丹後ふるさと病院と、院長の瀬古 敬 先生ー嘱託研究員の再紹介ー

2017/04/15

病院の裏山から望む琴引ガ浜と日本海(3月30日撮影)

病院の裏山から望む琴引ガ浜と日本海(3月30日撮影)


 

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丹後ふるさと病院の院長、瀬古 敬 先生に嘱託研究員になって頂いている。瀬古先生は神経内科の医師だが、森田療法に関心を持ってくださっている。そして、何よりも、京都府の北の僻地、京丹後市の丹後ふるさと病院に長年にわたって勤務して、過疎地の地域医療に貢献しておられる。そのような実践が、森田療法そのものである。
丹後ふるさと病院と瀬古先生のことについては、数年前に本欄で紹介したが、ここに改めて再紹介したい。
 

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瀬古 敬先生(嘱託研究員)

1965年 京都大学医学部卒業
京都市立病院神経内科部長を経て、
88年 京都府網野町の佐久間病院院長就任
95年 特定医療法人三青園理事長・丹後ふるさと病院院長就任(佐久間病院を再編・名称変更したもの)、現在に至る
医学博士、日本内科学会認定専門医、日本神経学会認定専門医、日本森田療法学会会員

写真はMD/EYEの特別インタビュー記事より

写真はMD/EYEの特別インタビュー記事より

 
安保闘争の嵐が吹き荒れ、東大の安田講堂が燃えた昭和のあの時代。医学部では、インターン闘争や医局解体運動に、医学生や若き医師たちは、考え、活動し、そして傷つきました。瀬古先生や私(岡本)はそんな記憶を共有しています。若い頃から瀬古先生は、質実剛健で、自分でものを考える人でした。宮沢賢治の詩を好んで読んでおられたように記憶しています。瀬古先生によれば、私は自分の下宿にニーチェの本を置いていたそうです。私自身はニーチェを熱心に読んだ記憶はなく、精神科に関心を持ち始めていた私は、生意気にもニーチェの病跡学の本を読んでいた可能性があります。精神医学のはしかに罹って、それを専攻したようなもので、我が身の浅はかさを思います。
医師になり、互いに異なる専門の道を進み、数十年を経ましたが、瀬古先生のお人柄は変わっていません。むしろ思考力、判断力はますます充実し、行動力は衰えを見せるところがありません。二十年以上前より、京都府下の、日本海に面した北の過疎地の病院の院長になり、地域医療に献身的に従事し続けておられます。精神科でなくとも、このような一般医療の第一線での臨床こそ、本物の森田療法の実践であると感じ入り、研究員に加わって下さるように懇請したのです。
それで改めて出会って話す機会が増えました。聞けば、寸暇を見つけては禅寺へ座禅に通っておられた経験もあるそうでした。この先生は、頭が森田療法なのではなく、人間が森田療法なのです。ちなみに最近は、ニーチェを読んでおられます。もちろん深い読み方をなさっています。森田正馬はニーチェに対してやや批判的でしたが、ニーチェのような凄みある覚悟を奥底に秘めていなければ、医師として充実した後半生を、過疎地の医療と福祉に捧げ続ける意志を貫徹することなどできないでしょう。
以下では、ある医学雑誌に掲載された、瀬古 敬先生への特別インタビュー記事を要約して(掲載後のことは若干加筆して)、先生の活動を紹介します。

丹後ふるさと病院院長
瀬古 敬先生に聞く
「過疎地の認知症診療の実際」

(主に雑誌 Medical Doctor 2012年2月号に基づく)

かに漁や丹後ちりめんで知られる京丹後市網野町は、高齢化率が30パーセント近い過疎地域だ。
丹後ふるさと病院は、同地区で唯一の病院として、認知症患者の診療に積極的に取り組んでいる。本年4月には、病院の隣接地に特別養護老人ホーム「ふるさと」も増設され、医療、介護の複合的なシステムで地域の高齢者を支援する体制が整った。しかし進む過疎化の中で相対的に増加し続ける認知症者のケアのニーズへの対応、医師や看護師など人的資源の確保、加えて病院や福祉施設の経営基盤など、困難な問題を抱えている。そんな事情の中で、地域の期待に応えようと、瀬古先生は日々努力をなさっている。

京丹後市

京丹後市

 

― 病院設立の経緯について
瀬古) 京都府は、対人口比で見ると全国で有数の医師過剰地域です。しかし京都府は南北の縦に長い自治体で、京都市は南に位置し、医師の大半は京都市内またはその周辺に集中しています。丹後半島が典型的な過疎地、医師不足地域であることは、全国的に知られていません。「京都に過疎地なんてあるのですか」と聞かれたりします。
病院がほとんどなかった丹後地域に、地元の有志の方々の努力で「佐久間病院」が誕生しました。その後私は、地元の有力者の方々から頼まれて、どこか温かみのあるその人たちの依頼を断りきれず、院長として協力させていただくことになりました。そして病院を地域の網野町とのジョイントベンチャーのような形で運営しようという構想を地道に話し合い、95年に公的性格の強い特定医療法人の承認を取得して、新しく「丹後ふるさと病院」になりました。

― 地域の認知症の実態について
瀬古) 14年前にWHOの調査がありましたが、当時の日本では、アルツハイマー型認知症より血管型認知症の方が多かったのです。しかし当地域では、その頃から、血管型よりアルツハイマー型の方が多いという結果が出ています。その理由ははっきりしませんが、日本海のおいしい魚食の習慣が関係しているのではないかと考えられます。血管型認知症の発症率が低いのではないかということです。
このように相対的にアルツハイマー型認知症が多いということと関連して、徘徊などの周辺症状が多く見られます。薬物もある程度有効ですが、認知症を治癒させるという期待に応えるほどの効果はありません。むしろ周辺症状などへの対応策を中心に、ご家族の方々と知恵を絞り、艱難を共有して努力しているのが現状です。

― 医療と介護の複合化について
瀬古) 過疎地の病院では、1人の医師がなるべく広い領域を診療しなければならないという面があります。しかし専門的な診療もまた必要なので、当病院はかなり多数の診療科を有しています。専門的な診療については、遠くの大学病院などから医師を非常勤で派遣してもらっているのが実情です。
当病院の患者さんの7割は75歳以上です。高齢者では認知症はありふれた病気(Common Disease)です。こうした方々には、高血圧、糖尿病など多数の合併症があります。この年齢層では癌も、Common Diseaseです。そのため当病院では、往診や訪問看護や介護センターを手がけてきました。もちろん私自身も往診しています。しかしそれだけでは間に合わないため、地域の包括支援センター、グループホーム、老健施設、老人ホーム、訪問看護ステーションなどと連携して対応しています。地域の診療所や施設と連携して勉強会も始めました。
本年4月には病院の隣接地に、特別養護老人ホーム「ふるさと」を開設しました。医療機関に近接している特徴を生かした施設にしようと思っています。

紹介後の感想
インタビュー記事では公言しておられませんが、ご自身が理事長の重責を負っている法人の傘下での、この特養の開設が、まさに苦渋の決断だったことは、察して余りあります。
神経症の治療としての森田療法を守り続けることも必要です。だが、医者であってみれば、森田正馬のような人と志を同じくして、時を超え、場所や立場を異にして、平成の今を森田のように生きることができたら、それほど尊いことはありません。そんな貴重な志を持つ医者、瀬古先生が身近におられることを有り難く思っています。
(岡本:2012年7月22日記載のブログの再掲)
 

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病院の玄関

病院の玄関


 
病院のほぼ全景

病院のほぼ全景


 
病院の隣に、特別養護老人ホーム「ふるさと」もある。 瀬古先生は、特定医療法人「三青園」の理事長で、法人内の2つの組織、病院と特養の管理者を務めておられる。

病院の隣に、特別養護老人ホーム「ふるさと」もある。
瀬古先生は、特定医療法人「三青園」の理事長で、法人内の2つの組織、病院と特養の管理者を務めておられる。


 
病院の前には、離(はなれ)湖という淡水湖がある。

病院の前には、離(はなれ)湖という淡水湖がある。


 
3月末に病院を訪問した。画像は、すべてその時に撮影したもの。
丹後ふるさと病院ホームページ