三聖病院閉院の新聞記事

2015/02/02

 去る1月31日(土曜日)の京都新聞夕刊に、三聖病院の閉院についての記事が出ました。

 「薬頼らず、あるがまま受け入れる」

 『治療に「禅」神経科閉院』

 「経営難で東山・三聖病院」

 「90年の歴史」

 「元患者ら惜しむ声」

 このような小見出しや大見出しが、紙面のトップに踊り、院長の姿や、病院建物の外観の写真も掲載されています。

 記事の内容は、これだけいくつもの見出しがあれば、森田療法を知る者にとっては、いや少なくとも三聖病院を知る者にとっては、およそ察しがつこうというものです。禅を取り入れた独特の治療法の病院が、90年の歴史を有しながらも、薬物療法が主流となった近年の医療の中で、経営困難に直面していた。そして多くの人たちに惜しまれながら、診療の幕を閉じる。そのような報道的な記事です。

 10日ほど前になるでしょうか、京都新聞の記者A氏から、三聖病院の閉院のことで取材のお申込みを頂きました。三聖病院の元患者と名乗る人から、閉院の連絡が入ったので、この件を調べだしたとのことでした。

 「元患者」なる人が、閉院を新聞記事にしてもらおうと意図して通報したという問題が、まずあります。新聞社への匿名の通報はよくあることでしょうから、報道価値があるかどうかについての判断の仕方については、新聞社側はもちろん精通なさっておられるはずです。けれども通報者が、「元患者」だと名乗ったところに、この療法で見事に立ち直った者ですという凛々しさのようなものを感じとり、それによって新聞社は動き出したのではないか・・・。患者と元患者の区別が、截然とできるものではないことは、森田療法からすれば明らかです。ですから、患者と元患者の二分法に陥っている人に、つい心もとなさを感じてしまうのです。あるいはこちらがひねくれた考え方をしているのでしょうか。

 確かに三聖病院の閉院は、地元紙の記事になってもおかしくはありません。しかし、自称元患者さんの情報提供の意図とは、三聖病院は不滅ですという幻想を、現実の新聞記事にしてほしいという切ない願望だったのではないか。やはり私はそのように思ったのです。

 加えて、森田療法がどんなものであるかを言葉で伝えることは至難です。それも患者さんに対してならいざ知らず、まず新聞記者の方に森田療法を、さらには禅を伝えるのは困難なことです。そして記者は、それをペンで情報として読者にお伝えになるのです。しかし、森田療法も禅も、情報にはなりえません。

 そのようなわけで、私は記者A氏に、私自身の意見を述べず、森田療法の取材のための予備知識だけをご提供しました。閉院に関しては、当然のことながら院長に直接取材をして頂いたのでした。

 三聖病院が閉院するにあたって、その捉え方には様々な視点があるはずです。もちろん第一には、禅的な森田療法が姿を消すという事実、第二に、病院の診療に対する評価、第三に、文化財的な病院の古い木造建築物が残されずに解体されるということ、第四に、地主としてビジネスに徹しておられる東福寺の現実的姿勢。このように様々な切り口があったはずですが、結局、森田療法の病院の閉院が惜しまれるという、あたりさわりのない記事をお書きになったのでした。

 厳密に言えば、入手なさった情報の影響で、事実とは言えない箇所も含まれています。読者のほとんどは、頓着しないでしょうけれど。

 とにかく新聞報道はされました。最初に閉院の情報を京都新聞に提供なさった「元患者」様、これでご満足でしょうか。

 私自身は、報道もさることながら、森田療法史上重要な役割を担ってきた三聖病院は、これまでの苦難はあったとは言え、今閉院にあたって、病院の歴史的資料を整理し保存する社会的責任を負うと認識しているのです。