『忘れられた森田療法』への「書評」と「書評への応答」

2016/03/14

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 2月8日付で、“Physician, heal thyself”と題して、ブログ欄に出した記事の主要部分(PDF)を、ここに再掲しておきます。
 それは、「書評」と「書評への応答」で、それらを対比してお読み頂き、より高次の観点から、更なる御意見、御高評を下さることを願っています。

 
   書評                                  応答  応答(続)
    
 

日本精神障害者リハビリテーション学会(高知大会)で講演しました。

2015/12/14

 この学会での講演を終えました。
 スライドをスクリーンに映写した発表時のコマ写真の一部を、学会のFACEBOOKに掲載して頂いています(感謝)。使用したスライドのシリーズは「研究ノート」欄に追って掲載します。
 またこの学会FACEBOOKには、懇親会での「よさこい」の踊りの動画も出ています。短いですがご覧ください。踊りはやはり動画で見る方がよいです。「酒と肴と踊りがあれば、人類皆、兄弟になれると本気で土佐人は信じている」のだそうです(いいね!)。
 FACEBOOKにはかなり前から、学会の準備のご苦労の模様が出ていましたし、学会時の写真もいくつか掲載されています。
 
 以下に、FACEBOOKのアドレスを提示しておきます。
 
https://www.facebook.com/日本精神障がい者リハビリテーション学会-第23回-高知大会-1567552323488744/

日本精神障害者リハビリテーション学会(高知)で講演(予告)

2015/11/23

 来たる12月5日、森田正馬の出身地、高知で開催される第32回日本精神障害者リハビリテーション学会で、森田正馬の人生と森田療法について、講演をさせて頂きます。禅の「十牛図」に照らしながら、それを述べることにしました。
 精神障がい者のリハビリテーションと森田療法の関係をどのように捉えて説明すべきか、考え込みました。しかし、森田療法は神経症の治療に限定されるものではなく、むしろ健常者、精神障がい者を含めて、万人が生きるためのものです。そこにこそ森田療法の本質があると思うのです。人間みんなが人生の当事者です。禅の「十牛図」に照らして、そんな話をさせていただくつもりです。下手な話になるでしょうけれど。

 以下に抄録を掲げておきます。

 
 

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禅の「十牛図」と森田療法
─正馬先生の「心牛」探しの旅─

京都森田療法研究所  
岡本 重慶  

 南国土佐から偉大な人物が多く輩出した。森田療法を創始した森田正馬も、そのひとりである。坂本龍馬と同じく、名前に馬の字があり、体は弱いが奔馬のようにスケールの大きな人だった。本学会が高知で開催されるにあたり、当地ゆかりの正馬先生の生涯や森田療法について述べる機会を頂いた。感謝してお受けしたものの自分は非力であり、加えて森田療法の話題は本学会の趣旨にそぐわないのではないかと、困惑することになった。
 しかしながら、森田療法の本質に立ち戻れば、それは単に神経症の療法なのではなく、「生老病死」の苦を「あるがまま」に生きる智恵であり、万人にとって必要なものである。人間は森田療法的にしか生きられない。森田正馬は、若い頃から培っていた禅的素養と自らの人生経験を生かしてそんな深い療法を打ち立てたのだった。当時の医学から異端視されないようにと、森田は禅との一致は偶然だと説明したが、彼の療法が禅に通じることは明白であった。そこで、療法の根幹をなす禅との関係について、簡潔に触れることにする。禅については、わかりやすい教本として「十牛図」を取り上げ、森田療法的生き方と重なることを示す。さらにその過程に対応する森田正馬の生涯を、挿話的に紹介する。森田療法を生きた第1号の事例は彼自身だからである。
 さて「十牛図」は、牛を探す牧童の姿に託して、迷える人が牛に見立てられた自己(「心の牛」)を尋ねる自分探しの図で、その心の旅が十の階梯に表されている。牛はやがて捕獲される。そして心牛は、悟ったような人と一体化して姿を消す。だが悟ったかの如き人も消えて、最後には市井にただの人が現れる。悟りも精神的健康も、日常生活の中にしかないことが象徴的に示されている。
 森田正馬は幼児期には、夜尿があり、お寺の地獄絵を恐怖し、成績は不良であった。遅れて入った中学校を8年かかって卒業した。父に反抗して奇矯な行動をすることがあった。病弱で神経衰弱に悩みがちだったが、一方旺盛な好奇心から、旧制高校時代以後、幅広い学力を身につけていった。東大に進学後、神経衰弱で勉強できず、父への面当てに死ぬ気で必死に勉強をしたら、成績は上がり神経衰弱も治ってしまった。荒れていた森田の「心牛」はさらに陶冶され、やがて彼自身が悩める者の父となったのだった。
 森田療法は心を固定的に捉えない。精神障害や悩みの有無を問わず、状況に相応しい行動をとることが健康なのである。

第33回日本森田療法学会で発表しました

2015/10/19

 先に、事前抄録を出して予告した通りの発表を、去る10月16日に済ませました。一般演題のため、短く限られた時間内でしたが、閉院になった三聖病院の歴史的意義を述べる責任ある発表だったと自覚しています。発表のすべてを、研究ノート欄に掲載しておきます。

第33回日本森田療法学会で発表します

2015/09/28

 来たる10月14日から16日に、倉敷で第33回日本森田療法学会が開催されますが、16日に下記の発表をおこないます。
 事前抄録は抄録集に掲載されています。その版権は学会にあるのでしょうが、自分で書いたものにて、差し支えなかろうと考え、発表のタイトルとともにここにその事前抄録も出しておきます。
 詳細については、すでに北海道森田療法研究会で発表したものです。その際は、小規模なアット・ホーム的な場で、3時間にわたり、自由な語り方をさせて頂きました。
 今回は、短時間の枠内で要約的にまとめた発表をすることになります。
 
 

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三聖病院が存在したことの歴史的意義について
─平成26年末の閉院を受けて─

 
 
 森田正馬の直弟子、禅僧で精神科医の宇佐玄雄によって、禅的色彩の濃い入院森田療法施設(三聖医院)が大正11年(1922年)に東福寺内に創設された。その後三聖病院となり、父子二代の院長により、通算約90年の長きにわたり、禅的な森田療法の診療が継続されたが、昨年(平成26年)末、遂にその歴史の幕を閉じた。この機に本院が森田療法史上に存在した意義を考えてみたい。
 父子お二人は共に森田正馬の療法に忠実な診療を追求された。しかし父子各々の特色がみられたのも事実なので、お二人における、治療者像、思想や診療、治療構造、実績などを対比してみる。さらに両者を総合して、本院の歴史的意義を顧みることにする。
 
 

1. 初代院長の時期
 宇佐玄雄先生は自身が神経衰弱に罹患したことを原体験とし、悩める人に一律に禅を説くだけでは不十分で、禅に精神医学を取り入れる必要性があると痛感して、慈恵医専に学んだ。大正8年に卒業し、折しも療法を確立した森田との数奇な出会いに恵まれた。森田は開業した玄雄を応援し、また玄雄から禅を学んだ。治療者玄雄は厳格で、かつ庶民的な面を兼ね備えていた。規律や作業の重要性を厳しく説く一方、患者と共に入浴したり、厨房で田楽の作り方を教えたりする人だった。治癒への「こつ」は善光寺床下のお戒壇巡りのように、ただ暗闇を進むのみだと教えたところにその真骨頂を見る。晩年には真宗に傾倒し、『正信偈』の「不断煩悩得涅槃」、「自然即時入必定」を引用した。
 
2. 二代目院長の時期
 晋一先生は、受け継いだ禅寺風の病院を場に、粛々と規則を守る修養的な入院体験をすることを重んじた。しかし天龍寺の平田精耕老師から、「禅を花とするなら森田療法は造花だ」 と評されて、療法を花に近づけようと一層精進なさったという挿話がある。指導の特徴は徹底した不問にあり、自己の内界を論理的に言語化することは禁じられる。継続された講話の趣旨も「わからずにいる」ことであった。こうしてコミュニケーションが断たれた状態で、知性を外に向けて必要な行動をせよと勧奨される。殆ど言葉のない世界で、優しく君臨しておられる院長は、カリスマ性を帯び、しばしば敬慕や崇拝の対象になった。
 
3.三聖病院が存在した意義
 父子を対比すると、二代目において、禅をより原理的に追求なさったように見受けられる。ともあれ入院原法を長年維持して世に伝えた三聖病院の功績は大きい。

北海道森田療法研究会で発表しました

2015/06/29

 6月20日に札幌(会場:北翔大学)で開催された、北海道森田療法研究会で発表させて頂きました。この会は、日本森田療法学会の組織内の研修セミナーを兼ねていました。研究会で研究報告をするより、研修セミナーの講師をつとめる方が責任を感じます。しかし、市民講座ではなくて、森田療法の臨床に関わっておられる複数の専門職の先生方がご来聴下さって、準備不足のまとまらない話の意を汲んで、お付き合い下さいました。
 予告した通り、「私が三聖病院で学んだこと、学べなかったこと」について述べました。語りたい内容が多すぎて、話を収めきれませんでした。内容はさらに推敲し、まとめて秋の学会で報告の予定です。また今回の発表内容は、そのすべてをホームページ上に公表すべきものではありません。発表に用いたパワーポイント・スライドの一部のみを、「研究ノート」の欄に出しておきます。
 

北海道森田療法研究会で発表します(予告)

2015/06/15

 来たる6月20日、札幌において開催される北海道森田療法研究会で、下記のような発表をさせて頂きます。

 

 題 : 「 私が三聖病院で学んだこと、学べなかったこと 」

 

 わかって頂きやすいようにと、やや直截に過ぎるような題目にしてしまいました。誤解を避けるため、発表の意図するところを記した前置きを、以下に出しておきます(発表の冒頭部分に出すスライドの1枚です)。

 


入稿③

 
 発表内容の事前の抄録的なことを、ごく簡単に述べると、次のようになります。

 

 私が三聖病院とのご縁を得て、学んだことは、まず「事実唯真」という言葉に凝縮された森田療法の教えでした。

 さらに三聖病院ならではの、禅的療法を学びました。“ Client-centered therapy ” ならぬ “ Dharma-centered therapy ” だと院長がおっしゃったことが印象に残っています。

 一方、学べなかったこと(摂取できなかったこと、悩まざるを得なかったこと)もありました。

 禅は人それぞれのもので、人の数だけ禅があります。教えを鵜呑みにするのが禅ではありません。

 また、病院である以上、そこで行われていたことは、医療であり、また患者さんに対する精神療法であり、さらに禅そのものでもありました。

 医療行為と精神療法と禅を調和させることは、極めて困難な課題であり、学びきれないことが残ってしまったというのが、偽らざるところなのです。

 

『忘れられた森田療法』(創元社の出版案内)

2015/02/23

 以下、ブログと同記事です。


入稿②

 

 版元の創元社が、この本の出版案内のページを設けて下さっています(下記アドレス)。

 

 http://www.sogensha.co.jp/booklist.php?act=details&ISBN_5=11586

 

 刊行の月日は2月27日です(私はすでに2月20日付の刊行分を手もとに受け取っていますが、これは先行印刷分だったようで、創元社の出版案内では2月27日刊行となっています)。書店の店頭には、2,3日中に出るだろうと思います。

 本書の刊行は、偶然にも三聖病院の閉院と時を同じくしました。創元社はそれを考慮して、当初は3月3日刊行予定だったものを繰り上げて下さったようです。

 

 本書の「あとがき」から、そのような時間の流れを読み取っていただくことができますので、以下に「あとがき」の一部を抜粋しておきます。

 
 

 平成二六年の晩夏、秋の気配を感じながら、本書の「結び」の文章を綴りました。その中に私は書いています。「原法のシンボルのような古色蒼然としたたずまいの病院が終焉を迎える時、森田療法の世界には、ある種の喪失感が漂うかもしれません」と。

 「終焉」は、現実のドラマとして、既にその夏から静かに私の足下で始まっていたのです。三聖病院は、年末をもって正規の診療を閉じることになりました。それを知ったのは、一〇月の声を聞いてからのことでした。

(中略)

 本書が日の目を見る頃、長いお勤めを終えた三聖病院は、おそらくまだその外観をとどめています。しかし、予想外のことが起こらなければ、春の訪れを待たずして、病院は地上から姿を消す運命にあります。

 本書の表紙には、この病院内に長年の間掲げられていた森田正馬の肖像画を使わせていただきました。正確には森田正馬の写真の模写で、絵の裏面には、「森田正馬先生之像 昭和二十八年七月吉日 桐村義治 寫」とあります。先代の宇佐玄雄院長の時代に入院した、当時既に高齢だった桐村という画伯の作品です。六〇年余り前に寄贈されたもので、ご遺族の所在も不明にて、このまま使用して差し支えないと院長も判断してくれました。この絵が、京都における森田療法の歴史を思い出させる、ひとつのよすがになればと思います。

 また、関西の創元社が本書に理解を示して、出版を手がけて下さったことを望外の喜びとしています。かつて「生活の発見会」の命名にゆかりある林語堂の『生活の発見』が刊行されたのも、創元社からでした。このたび、本書が世に出るのは、とりわけ編集部の柏原隆宏氏から随時的確なご助言をいただいたお蔭であることを最後に記して、謝意を表します。

 

 平成二六年 師走に記す

 岡本重慶

『忘れられた森田療法』(創元社よりの新刊のご案内)

2015/02/16

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 皆様、こんにちは。(本日ブログに掲載した記事と同じものを出します)。
 このたび、創元社より拙著『忘れられた森田療法 歴史と本質を思い出す』を、2月27日付けで刊行して頂きます。
 私(岡本)は、京都の三聖病院で、非常勤ながら40年近く森田療法に関わりました。その中で禅的色彩の濃い森田療法を体験的に学び、かつ思索しました。そしてそれを原体験としつつも、自分なりに、自由に森田療法を追求したく、3年前にささやかに「京都森田療法研究所」を設けたのです。そこでの活動のひとつとして、森田療法についての自分の想いや、研究的な文章を研究所のWeb ページに書き綴ってきました。拙いながら、それらは身辺雑記ではなく、森田療法についての本当の自分の想いを、いずれ本として上梓することを期して書いたものです。あらかじめWeb上に出してみたことで、貴重なご意見を頂くこともできました。
 そして一定の期間を経て、拙文をWeb から下げて、出版に適する文章を厳選し、かつ出版へ向けて大小の修正を加えました。仏教の視点から書いた文章も少なからずあるのですが、今回は仏教色の濃いものは留保しました。一方、「森田療法に対するフランス人の視線」というような書き下ろしの章も加えました。こうして出来上がったものが本書『忘れられた森田療法 歴史と本質を思い出す』です。中身には辛口の文章を収めています。でもそれらは(引用部分を除いて)独自の思い、あるいは想いです。ご叱正はあえてお受けして、それが意見交流につながれば、有り難いと思います。
 できるだけお求め頂き易い価格になるように、ソフトカバーの本にしてもらいました。
 何卒、ご一読頂けましたら幸いです。

 

 

  ●  ○  ●  ○  ●  ○  ●  ○  

 

 さらに書き添えねばならないことがあります。
 奇しくもこの本の刊行は、三聖病院の閉院の時と重なりました。感慨しきりです。
 三聖病院の作業室には、数十年前から、森田正馬の肖像画が掲げられていました。宇佐玄雄院長の頃に入院したある画伯(桐村義治氏)が、昭和28年に描かれたものです。これを本の表紙に使用させて頂きました。デザインの視点から、色調は加工されました。しかし原画はそのまま口絵に出しています。
 三聖病院はなくなりますが、この絵が、森田療法の歴史を思い出すひとつのよすがになればと思っています。

 

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国際PSYCAUSE学会(京都)終了の報告と御礼

2014/10/27

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10月19日より数日間にわたり、京都で開催した国際PSYCAUSE学会は、お蔭様で無事に終了いたしました。

フランス人を主とするフランス語圏の外国人40人あまりに加えて、日本人のほぼ同数の方々も御参加下さり、

盛況な学会で、成功裡に終わりました。

ドキュメンタリー映画や、禅の特別講演や、三聖病院訪問など、盛りだくさんの内容の学会でした。

内容の個々については、起った問題なきにしもあらず。

それらの問題は追って報告することにして、

まずは開催にご協力くださった方々や、御参加下さった皆様に御礼申し上げます。

(岡本)

 


 

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