三聖病院の咲けない桜

2015/01/26

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 ひたひたと、病院の建物の解体へ向けて、崩壊の足音が近づいています。今は、春の嵐の前の静けさのようなとき。
 病院の門を入ったところに、大きなソメイヨシノの木があります。ソメイヨシノは山桜に近い種のようで、春に花を咲かせてくれなければ、ただの雑木のように見えています。建物の解体が始まれば、出入り口近くにあるこの木は、まずは工事の通路を妨げる邪魔者になります。
 春は遠くはないのに、この木は切り倒されて、花を咲かせることはないでしょう。
 

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 解体の前兆。

 

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 様々な貴重品や資料は、難を逃れるため物置に押し込められた。地蔵様たちもこの中に閉じ込められたらしい。

 

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 金魚たちはまだ生存している。別の池の鯉たちは行方不明。

 

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 まだ落花しない一輪のバラ。

 

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 1月25日(日曜)、玄関に十数人の履きものが並んでいる。

 終わったはずの院長の講話がまだおこなわれている。不思議な病院である。

 

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 朽ちた木に過去の入院者によって、「希望」などと書かれたものが残っている。

 

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 梅は寒苦に耐えて咲く。門の外の紅梅の木に蕾がふくらみつつある。

残されたものたち

2015/01/19

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 北病棟(右側)と管理棟(左側にあるが、画面には写っていない)との間に中庭がある。まず目に付くのは、焼き物の狸。「一生を化け損じたる狸かな。」そんな焼き物としての狸の「露堂々(ろどうどう)」である。

 
 

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 バラの花、最後の一輪。

 
 

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 庭の奥に南国風の木がある。よく見れば大きな花と小さな果実をつけている。常夏の国ではないので、たわわにとはいかないが、バナナである。

 
 

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 裏庭にワイルドストロベリーの最後の実がひとつ。

 
 

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 中庭の小さな池に大きな金魚たちが力なく集まって動かない。

 診療最後の日に退院した修養生(入院患者さん)が自宅へ移して飼育することを考えたようだったが、実現は叶わなかった。

 
 

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 退院できない地蔵様、ここにも三体(金魚たちの近く)。

 
 

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 裏庭に、さらに六地蔵。敷地内に、全部で10体を越える地蔵尊が残っている。

 
 

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 この異次元空間の中には、不思議な物がある。裏庭の最も目立たないところに未確認物体。

1月の三聖病院、夜の屋内

2015/01/19

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 動線が交差する場所を作業室側から見る。左は管理棟、右は女子病棟、正面は中庭への出口。もう交差する人たちはいない。
 
 

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 中は「作業室」(多目的室)。
 
 

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 作業室には長年来2人の先生の肖像画が掲げられている(昭和27,28年頃に入院した桐村義治画伯によって描かれたもの)。
 
 

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 作業室には大きな横額が架けられており、その下の小さな紙片に読み方が示されている。「言に謹み、しこうして行いに慎め。」
 前方は食堂。
 
 

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 「食堂(じきどう)」の表示。
 禅寺では、禅堂、食堂(じきどう)、浴室は三黙堂と呼ばれ、そこでは談話や談笑が禁じられている。この病院では作業室が禅堂にあたる。
 
 

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 「浴室」の入り口。
 
 

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 外来と病棟の間の場所に、待合別室がある。
 
 

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 待合別室の入り口の横には、禁煙日医宣言の貼り紙が見える。室内は暗闇。昼間でも薄暗い。
 あたかも病院の「シャドウ」のよう。

三聖病院の最後のお正月。

2015/01/13

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最後の正月の玄関。

 
 

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門の松も枯れてきた。

 
 

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玄関に閉院のお知らせが残っている。

 
 

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玄雄先生のさびしげな後ろ姿。

 
 

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玄雄先生が鎮座まします台座の石には、「昭和三十二年六月二日 建之 三省曾」と彫られている。

 
 

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まだ退院できない人たちがいる。

 
 

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幽閉されたまま。

 
 

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管理棟の一部に灯がついた。

 

京都森田療法研究所より、新年のご挨拶

2015/01/13

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 遅まきながら、新年のご挨拶を申し上げます。

 昨年は、京都でのPSYCAUSE国際学会の開催を引き受けたり、長年関わっている三聖病院の閉院に直面したりと、大きな任務や出来事を経験しました。これらの問題の総括はなお本年へと継続しますし、さらに新たな課題にも遭遇しそうです。

 

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 

主宰者 岡本重慶

研究員 一同  

協力者 一同  

 
 

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 昨秋PSYCAUSEの国際学会で京都に来たフランス人たちの中で、とりわけ日本文化に関心をもつ人物と、新たに知己になりました。ストラスブールに近いコルマールに在住する精神分析家の、Nyl ERB(ニル・エルブ)女史です。アルザス地方には、日本に親和性をもつ精神的風土が根付いているようです。20年くらい前、春にコルマールを訪れたことがありましたが、桜が満開だったのを憶えています。エルブ女史によると、コルマールには、アルザス・欧州日本学研究所があり、またストラスブール郊外には禅堂があるそうです。
 彼女とは個人的にメールで交流をしています。
 日本の元旦は雪でしたが、アルザスでは雪もなく、寒さの厳しくない年末年始だったそうです。
 冒頭に掲げた写真はエルブ女史から、新年へ向けての挨拶として送られてきた「赤いバラ」の写真です。もう一枚最後に掲げるのは、同時に送られてきた、暮れなずむアルザスの山々の写真です。

 

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三聖病院、最後の年の瀬

2015/01/13

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閉院を翌日に控えた12月26日(金曜日)夜、診療最後の講話。その始まり。

 
 

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 同、講話中。

 
 
 診療最後の講話の内容は、主に自己意識と他者意識についてでした。

 この週で診療を閉じても、診療としてでない講話を、今後もまだ無期限に続けるのだそうです。「これが自分だというものはない。そのことを保証するのが、私の役割。それも要らないのだけれど、してあげないと豪語をなさるので…」。院長は2回前の講話時にこのように言って、閉院後の診療外自主講話の無期限継続を予告しておられました。

 

 約90年に及ぶ診療は、12月27日(土)をもって幕を閉じました。

 以下の数枚の写真は、一部の職員は居残っていても、患者さんのいなくなった、年末の病院の姿です。
 
 
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診療を閉じた翌週の病院、玄関を上がったところから前庭を見る。この年もあと1日。

 
 

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病棟の方から、閉まった玄関を望む。

 
 

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病棟2階の廊下。このへんには誰もいなくなって久しい。

 
 

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病棟2階の第三十六号室は、森田正馬先生が宿泊なさる専用の部屋だった。
以後あまり使用せずに大切に残されてきた。この部屋も解体される運命にある。

 
 

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第三十六号室の窓からの眺め。屋根ばかりだけれど、正馬先生が見たのと同じ風景である。右は万寿禅寺。

 
 

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暮れゆく同じ風景。

 
 

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夕方、病院の門灯ともる。