法を絶対視して、森田の教えを教条として受け入れ、不自由に陥っていたことに気づく。森田正馬自身、自分の教えを鉄則とするなと教えていたのであったから、肝心なところを学び取りさえすれば、われわれはもっと自由に森田療法を生かし、森田療法の足りなさを補ってもよいのではなかろうか。
森田の教えを取り上げても、そこには分かり難い点が多々残されている。
少しその例を挙げておく。
たとえば、共感性が重要な療法であるにもかかわらず、共感性についての教えが乏しい。森田は、「純な心」について繰り返し言及しており、共感性は「純な心」に含まれるものと理解することができる。ところが、「純な心」の例として、「過ちて皿を割り 驚きて之をつぎ合わせて見る 此れ純なる心也」という教えもあって、このような過失に随伴する心の現象までも「純な心」で括られてしまうと、当惑せざるを得ない。
また「感じから出発せよ」と森田は教えたが、これは「純な心」に相当し、かつ共感性にも通じるものであろうと理解しておきたい。
さらに、「苦楽超然」という重要な教えがあるが、これも難解であり、違和感を覚える。これは、ひとりの人間の内面的体験としての苦楽の共存、苦楽の止揚を指していると理解されるのであって、人間同士の間での苦楽の共有や共感を指していないのである。このように人間と人間の間での苦楽の共感は論外のことになっている点に不十分さを感じる。
森田療法が禅に似ていることは、森田自身も認めたところであったが、両者の類似性や相違について、もっと慎重に吟味すべき点があったのであり、そのひとつが個人と集団の問題である。禅の修行は集団でおこなわれるが、修行体験はあくまでも個人的なものである。入院森田療法も集団でおこなわれるものであるけれども、個人療法であるという見方があった。それは明確にならないまま、入院療法は衰退したが、集団における社会的人間関係をどこまで重視したのであろうか。治療のための制約はあったろうが、人間の孤立を深め、世の中での人情や思いやりを育てない治療法であったなら、由々しいことであったと思う。
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以上のような事情を背景として、共感性や共苦の重要性があるのである。そのことに気づいて頂きたくて、すでにここまでの文章中の随所にそのような趣旨のことを述べてきた。もはやほとんど説明を要さないところである。
森田療法は、狭い診察室や面接室に閉じ込められるべきものではない。森田療法はもっと大きなものである。それは、日常の皆の生活の中における人間同士のふれあいの中にある。共感し共苦する体験によって、人は互いに救われ、互いに育み合っていく。そのような体験をする過程で、神経質や神経症を治そうという課題はもはや問題にならなくなる。
石牟礼道子の生きづらさや希死念慮は、水俣病への共苦によって、その人たちに加勢する「もだえかせ」へとなった。他者のために悶えながら、彼女は救われたのであった。それは森田療法ではないとおっしゃる向きもあるかもしれない。ならばこれを森田療法と呼べばよい。森田正馬の森田療法は、こうして補われて然るべきであろう。しかし、付け足す部分を神髄と言うのは、我ながらおこがましい。葦の髄から出てきた発言と捉えられても致し方ないと思っている。
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最後に、共苦について、医学哲学的な見方に少しふれて、やや長くなった稿を終えることにしたい。
人間は苦悩する葦である。苦悩する存在者であるがゆえに人間なのである。
V. フランクルは、人間を 「苦悩する人 ( Homo patiens )」と捉えて、苦悩することが人間の本質であると理解したのであった。だから、本質から逃避しようとすることは、森田の言うような思想の矛盾になる。
精神科医の杉岡良彦は、最近の著書(『共苦する人間』) で、フランクルの「苦悩する人 ( Homo patiens )」という理解を引用しながら、「人間が本質的に一人では生きていくことができないこと、苦悩する人間は同じように苦悩する人々とのかかわりの中で生きていることに注目」して、「人間を特徴づける表現として、「共苦する人間( Homo compatiens)」を取り上げたい」としている。杉岡の著書は、医学哲学から宗教と医学を考えるものであり、森田療法や内観療法についても述べられているが、ここでは文献として掲げておくにとどめる。
【文献】
1) 杉岡良彦 : 『共苦する人間』春秋社、2023
2) 杉岡良彦 : 医学哲学と臨床医学 : 森田療法・内観療法・ロゴセラピーと「広義の医学哲学」. 医学哲学医学倫理(35) ; 14-23, 2017