「森田正馬が参禅した谷中の「両忘会」と釈宗活老師について」の余録(3)―谷中初音町二丁目の古地図とその環境―

2018/03/02


歌川広重 筆「天王寺」 (国立国会図書館デジタルコレクションの『江戸名勝図絵』より)。
五重塔は、幸田露伴の小説のモデルになったが、焼失した。
谷中初音町二丁目は、この天王寺の門前町としてできた区域の一部である。

 

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1. 谷中初音町二丁目の古地図と地籍
   先に示した旧町名地図で、谷中初音町二丁目の全体の位置はよくわかったが、区画内の各地籍はわからなかった。
   国立国会図書館のデジタルコレクションの中に、大正元年の東京市の地籍別の地図を見ることができた。その谷中の地図と、初音町二丁目の部分を拡大した図を、以下に掲げておく。
 


谷中初音町などの地籍地図


 

先の地図より、谷中初音町二丁目を、拡大して部分表示。



 

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   以上の地図より、初音町二丁目の土地は、短冊状に一番地から一八番にまで分かたれていることがわかる。地図上の一部には、所有者として人名や寺院名が出ている。


地籍台帳にある、地籍別の詳細。



 

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   地籍台帳には、地図だけでなく、地籍別の記載があり、初音町二丁目の各地籍ごとの所有者名が列記されている。しかし、両忘庵が使用していた借家の大家の名前がわからないので、ここにおいても残念ながら、番地の特定につながらない。やはり両忘会の番地を知る方向から迫らねばならないようだ。
 

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2. 「初音の道」とその環境
   番地がわからないままでも、なおこの界隈の環境的特徴について知ることができれば、参考になると思う。
   椎原ら(注)は、江戸明治の都市基盤の現在への継承についての研究において、「江戸・明治・大正・昭和の都市基盤が重層的に残る台東区谷中界隈」を対象として取り上げている。さらに町並みについては、「門前町屋型」の地区として、谷中の尾根道である、通称「初音の道」沿道に注目している。ここは、傾斜している谷中の町側からも、日暮里側からも高台にあたり、尾根を形成していて天王寺のへの参道にあたる。この沿道の東側が、谷中初音町二丁目なのである。著者らは、東側については、「天王寺の門前町として江戸初期から形成され、短冊型の敷地に表店と裏長屋で構成されていた」としているが、東側の敷地のすべてがそうであったとは限らない。
   さらに、西側および沿道一帯についての記載があるので、引用しておく。
 
 「西側沿道は、江戸期に谷中に転入してきた寺院が並び、その山門参道脇のひと皮の敷地を門前町屋としているケースが多い。西側北部は組屋敷があったところで、江戸の朱引線の際にあたり、やや不定形の街区に細工職人や歌舞伎役者などが住みこんでいた。明治になってその奥の村分地も宅地化され、路地が奥まで入り込んでいる。一帯は、江戸期から職人、芸人層が多い地区だが、明治になって上野が芸術の中心地になったことに呼応し、芸術家や作家などの文化人も多く居を構えた。」
 
   門前町屋型の、この「初音の道」沿道の東側が主に初音町二丁目で、向かい側は主に上三崎北町だったが、沿道は一体のものである。この界隈は、天王寺の門前町で、かつ寺町であり、町屋が並び、職人や芸人が住んでいたという町内の雰囲気が伝わってくる。
   やはり釈宗活老師に似合いそうなな場所柄である。
 
注 ) 椎原晶子、手嶋尚人、益田兼房 : 江戸明治の都市基盤継承地区における歴史的町並み、親しまれる環境の継承と阻害 ―台東区谷中 ・初音の道地区を事例に―. 2000年度第35回日本都市計画学会学術研究論文集 ; 799-804.
 

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明治時代の谷中天王寺の五重塔。
国立国会図書館デジタルコレクションの『東京景色写真版』(江木商店刊、明治26年)より。