森田療法のディープな世界(7) ―S翁の森田療法についての深いお話―
2024/09/24
名古屋城
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はじめに
S翁の紹介から始めよう。S翁は、名古屋方面における森田療法の重要人物のおひとりである。目立つことをお嫌いになる謙虚なお方で、このように紹介されること自体迷惑かもしれないのだが、そこを口説いて半身のご登場をお願いした。S翁(以下、S氏)は、若き日には初期の名古屋啓心会活動をなさっていたが、さらに鈴木診療所における修行的な体験を通じ、知準師からの薫習よろしきを得て、森田療法をご自身のものとした経験を有していらっしゃる。かつて東海地区における第二次生活の発見会の発足にかかわられたが、その後自由な立場で、絶えざる研鑽をお続けになり、後進の指導にも当たってこられた。氏は森田療法の経験者にして実に賢者である。
私は以前に名古屋地区での森田療法の普及の歴史を調べていた折りに、この方にお会いする機会を得た。われわれは齢を同じくすることもあるが、それよりも氏の滋味溢れるお人柄、森田療法の経験の深さ、そして仏教などの東洋思想についての博識さは人を惹きつけてやまない。
S氏は、美術の分野でも造詣が深く、ご自身も絵筆を振るわれ、名古屋のチャーチル会の指導者的な立場におられる。氏の中では、美術と森田療法はどのようにつながっているのだろうか。
ともあれ、S氏は、若き日より本物の森田療法の道のりを辿ってこられた。そしてそのような経験に基づき、森田正馬の入院原法に発する本来の森田療法への深い想いを秘めておられる。氏は、森田療法についての本物の人でありながら、その本物さを決してひけらかそうとなさらない。本物さにかけては、私は到底S氏の足元に及ばないが、S氏の本物さを引き出すことにかけては、第一人者かもしれないと自負している。
暑かった夏の日々、そんなS氏から、暑気払いと称して、何本かの意味深いメールをいただいた。氏の森田療法観が伝わってくる。しぶしぶながらのご了承を得たので、ご紹介させて頂く。
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7. S翁の森田療法についての深いお話
1. 時代と森田療法
【S氏のお話】
森田療法も時代に相応したものでしょうが、森田正馬の時代と現在の時代相とはあまりにもかけ離れているように感じていますが、如何でしょう。
鈴木知準先生の所に入寮して、森田の原法を厳しく守っていると聴いていたのでしたが、これは少し違うのではないかと当時の私は思ったものでした。
絶対臥褥について。
① 毎日「診察」と言って鈴木と顔を合わせる。
(私が診察室の前まで行って「おはようございます」と挨拶をかわす) ―鈴木は真剣に私の佇まいを観察する。約1秒間。全寮生に混じってです。
② 2回ほど、先輩寮生の案内で風呂に行った。(夏の暑い時期で、衛生面を考えてか)
③ 不安障害タイプの人には投薬をしていた。
作業の療法期の様子
① 家庭療法ではなく、寮生活療法だった。30名から多いときには40名位になると、当番制の役割分担とせざるを得ないようで、主体的な作業の割合が少なくなっている。
② 朝、日本古典の朗読はない。
③ 体操や意識的な深呼吸さえさせなかった森田だが、ここではラジオ体操を、朝晩行った。静坐も毎日夕食後に行った。
④ 雨の日など、外で作業が出来ないときなど、寮生で歌を合唱した(旧制高校寮歌)。またかるた取りなどの遊びをした。
このように想いかえしてみると、鈴木知準療法とも言えなくもない。
高良興生院では、もっとくだけた調子で、卓球やミニゴルフもあったとか。
テレビの前の机に女性の裸体の写真が載った雑誌が置いてあり、高良が職員を叱ったことがあったとか。詳しくは判りませんが、これも高良療法というようなものになっていたようです。
ことほど左様に、昭和三十年代にはすでに時代に合わせた森田療法たらざるを得なくなっていた、と言えるのではないでしょうか。他の施設は判りませんが。
しからば、現代ではどのように対処したらよいのか、ということですよね。
森田療法学会では、そのような現代に適応した森田療法を応用した方法論を打ち出して欲しいです。
【ミニ解説】
森田正馬が創始した入院原法の 森田療法こそ最重要であり、その本質を守り続ける必要があることは言うまでもない。ただ、時代の変遷に伴って社会的背景が変わるので、療法の本質が受け継がれていても、当然ながら療法の姿は変化を辿ってきたのであった。さらに森田正馬とそっくり同じの治療者をもう一度輩出させることは出来ないことであるし、その必要もない。人間森田から学び、かつ森田療法的に培われた豊かな人間性をそなえた治療者が存在することが必要である。
S氏は、さりげない言葉で、森田療法のあり方に向けて、そのような意味の重要な指摘をしておられるのである。
第二世代の森田療法として、高良武久とその高良興生院、同じく鈴木知準とその鈴木診療所があったが、これらを見ても、療法の本質を貫きながら、治療者それぞれの人間性の熟した味わいがあり、療法の構造にも独自性があらわれていた。第二世代において既にそのようであったのだから、今日には今日の、未来には未来の森田療法のあり方があるはずである。しかし、療法の生粋の本質は、時を超え、時代を超えていつまでも通じるものでなくてはならない。
くだけた言い方をすれば、森田療法を大切に生かし続けるために、外してもいいところといけないところ、あるいは、こだわらなくていいところとこだわるべきところがあるのである。
S氏はこのようなことへの気づきの大切さを深く示唆なさっているのである。
森田療法の臨床や研究が今日も活発に続けられているが、現実における森田療法の真贋性を常に問い続ける必要があるのではなかろうか。ミニ解説のつもりだったが、S氏に触発されて、ついこんなことまで書いてしまった。
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2. 「 アバウト理入」と「しっかり行入」
【S氏のお話】
私達、神経質の体験者は内外の精神医学に通じているわけではありませんし、またそこまで知る必要はないですから、ただそういうものかと思うばかりです。
私の場合、森田療法の恩恵を受けて、師と信じた人の指導についていくのみでした。
それでも半世紀経てば、あれやこれやと探求したり、自然と心療内科的な範囲の知識や研究論文が目に触れることになります。
でも基本は、アバウト理入、しっかり行入、アバウト理入、しっかり行入の繰り返しです。これは私のオリジナルで、修行に入るのに理入と行入の二つの方法があると言われていて、アバウトはいい加減という意味ではなく、ざっと頭に入れておくということ。主になるのは行(身体を使って、そのものになりきること)です。
こういう立場ですと、理論はどこから来ても私は追求する立場にないのです。いろいろな要素が組み合わさって森田療法が出来上がり、その恩恵だけを受ければそれ以上望むものはなく、ただ知的好奇心と若干の探求心に乗って、興味津々でさまざまな研究者の説を読むばかりです。
ただ一つだけ言えることは、森田療法で大切なことは、自分が本当に信頼できる師(医師)に出会うことだと思います。自分の心を全部投げ出して、すべてを任せる態度ができたとき、森田療法は半ば成立している、と考えています。歳を重ねるとそのことがだんだんとわかってきました。
今の人は、そういう意味では不幸です。外来療法ではそういう関係が出来難いからです。
師と言っても、依存性ができてしまうと危険ですが、人徳のある師は巧みにかわしているようです。
【ミニ解説】
達磨大師によるとされる禅の典籍に『二入四行論』というものがあり、自己修養の入り方、行じ方が示されている。これによれば、修養に入る方法は、知識や認識から入る「理入」と現実における実践から入る「行入」 に大別されている。
S氏はこの「二入」に託して、自身のオリジナルな修養への入り方として、柔らかい表現で「アバウト理入」と「しっかり行入」について述べておられるわけである。
禅や大乗仏教においては、知識や認識の根本は「無分別智」であるから、それ以上の賢しらな理論は無用である。仏教や禅を森田療法に生かすに当たっても、理論にこだわらないアバウト理入でよいことは、まことに的確なご指摘である。行入については『二入四行論』では四行として分けられているが、とにかくS氏のご意見のように、師を信じてしっかり修行するばかりである。
【S氏のお話の続き】
「アバウト理入」、「しっかり行入」は、今の私が言っている言葉です。鈴木先生のところでは、「アバウト理入」、「よたよた行入」で、ちょろんと仕事に入る、よたよたでいい、仕事にイヤだイヤだと思って入っていく、そのうち嫌なものが嫌でなくなる。そういう過程を通ってきています。
その時その時で、言葉が違ってきています。言葉とはそういうものだと認識してやりなさいと教えられてきました。
「神経質を超えた人は、自分の言葉で森田を語ります。ものそのものになり切った時、あるがままもへちまもありません。森田の言葉が本当にわかったのは、この頃(60歳)ですよ」と鈴木知準先生。
「忘れて行入」、「ぴったり理入」まではなかなか。神経質で一生が終わってしまった。ま、こんなものか、と思ったらかえって欲に乗って残りを楽しみながらやっていけるような気がします。
【ミニ解説】
解説は要らない。S氏の言葉を味わうのみ。
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3. むすんでひらいて―世間との折り合い―
【S氏のお話】
「むすんでひらいて、てをうってむすんで、またひらいててをうって、、、」(古い童謡の歌詞)
これは、「むすんで」が理です。「ひらいて」が行です。「てをうって」が理解です。その手を世間との折り合いに持っていくのです。これの繰り返しが森田療法です。
そのように、粘ってやっていくのが体験者の本音です、と勝手に思っています。
ただ、この歌詞には深い意味があるようですね。むすんでは神道、ひらいてはほどくで仏教。
ほどくがほとけになったという説もあるようです。
「むすんでひらいて」は面白い言葉ですね。玄侑宗久の本に、この言葉が取り上げられています。ヨーロッパやアメリカに同じメロディの歌があり、讃美歌になったりしています。原曲の作曲者はフランスの哲学者のルソーであったと言われていますが、その真偽は分からないそうです。
それよりも、不思議なことには、わが国におけるこの歌の作詞者は誰であったのか、分からないそうです。
明治三十年代から幼児教育の場で歌われていたとのこと。
面白いことに、戦後マッカーサー統治下、禁止されていた神仏思想をひそかに普及させるため、児童に歌わせていたとも言われているようです。
玄侑さんも、神は結ぶもの、仏はひらくものと捉えていて、さらに華厳の思想とも重ねています。
私は、「むすんでひらいて」を、体験から森田療法で理解しています。
人間が人間社会で生きていくためには、弊害が多いけれど、言葉の「結ぶ」機能がどうしても必要になる。しかし、人は、原初のほどけたエネルギッシュな状態、つまり混沌をどこかで覚えているのでしょう。そこへ繋がる回路を、もう一つの知性として蘇らせたのが、東洋の宗教でしょう、と玄侑さんは述べています。
言葉をほどくということ。鈴木知準もそこを言っていたのだと思います。
【ミニ解説】
「むすんでひらいて」を森田療法で理解しておられるS氏は、極めて優れた着想力の持ち主である。画家としての感性が、こういうところでも働くのであろうか。
言葉による結びの機能と原初のエネルギーの流れが織りなすところに、人間社会がある。その中に理解を見出し、世間と折り合いをつけていくことが必要であると言う。これは平易な卓見であり、森田療法にとっても、重要な着地点である。森田療法における最終章とも言うべき治癒のあり方として、世間との折り合いを重んじている点で、秀逸なご指摘である。
S氏の軽やかなお話から、いくつかの貴重なご教示を頂いた。皆様にそれをご披露することを許してくださったS氏のご厚意に深謝したい。