【寄稿】:「森田正馬の病跡をめぐる対談を終えて―鈴木知準と森田正馬―」 杉本二郎

2023/01/15

杉本二郎 筆

 

 

♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥

 

 

【寄 稿】

 

 

四方八方に気を配るということ    杉本二郎

 

 岡本重慶先生と対話させていただきました。
 この度のテーマを一言でいえば、森田正馬の神経質性格とADHD性格の特質が森田療法の指導に相補的に働いていたのではないかということ。しかもとらわれの強い神経質者の治療にADHD性格がある種効果的には働いていたのではないか、というものです。
 私は医師でも専門家ではありません。当然のことながら精神医学全般の知識は持ち合わせておりませんので、森田の性格分析を学問的に判定することはできません。長年森田正馬の著書を通じて森田療法を知り、また旧形外会の先輩方のお話を伺い自分なりの森田正馬像をイメージしてきました。
 奇人、変人と言われてきた興味深く、愛すべき森田先生の言動については、岡本先生とお話ししこの論文で文章化されています。
 私は昭和40年(1964年)代の初め、当時名古屋で「名古屋啓心会」という水谷啓二氏主宰の初期「生活の発見会」の雑誌を読む会に参加させていただいておりました。東海地区在住の旧形外会のメンバーと時々関西、関東在住の方々がおいでになり体験談を聞かせていただいておりました。また、どうしても一度実際の森田療法を受けてみたいと思い昭和45年に鈴木知準診療所の門をたたき鈴木先生から指導を受けました。

*            *

 前説はそれくらいにして、ここでは、鈴木先生から指導を受けたなかから、森田のADHD傾向の指導部分とある種重なるところが垣間見えるのではないかとその部分をとりあげてみたいと思います。それは森田の奇人、変人といわれる言動と相対化することによってそれが当時の寮生に効果的に働いていたのではないかと考えるからです。自分の体験を通してそのあたりを述べてみます。

 

 本論でも紹介されているように、森田先生が夫婦喧嘩をされ、寮生たちに「どちらが正しいか言え」と言われても聞かれたほうはどう返事してよいものか困ってしまう、どうしてよいのかわからない。また、先生ご夫妻が一緒に外出される際、気の早い先生は玄関で帽子をかぶりステッキをもって奥様がこられるのを貧乏ゆすりして待っている、奥様はゆったりとお茶漬けを召し上がっておられる、外では呼んだ車が待っている、なかに入った寮生はおろおろするばかりです。
 また旧形外会の会員が「森田先生の教えってのは、是非、善悪、正邪、そういうものから超越しているでしょ。ですから結局、何がなんだか分からない時もありますね」と述べています。
 この、寮生の「困ってどうしてよいかわからない」と「おろおろするばかり」
「わけがわからない」が重要なポイントになると考えます。

 

 私が受けた鈴木先生の森田療法指導のなかで、‘当時’、どうしてそうなのかとどうも理不尽だと感じたことの一端を述べてみます。(かっこ内は鈴木学校に入学して日の浅い当時の私の感想です)

 

・風呂の水を汲むとき、先生の指示で50メートル位離れた井戸水をくみ上げ12~3人が横一列に並んでバケツリレーをして風呂桶に水を入れるのです。
(水道があるのだから、蛇口をひねるだけで風呂水はすぐ満杯になるものをどうして大勢でバケツリレーをしなければならないのか。)
・診療所の中庭に夜電燈が点けられる。指示された当番の寮生が、朝まわりが明るくなった頃を見計らって電燈を消すのです。当番は目覚まし時計をつかわないように言われていたので東の空が赤くなりはじめた頃に目を覚まさなければならない。
(なぜ目覚まし時計を使わないのか)
・今日は記念の写真を撮るから全員中庭に集まるようにとお達しがあった。32.3名の寮生が集まった。一度には画面に入らないので2班に分けて並ぶようにとのことで、最初の組が先生を中心にしてカメラにおさまった。そのあとです、先生はスッと皆から離れ院長室方へ入ってしまわれた。残された別の班の寮生は呆然としていた。
(皆、先生と一緒に写真を撮りたかったはず)
・先生は定例の講話のほかに、突然そこにいるひとたちを集めて作業室で話をされることがあった。寮生の大部分は日課にしたがってそれぞれ作業をしていて、雰囲気を察知して作業室に駆けつけるのですがすでに扉が閉まっていて部屋の中に入れない。先生はぼんやりしていると聞きおとすようにしむけるのです、と仰有る。
(私も締め切られた窓硝子の外で耳をそばだてお話を伺ったことが再々)
・時に、隣接したご本宅での掃除に4~5名が呼ばれることがある。先生も一緒に掃除をされながら指導する。君、ここのホコリを雑巾で拭きなさいと指示される。雑巾の絞り工合いに気をくばり、2~3回拭いたところですぐ、ここがこんなにも汚れているじゃないか、箒で掃きなさい。何をボヤボヤしているのですこのソファヲ動かしてください、と次から次へと言葉が飛んでくる。前のバケツや雑巾、箒をどうしたらいいのかわけが分からなくなってくる。
(仕事三昧に入りなさい、と教えられたことと違うではないか、どういうことかと困る)

 そのように、鈴木学校でも「どうしていいかわからない」と感じたことと、森田先生に指導された形外会の方々が経験された「どうしていいかわからない」ことは同じことではないかと感想を持ったものです。
 言葉を変えれば、この不条理な言動による寮生の「困った」は森田先生の場合は多分に岡本先生の言われるADHD性格から派生してくるものであり、かたや鈴木先生の場合は、熟練した長年の経験から編み出された森田療法技法のひとつに他ならないのではないだろうか。そこには相似性があると考えます。

 

 当時、鈴木先生から「君はもう少しここの人になれば眼がやさしくなります」と日記帳にデカデカと赤ペンで書かれました。「ここの人になる」とはどいいうことかますますわけもわからず悩んだものです。たしかに私の作業は治病のため、そしてもっと言えば時間つぶしにただ作業をこなしているだけという感じでした。
 そのころ、炊事当番で飯炊きの役割を与えられました。ここで一つの転機が私におとずれます。
 普通の釜二つを使って、ガスでおよそ40名分位の量の飯を焚くのです。私はほとんど飯炊きの経験がありません。自動電気炊飯器がすでに出回っていた頃ですがここではガスで炊くのです。もし失敗したら先生をはじめ寮生、職員のすべてがこげ飯を食べなければならないはめになり責任重大です。ともかく理不尽と感じることがあってもそんなことはどうでもよい、飯炊きに失敗しないように全力をあげてやってみよう、そして鈴木学校のなかでの自分の居場所を作ってやろう、「ここの人になる」とはそういうことではないかと前任者に訊きながら飯炊きに全力をあげました。
 水の加減はどうか、焚く時間を計り釜の中の音を聞き分けて飯炊きに取り組みました。何とか炊けるように心が集中できるようになった時心が活性化してきたのか、今日のお皿は何枚用意するのか、それが出来ているのか、お茶の準備はできているのかと他の方にも注意が向くようになってきました。これまでのただ日課にしたがって作業をこなしてきた時と明らかに異なる作業態度が自覚できました。時には飯炊きが嫌になって釜の底を磨きながら気分が沈んで手が動かない時も間々あり、それでもヨタヨタとでも続けたものです。
 この経験がのちの社会にでてから仕事、生活する上での基礎になっているとおもわれます。

 

 「困ってどうしてよいか分からない」「わけが分からない」「おろおろするばかり」というところへ落とし込まれて、やもうえず自分の足で立って(主体性をもって)そこから一つのことに取り組む前向きの姿勢が出来てくるのではないか、そして仕事三昧になりきることによって内発的に精神は活性化され、四方八方への神経質者特有の気の配りが出来てくるのではないかと今になって思われます。
 この頃でも、突然の講話で戸外に締め出されたたずむことがあって、しまったと思うことにはかわりがないのですが、そろそろ夕食の準備で机を並べなければいけないと次へ注意が移っていく。
 要するに、「どうしてよいかわからない」ところを通って、自分のすべてを受容する態度ができ、一つの作業に真摯に取り組むことによって四方八方へ注意がひろがる前向きの姿勢ができるものと思われます。

*            *

 この度のテーマの一つである、森田先生の奇人、変人といわれた言動が一面寮生への治療の一端を担ったのではないか、ということを鈴木知準先生の指導を受けた私のつたない体験を通して類推してみました。

(了)

 

♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥

 

 

【杉本二郎様のご寄稿に添えて】

 

 杉本二郎様は、鈴木学校での若き日のご体験を核に、森田療法の研鑽を深め、献身的に後進の指導に当たり、森田療法的な生涯を送ってこられたお方です。同世代の私たちふたりは、高齢になってから出会いに恵まれました。森田療法の生きた体験の持ち主であるのみならず、深くて広い学殖を有しておられる杉本様から、私は森田療法、それも古き良き森田療法に関わるあれこれのことを教えて頂くことになったのです。
 そんな私が、杉本様に、森田正馬の病跡について、「この人は発達障害だと思う、それもADHDだと思うのですよ」と、打ち明けたのでした。一昨年のことです。内心そう思っていたのはもっと以前からですけれども。杉本様は、自分は研究者ではないのでと、大いに謙遜しながらも、私の森田正馬ADHD説に関心を示されることになったという次第です。杉本様は精神医学者ではありませんが、その分野の知識の吸収にも努められ、また何よりも、自家薬籠中にある森田正馬の生涯についてのうんちくを傾けて、私を啓発し、森田ADHD説について意見交換に応じて下さいました。一昨年は時既ににコロナのさなかで、やりとりはほとんどが、オンラインでのメール交換になりましたが、杉本様のような智者が惜しげもなく、卓抜したご意見をくださったことで、私はどんなにか教えられたのでした。

 

 そして、森田ADHD説についての、ふたりの延々と続くオンライン対談は、これこそ公表するに値すると考え、原稿として記事に残すべく、対談の連載を一年前から開始したのです。その企画を持ち出したのは、勿論私で、対談でも放談でもいい、気楽に連載を進めていきましょうと持ちかけたので、ある意味杉本様をペテンにかけたようなことになりました。実際、最初はプロ野球の落合博満監督について論じあったくらいです。しかし、対談を進めるほどに、自分たちの森田ADHD説の底深さにわれわれみずからが遭遇することになりました。そんな中で、主に杉本様から新しい気づきや新しい視点が提供され、私たちの森田の病跡論議は進みました。しかし対談という形式を維持するには内容が深きに及び、かつ複雑になってきたため、連載の後半に至っては、岡本が対談内容を文章化して原稿にするという方法を取ることになりました。

 

 さて、病的であろうとなかろうと、森田正馬の実像に迫ろうとするわれわれの目標への道筋として、森田の直弟子としてその影響を受けた鈴木知準の人物像の把握を介して、時間軸を逆走して森田にアプローチするという方法もあり得るわけです。鈴木の下での森田療法の体得に発しておられる杉本様の抱かれた方法論的な着想は、そこにあったようなのです。杉本様は、鈴木と森田のふたりは「合わせ鏡」だという持論を張られました。私は鈴木と森田を同次元に置いて「合わせ鏡」とする論旨に、実は同調できなかったのです。私は「合わせ鏡」という用語につきまとう文学性や非論理性が気になったのです。そのため、私たちのやりとりに、齟齬が生じた一幕もあったのでした。それは対談の水面下で起こっていたことでした。

 

 かくして、今回ご寄稿頂いた玉稿の内容は、「合わせ鏡論」を避けて、鈴木と森田を相対的に論じるという、これまた重要な森田療法論になっているのです。でも「合わせ鏡論」が封じられたためか、杉本節の論調が残念ながら低くなっています。
 ついでに、ちょっとバラしておきます。杉本様の流れるような文章の中には、小石のような誤字や誤記がいくつか透けて見えます。誤りにこだわらずに文章を執筆した本家は森田正馬でしたし、鈴木知準氏もその流れを汲んでいました。そこに杉本様を加えると、文章書き流しの御三家になります。漱石枕流の野暮さはそこにはありません。杉本様は、そんな風流な御仁です。ただし、一言しておきたいのは、杉本様が書いておられるような「ADHD性格」などというような雑駁な捉え方を、私はしていないということです。ADHDという特質を安易に性格の一類型にしてしまう論理の弛緩を、私は避けています。男同士の相合い傘の中で、風流でせっかちな杉本様と妥協なき私の間ではときどき痴話喧嘩が勃発したのでした。風流な「合わせ鏡」の論争もそのひとつだったのです。

 

 森田正馬の病跡をめぐるふたりの対談記事は、一旦これにて終わります。ともあれ、杉本様になんと貴重なご示唆やご意見を頂いたことでしょう。杉本様は優しく、かつ意気地あるお方です。多分私はその小型のような人間です。そんな杉本・岡本コンビの老老対談が、ゾンビのようによみがえることもあるかもしれません。杉本様は、「鈴木・森田合わせ鏡論」を引っさげて、再登場して欲しい。
 ではまたその時まで。
皆様、ご機嫌よう。

   岡本重慶 記

2023謹賀新年 京都森田療法研究所

2023/01/01

 

❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤

 

 謹 賀 新 年

 

2023年が明けました。改めて、おめでとうございます。
今年は戦をやめ、禍を乗り越えて、みんなで力を合わせて、しあわせな生活を送れる年にしたいものです。森田療法は万人のもので、その目指すところも、同じく万人のしあわせにあるのだと思います。

 

森田正馬は高知の野市町の兎田(うさえだ)という地に生まれ育ちました。兎田という地名の由来には、何か兎に関する地域の歴史があったのでしょうか。よくわかりませんが、兎は犬神の餌食になりそうですから、弱い地名です。兎田出身のコンプレックスから、森田正馬は犬神の研究をしたのかもしれません。彼は中学生のときには、猫を撲殺して解剖をしたことがあるほどなのに、医師として療法を始めてから、飼っている兎が犬に噛み殺されたときには大いに同情し、兎に対する憐れみを患者に教えました。

 

以前にベルギーを訪れたとき、私は兎料理に舌鼓を打ちました。あっさりした肉に濃い味付けがしてあって、あれはおいしかったです。まだの人はぜひ召し上がれ。兎と人間の関係もさまざまです。兎たちに幸あれ。皆様にも幸あれ。

 

令和5年元旦

 

京都森田療法研究所

 

主宰者 岡本 重慶
研究員 一同
協力者 一同