森田療法 「サ・エ・ラ」~(1)2チャンネルの話~

2015/10/12

 あれやこれや、森田療法にまつわることについて、書きとめます。話は、あちこち(cà et là)に及びます。
 
 

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(1)森田療法についての2チャンネルの記事について
 

 私は、森田療法について書き込まれている「2チャンネル」の記事をたまたま読む機会がありました。2チャンネル、あなどるなかれ。様々な記事が出ていますが、森田療法をどう消化してどう生きればよいのかについての模索や、自身の経験から掴んだ森田療法観の開示や、森田療法家たちのスタンスの違いへの困惑と疑問などについての発言があふれています。管理の仕方にもよるのでしょうが、2チャンネルを全体として見ると、匿名の立場から他者への無責任な中傷が書き込まれていることが少なくないことは周知で、私もこれまでは2チャンネルを無視して、読もうとはしませんでした。しかし、森田療法についての書き込みをなさる方々は、動機はどうあれ森田療法について真剣に考えたことがある人たちを母集団としているようで、ひやかしではなく、概して深く高次のやりとりが交わされています。全部を読んだわけではありませんが、「ああ、なるほど、こういう発言や討論がされているのか」とわかり、参考になりました。
 建て前論を言えば、森田療法は言葉で論じ合うものではありません。論じている暇があったら、(なすべきことをなす、というような杓子定規を言うような野暮なことはやめるとしても)、まあ何でもいいから、することあるでしょう、となるのです。実際2チャンネルに参加しないで、自分の生活にいそしんでいる人たちが圧倒的に多い筈です(リア充?)。だから2チャンネルは、なくてもがなだけれど、でもそれは治療理論と実生活のあわいの中間領域として、ネット上で機能しています。ネット上の多少理屈っぽいアノニマスな自助グループの面もあるようですが、森田療法の今日的事情がこのようなチャンネルを生んだことは否めません。
 森田療法の原法においては、症状を訴えたり、治療法を論じたりする言語的交流は禁じられ、「不問」に付されました。私は三聖病院に関わってきましたが、「不問」はこの病院において、とくに顕著な特色になっていました。入院生活においては、治療者は修養生(入院患者さん)の訴えを聴かないのみならず、修養生同士も、症状や治療について話を交わすことは禁じられていました。院内には「しゃべる人は治りません」、「話しかける人には答えないのが親切」などと墨書された紙が掲示されていました。ある若者はこれを強迫的に守って、退院後、家でも緘黙的になり誰ともしゃべらなくなったので親が困ったというような笑えないエピソードもありました。修養生の人たちは、職員のいない場では、自分たち同士でおしゃべりはしていました。それが「とらわれ」を増強させることもあれば、他の修養生の体験から出た一言が、大きなヒントになることもあるようでした。規律は守るべきですが、強迫的になる必要もありません。臨機応変でよいのですね。
 もちろん、理屈をこねまわすことは治療的に不毛であるという意味では、「不問」が大切です。そして森田療法の根本的な本質のところは理屈抜きに重要です。そこのところを森田は「事実唯真」と教えました。それ以上はああだこうだと論じ過ぎてもむなしいわけです。とは言え、不条理にあるがままに向き合う森田療法という厳しい療法について、迷ったり、智恵を深めたりしてしている人たちにとって、ネットというしゃべり場があり、それがネット上であるがゆえに流動的で自浄作用を伴う集団として機能しているのは面白いと思いました。
 いずれにせよ、古い森田療法家も、若手森田療法研究者も、当事者も、人間みんなストレイ・シープ です。今日頭でわかった理屈は、明日吹っ飛んでしまうかもしれません。森田療法を論じても、どうにもならないことは多いようで。
 2チャンネルあなどるなかれ。しかし人生端倪すべからず。
 
 
「いのち短し恋せよ乙女
 紅き唇褪せぬ間に
 熱き血潮の冷えぬ間に
 明日の月日はないものを」(『ゴンドラの唄』)
注)旧世代向け。
 黒澤明監督の映画『生きる』で、癌で死を控えた主人公が口ずさんだ歌。
 主人公は、絶望と自棄を乗り越えて最後まで生き抜いた。
 
 
「生死事大 無常迅速
 光陰可惜 時不待人」
注)禅オタク向け。説明不要。
 
 (1)だけでは、「サ・エ・ラ」になりません。(2)は次回に。