国際PSYCAUSE学会(京都)終了の報告と御礼

2014/10/27

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10月19日より数日間にわたり、京都で開催した国際PSYCAUSE学会は、お蔭様で無事に終了いたしました。

フランス人を主とするフランス語圏の外国人40人あまりに加えて、日本人のほぼ同数の方々も御参加下さり、

盛況な学会で、成功裡に終わりました。

ドキュメンタリー映画や、禅の特別講演や、三聖病院訪問など、盛りだくさんの内容の学会でした。

内容の個々については、起った問題なきにしもあらず。

それらの問題は追って報告することにして、

まずは開催にご協力くださった方々や、御参加下さった皆様に御礼申し上げます。

(岡本)


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国際PSYCAUSE学会(最終案内)―三聖病院に捧ぐ―

2014/10/14

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国際PSYCAUSE学会(最終案内)―三聖病院に捧ぐ―

 

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学会が近づいて来ました。最後のご案内です。
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大正、昭和、平成へと生き抜いて来た三聖病院の、森田療法史における寄与はいかばかりであったか、計り知れません。
禅的色彩の濃厚な病院でした。
ここではいろんなことがありました。
夜が明けて、修養生がゴミを出し、板木の合図の音が日課を告げ、日が暮れて灯がともり。
そして朝が来て。また出すゴミは生活の証し。
叩かれて、叩かれて、凹んだ板木の音が鳴り響くのは、あと何回か。
入院森田療法の原法を見たい、学びたいと外国人が京都に集う今学会は、
期せずして、森田療法のルーツに外国人が時空を越えて遭遇する最後の機会になります。
日頃チャンスを逸しておられる日本の皆様も、どうぞ。
三聖病院の合い言葉も「ようこそ ようこそ」です。その合い言葉もあと幾日か。
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学会のテーマとしては、「文化間の出会い」という、より広い設定をしていましたが、
今や「三聖病院に捧げる」思いの学会になります。
プログラムに大きな変更はありませんが、
上映する森田療法の映画は、当初に予定していた『生きる』から『ヒポクラテスと蓮の花』(三聖病院のドキュメンタリー映画)に変更し、
上映後に時間の許す限り、討論を交わしたいと思います。
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※学会が近づきましたので、本日をもって、参加予約は打ち切らせて頂きます。
※19日、20日ともに、若干の席がありますので、当日のご参加も受け付けることにいたします。どうぞお越しを。
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「この人を見よ」―西村惠信先生の特別講演の紹介―

2014/10/14

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「この人を見よ」

―国際PSYCAUSE学会での、西村惠信先生の特別講演の紹介―

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禅について特別講演をしてくださる西村惠信先生の紹介をさせて頂きます。

最初に言いたいのは、“Ecce Homo(エッケ ホモ)”です。

これはニーチェの伝記のタイトルで、「この人を見よ」という意味です。

このラテン語の言葉の源は新約聖書にあり、複雑な意味があったようですが、そんな語源にとらわれず、

端的に「この人を見よ」という意味で、この言葉を引用したいのです。

どうぞ、生身の西村先生のお姿を、お顔を見て下さい。

生身の先生の声を聴いて下さい。

 

下手な紹介は不要かもしれませんが、簡単に先生の略歴を申し上げます。

先生は1933年にお生まれで、81歳になられます。

幼少より禅宗のあるお寺の小僧さんとして育てられ、青年時代には、京都の南禅寺で修行を積まれました。

その後、アメリカのある宗教学研究所に留学されて、キリスト教の研究もなさいました。

帰国後、京都大学での研究を経て、京都の臨済宗の禅宗の大学、花園大学の教授になられました。

同大学の学長もお務めになりました。現在は、花園大学名誉教授で、同大学付属の禅文化研究所の所長を務めておられます。

多数の著書があり、臨済宗の禅の学者として、当代随一のお方です。

しかし外国人を相手に、学問としての禅を講ずることができる禅学者なら、ごまんとおられます。

今回、私が西村先生にご講演をご依頼しましたのは、先生が日本一の禅学者であるからではありません。

この先生の生身のお姿やお人柄に、じかに接して、先生から発散されている生きた禅を、五感で感じ取って頂きたいからです。

 

“Qu’est le Zen? et Pourquoi le Zen?(禅とは何か、何ゆえに禅か)”

というご講演の題は、私が勝手につけたものです。先生は、禅者としての人生の総括を、英語で講演して下さいます。

先生の言葉を、そのまま受け止めて下さい。英語であれ、日本語であれ、先生の言葉を通訳してはいけないのです。

その言葉は、西村先生という人間から発せられる「西村語」であり、それを翻訳した途端に、「西村語」の本質は消滅してしまうからです。

ですから、「西村語」を、耳に見て、目で聴き、先生の存在のすべてを五感で感じ取って下さい。

 

ここで、私自身の西村先生との個人的な出会いを少し述べさせて頂きます。

それは約15年前のことでした。私は三聖病院の森田療法における禅的な教義の一部を、必ずしも了解できず、悩んでいたのです。

それは、とりわけ「自己意識を持つな、他者意識を持て」という教えに対する疑問でした。

自分を救うより他者を救うことを重んじる点で、これは確かに大乗仏教の教えに符合します。

しかし、それは自己と他者の二分法にほかならず、自他は分かち難いものとする禅の思想に反するのです。

悩んでいた私は、それまでご縁のなかった西村先生に、思い切ってご指導を請いました。

先生は、私の疑問に対して親切に答えて下さいました。

禅の本質的な課題は「己事究明」にあること、そしてその究明によって、自他の合一の体験が生じることを教えて下さったのです。

こうして、私は本物の禅の思想によって疑問を払拭できたのみならず、先生のお人柄に接して、生きた禅に触れる思いがしたのです。

禅とはこんなものだったのか、という新鮮な感動を体験したのです。

 

以来私は西村先生を尊敬しています。

先生は多くの優れた弟子を持っておられます。

私は弟子の資格もないかも知れませんが、私にとっては、先生は貴重な師であります。

その先生から、皆様が直接に禅を感じ取って頂ければと、ご講演をお願いしたような次第です。

 

そこでもう一度言いたいのです。

 

“ECCE HOMO”.

 

生死事大・無常迅速・光陰可惜・時不待人

2014/10/03

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国際PSYCAUSE学会の開催趣旨について

 

 

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生死事大・無常迅速・光陰可惜・時不待人。

秋の風が吹き、海の向こうから京都に来るPSYCAUSEの人たちを迎える日が近づいてきました。

彼らの来訪の主要目的は、本来、伝統ある禅的森田療法を今なお続けている三聖病院の活動機能を目の当たりにしたいということでした。

 

九十有余年の歴史を生き続けてきた三聖病院では、去来今にあらずと吹く最後の秋風が一入身に沁みます。

Au revoir, l’Hôpital SANSEI.

奇しき因縁により、PSYCAUSE学会は、そんな記念すべき会になります。

日本の方々におかれましても、予期せざるこの新たな趣旨に、思いを至して下されば、この会にご参集ください。