ひと夏の経験(下)ー大原の里でー

2021/09/20

大原の里の彼岸花

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1.大手術ならぬ大検査を経て

怪我の原因はと言えば、自分の不注意で、高所から独りでボディスラムをやらかした結果であった。「手遅れ医者」という落語がある。二階から落ちて運び込まれた怪我人に対して、「手遅れじゃ。二階から落ちる前に連れてこい」という噺である。

しかしA病院では、「手遅れじゃ」とは言わずに、大げさな検査をしてくれた。アレルギー体質の有無を単純に問題にすれば、私はアレルギーの塊であり、全身の造影剤検査などできるはずがない。腰部のトラブルは、手術不要というより手術不能であった。こうして大手術でなく大検査を受けて、地獄の黙示録の中にいるような体験をした。若い主治医に、ヨード系造影剤と譫妄との因果関係のことを言ったが、彼はやみくもに否定した。そして「忘れてください」と言った。そんなひと夏の前半が過ぎて、お盆を迎えた頃、レハビリテーション専門の病院へと転院した。

 

2. 大原の里で

転院先は京都大原の、三千院の少し手前にある大原記念病院で、そこでひと夏の後半の経験をした。個室でパソコンを使えるレハビリ病院を探したら、少し遠いがこの病院が見つかったのだった。
山の中の静かな佇まいの病院だが、もとは特別養護老人ホームで、そこに老健施設とレハビリ病院が増築されたらしい。数十年の歴史をもつ病院で、建物の外観は古色蒼然としているし、内部構造は狭苦しい。入院患者も大半が高齢者である。実際に理学療法や作業療法のいわゆるレハビリを受けているのは、それらの患者の全員ではないように見えた。
しかしレハビリについては、広いレハビリテーション用のホールがあって、その中の雰囲気は病棟とがらりと変わる。

 

3. 「生きてます! 以上!」

レハビリの広いホールにはPTやOTの若いスタッフが大勢いて、患者たちのレハビリ指導に個別に熱心に取り組んでいた。ここには、活気といのちが満ち溢れている。1日3回、毎日そのホールに連れて行かれた。A病院での恐るべき体験は内科的であり、そこでの残念な問題は自分の内科的知識で直視できてあまりあったが、こちらの病院でのレハビリは外科的レベルである。若いスタッフと言えども、多くの点で私よりプロフェッショナルであった。ときどき医学的に考えてしまう私の理屈は、後から考えると誤っていたことがあって恥いっている。もっと厳しくしてもらってもよかったと思うが、それも私の勝手である。
片方の脚を失って義足になった人もレハビリを受けていた。プロレスラーの柴田勝頼は、大試合で死闘をして、硬膜下血腫の重傷を負い、手術を受けたが、半盲の症状が後遺症として残った。彼が、「生きてます! 以上!」とリングで挨拶をしたのを思い出す。病院のレハビリルームでは、みんなが生きていた。

 

4.作業療法と森田療法

病院の敷地内には農園もあって、農業は作業療法にも取り入れられていた。収穫した野菜は病院食の食材として生かされているそうである。OT(作業療法士)の人たちは、森田療法のことを少し知っていた。レハビリの一環で農園のそばを歩いたこともあった。赤いサルビアの花が咲いていた。
レハビリを完全に卒業できたわけではないが、9月になり、そろそろこのへんで退院させて頂くことにした。退院時には、お世話になった職員様が見送って下さり、花まで頂いた。
レハビリはこつこつとやらなければならない。ひとりで続けることはなかなか大変である。森田療法と同じである。

 

退院時に頂いた花