「この人を見よ」―西村惠信先生の特別講演の紹介―
2014/10/14
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「この人を見よ」
―国際PSYCAUSE学会での、西村惠信先生の特別講演の紹介―
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禅について特別講演をしてくださる西村惠信先生の紹介をさせて頂きます。
最初に言いたいのは、“Ecce Homo(エッケ ホモ)”です。
これはニーチェの伝記のタイトルで、「この人を見よ」という意味です。
このラテン語の言葉の源は新約聖書にあり、複雑な意味があったようですが、そんな語源にとらわれず、
端的に「この人を見よ」という意味で、この言葉を引用したいのです。
どうぞ、生身の西村先生のお姿を、お顔を見て下さい。
生身の先生の声を聴いて下さい。
下手な紹介は不要かもしれませんが、簡単に先生の略歴を申し上げます。
先生は1933年にお生まれで、81歳になられます。
幼少より禅宗のあるお寺の小僧さんとして育てられ、青年時代には、京都の南禅寺で修行を積まれました。
その後、アメリカのある宗教学研究所に留学されて、キリスト教の研究もなさいました。
帰国後、京都大学での研究を経て、京都の臨済宗の禅宗の大学、花園大学の教授になられました。
同大学の学長もお務めになりました。現在は、花園大学名誉教授で、同大学付属の禅文化研究所の所長を務めておられます。
多数の著書があり、臨済宗の禅の学者として、当代随一のお方です。
しかし外国人を相手に、学問としての禅を講ずることができる禅学者なら、ごまんとおられます。
今回、私が西村先生にご講演をご依頼しましたのは、先生が日本一の禅学者であるからではありません。
この先生の生身のお姿やお人柄に、じかに接して、先生から発散されている生きた禅を、五感で感じ取って頂きたいからです。
“Qu’est le Zen? et Pourquoi le Zen?(禅とは何か、何ゆえに禅か)”
というご講演の題は、私が勝手につけたものです。先生は、禅者としての人生の総括を、英語で講演して下さいます。
先生の言葉を、そのまま受け止めて下さい。英語であれ、日本語であれ、先生の言葉を通訳してはいけないのです。
その言葉は、西村先生という人間から発せられる「西村語」であり、それを翻訳した途端に、「西村語」の本質は消滅してしまうからです。
ですから、「西村語」を、耳に見て、目で聴き、先生の存在のすべてを五感で感じ取って下さい。
ここで、私自身の西村先生との個人的な出会いを少し述べさせて頂きます。
それは約15年前のことでした。私は三聖病院の森田療法における禅的な教義の一部を、必ずしも了解できず、悩んでいたのです。
それは、とりわけ「自己意識を持つな、他者意識を持て」という教えに対する疑問でした。
自分を救うより他者を救うことを重んじる点で、これは確かに大乗仏教の教えに符合します。
しかし、それは自己と他者の二分法にほかならず、自他は分かち難いものとする禅の思想に反するのです。
悩んでいた私は、それまでご縁のなかった西村先生に、思い切ってご指導を請いました。
先生は、私の疑問に対して親切に答えて下さいました。
禅の本質的な課題は「己事究明」にあること、そしてその究明によって、自他の合一の体験が生じることを教えて下さったのです。
こうして、私は本物の禅の思想によって疑問を払拭できたのみならず、先生のお人柄に接して、生きた禅に触れる思いがしたのです。
禅とはこんなものだったのか、という新鮮な感動を体験したのです。
以来私は西村先生を尊敬しています。
先生は多くの優れた弟子を持っておられます。
私は弟子の資格もないかも知れませんが、私にとっては、先生は貴重な師であります。
その先生から、皆様が直接に禅を感じ取って頂ければと、ご講演をお願いしたような次第です。
そこでもう一度言いたいのです。
“ECCE HOMO”.