森田療法のディープな世界(8)―四苦八苦 ・ 森田療法の神髄についての再論―

2024/12/26

 

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はじめに
 
 森田療法とは何か。森田療法の神髄(真髄)とは何なのか。それは未だに私にとって不明確である。しかし自分なりに考えていることがある。
 これについては、とりあえず先に一文を草した。だがその駄文は、私見を上滑りしていて、療法の神髄を論じ尽くしていない不十分なものであった。補う必要を感じていたので、その意味でも再論を追加したい。
 

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1. 修養の三段階
 
 森田正馬は、修養には三段階があると言ったことがある。曰く―
Ⅰ. 苦しいままに働く (小学校卒業程度)
Ⅱ. 諸行無常を認識する (中学校卒業程度)
Ⅲ. 苦楽を超越して、「生命の躍動」になりきる (大学卒業程度)
 
 森田は、このように三段階を示し、苦楽の超越、生命の躍動を最上位とした。これらはすべて苦にかかわっており、苦を生きる過程の中で、三つの修養的体験があることが示されている。ただし、ⅠからⅡへ、ⅡからⅢへと段階的に上昇することをかならずしも意味してはいない。苦には様々な相があり、行きつ戻りつ、その中をさまよって、究極的には苦楽を超越する最上位の境位があるとされるのである。
 しかし、上昇したら人間はまた落ちる。なおった者はまた病むことになる。宇佐玄雄は「神経症から治ることもできるし、神経症になることもできるのが、本治りである」と言ったと聞くが、その通りなのである。苦を超越するのも、また苦に落ちるのも本物の人生である。
 苦しみながら、生きていく。森田療法は、そのような生き方にあるのであろう。
 

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2. 苦の海
 
 人間は皆、生老病死の苦を背負って生きており、死んでいく。神経質者は苦に敏感な人たちなので、森田療法が成立したが、この療法は神経質者のみならず、四苦八苦に苦しむ万人の生き方に関わる。暗いもの、深いもの、どうにもならない根源的な苦悩があり、森田療法はそれらを含み込んでいる。人生も世の中も、答えを出せない理不尽な不条理なことばかりである。その中で、苦楽の楽を求めるのが人の常で、しかし楽は続かず、苦の海に落ちて沈むのが人のさだめである。そこで仏教や禅が答えをあずけてしまう答えを示して、人を真実との直面から言わばはぐらかせてくれる。森田も「事実唯真」と言って、敢えてそのようなはぐらかせに乗ることにして、真実の追求をやめて、あるがままでよいことにしたのだった。なぜという哲学的な追求は人間を苦しめるし、不毛である。ひたすら生きるしかない。それが森田療法の智恵なのである。
 けれども、深い苦の海から這い上がって生きることは容易なことではない。森田療法の智恵はときには残酷でさえあり、そこに森田療法の問題が仄見える。
 

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3. 希望から絶望へ 
 
 森田正馬という人の個人的思想は、結構、苦楽の楽の方に傾いていたようである。いつも希望を持って生きようとする、明るさを求めるところが強かったようだ。死を控えた病の床にありながら、一喜一憂し、よくなったつもりで快気祝いを配ったエピソードなどあり、単純素朴過ぎてあわれを誘う。文脈は違うにせよ、あるがままですべてよしとする森田療法の思想は楽天的だと評されることがあるのも、むべなるかな。
 このように森田の療法には、物事の暗い面を捨象してしまう、言わばお目出たいところがあった。本来、森田療法は深い経験や思想から出たものであったが、森田自身、行動に慎重さを欠いたため、森田療法は楽天的だと見える面を作ってしまったし、実際そのような面があったのだった。しかし、希望は絶望に変わる時がくる。いよいよ臨終の時に至り、森田は「死にともない」と言って、泣きながら逝ったと伝えられている。希望を求めたけれど、助かるという願いは叶わず、絶望して生涯を終えたのだった。死なざるを得ないという、はぐらかせの効かない事実をどうしようもなかったのである。生老病死の四苦の森田療法は、実に森田の死とともに完成したのであった。
 四苦八苦の森田療法は、死にゆく人たちによってこそ、その真贋性がジャッジされるのかもしれない。
 

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4. 四苦八苦と森田療法
 
 ともあれ、人間は苦と共に生きて、そして死んでいく。それが、はぐらかせのない事実であり、真実である。苦を引きずり、苦に喘ぎながら、生きていくほかないのである。そんな人たちを相手に、治療者も苦を生きながら、互いに苦を共有し、患者と「同行二人」の道を歩むのが森田療法であろう。楽を求めるな、などと野暮なことは言わない。そんなことを言わずとも、現実には望み通りにならないことの方が多い。結局、どうしようもないことは諦めざるを得ない。辛く厳しいことであるが、諦めねばならないのである。見果てぬ夢を見て我に帰って、現実に打ちひしがれ、苦しさ、辛さを引きずって生きていくしかないのである。どこかに救いがあるのだろうか。たとえ救いがなくても、生きるほかない。同行者がなく、孤独であれば、犀の角のように独り歩まねばならない。
 森田療法は、そのような人生のダークな面をもっと汲み取るべきであろう。
 かつて私は、森田療法専門のS病院に勤務していた。それは絶望感が漲っているような雰囲気の病院であったが、そこに親和性を抱くのか、みずからも絶望感を背負ったような患者さんの受診が、稀ならずあった。少し例を出そう。若い男性で、母は芸妓さんであったが、父親はどこの誰であったのかわからない。母も亡くなり、自分は天涯孤独となって自殺未遂を繰り返して、この病院に入院した。しかし治癒することはなく、深い自己不全感を抱えたまま退院していった(実例をもとにした架空例)。また、自殺した人たちが多くいた。絶望してS病院に入院したが、頼みとする院長から、不問の指導を受けて、さらなる絶望の果てに死んでいったのだった。その数は知れない。勤務経験者として、やるせない想いが残っている。
 広く世間には、四苦八苦に苦しむ人たちは多い。心に深い傷を負った人たち、重い障害を抱えて生きる人たち、災害などで家族を失った人たち、そして災害などで亡くなった人たちへの鎮魂、自殺の防止の課題、などなど。四苦八苦への対応として、森田療法がなすべきことは多い。
 「あるがまま」、「苦楽超然」と言葉で観念的に教えるだけでは、むなしい。苦を生きる諦観を共有し、その奥にある生の欲望を伸ばして「苦楽超然」で生きていくところに、光が見えてくるのかもしれない。 かく言うのも言葉でしかない。入院森田療法というひとつの方法はあった。入院による修行的体験によって没我の境地に至らしめ、それによって苦悩との向き合い方を体得させるのである。筋書き通りにはいかないけれど、命が躍動するような体験があれば、また苦に落ちて苦悩するのであり、すべてが療法のうちであった。しかし、対象は神経質に限られていたし、また方法も入院に限られていた。
 そこで、改めて問いたい。人間の四苦八苦に対して、森田療法は何ができるのか。何をしてきたのか。四苦八苦に向き合ってこそ、森田療法であろう。このような自覚が、森田療法にはあるのだろうか。
 そんな問いかけに応えてくれるところにこそ、森田療法の神髄があるのだろうと思っている。