「江渕弘明医師、禅に生きた森田療法家―その知られざる生涯と活動の軌跡―」の発表について

2016/12/03

 生涯のほぼすべてを、森田療法と禅で生き抜いた森田療法医がおられました。
 江渕弘明医師(1916[大正5]-1998[平成10])。
 少年期に始まる神経症的体験をきっかけにして、森田療法に触れ、さらに青年期の10年にもおよぶ結核療養生活の体験から、森田療法や禅の世界に一層深く入っていかれたものと思われます。
 私たちにとって、さほど遠い過去の世代の人ではありません。なのに、療病十年、僧堂での修行生活二十年、森田療法について研究的な発信をされることもなかったためか、ほとんど知られていない人物です。修行中には、僧堂から出て一部の森田療法の関係者たちと交流なさってはいました。その足跡をたどることでこの希有な人物に迫ろうとしました。森田療法にとって禅とは、森田療法家にとって修行とは。われわれはこの先生から多くを学ぶことができます。
 去る11月26日、第34回日本森田療法学会(東京)で、その発表をしたのでした。しかし、一般演題の限られた時間内に、江渕先生に関するすべてを述べることはできませんでした。残念ながら、うわべをなぞるだけの発表になりました。それにもかかわらず、江渕家のご親族の方々、4人様がご来聴下さり、恐縮しました。そして勿論留意するとは言え、江渕家のプライバシーにある程度は関わるかもしれないこの発表についての、私の強いお願いに、同意して下さいましたご夫人とご親族の方々に、改めて心から感謝しています。
 
 学会当日に提示したスライドは、「研究ノート」欄に再現し、説明を書き込みました。学会の限られた時間枠内で話したことよりも、若干説明文が膨れた部分もあります。そこでは新規の追加説明を加えたことになりました。
 
 江渕弘明先生は、長年の修行体験を経て、「禅、森田道、本質全て一なり」という境地を得ておられました。そして修行も熟したその頃に、老師から印可を受けられました。
 ところで、その何年か後に、ひとつのエピソードがあります。江渕先生は、ある企業グループの慰霊祭に、老師代理として導師を務める大役を任されました。そこへ行くために金襴の袈裟衣を着せられた先生は、後輩のある僧に向かって言われます。「わしゃ、恥ずかしい。猿回しの猿のようじゃ。断ろうか」。そしたら後輩の僧から逆に諫められるのです。「常日頃から、人には、あるがままとか、恥ずかしいままとか、なりきるとか、思いきるとか言っていて。自分が思いきったらどうですか」と。
 人間は何年修行をしても、悟り澄ました聖人になれるものではないし、悟り澄ませばよいわけでもない、ということを江渕先生は教えて下さいます。
 「わしゃ、恥ずかしい」。それが「禅、森田道、本質全く一なり」ということなのでしょう。
 学会当日は、そんな挿話まで紹介できなかったのです。