第34回日本森田療法学会で発表します

2016/10/29

 きたる11月26日に、第34回日本森田療法学会(東京)で、次のような発表をします。
 歴史のセッションで、一般演題(兼座長)。
 
          「江渕弘明(こうめい)医師、禅に生きた森田療法家
              -その知られざる生涯と活動の軌跡- 」
 
 以下に、発表の抄録を掲げておきます。
 なお、この報告の内容は短時間で発表しきれるようなものではありませんので、別途にブログその他で報告を補っていく予定です。
 

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                 江渕弘明(こうめい)医師、禅に生きた森田療法家
                    ―その知られざる生涯と活動の軌跡―
 
 

                                          京都森田療法研究所
                                               岡本 重慶
 

 森田療法と禅の関係を言うとき、そこには常にもどかしさがつきまとう。端的に言えば、森田療法家は概して禅に通じていず、禅家は森田療法を知らないのである。問題はふたつの体験がどう融合するかにある。
 ここに、森田療法に発しながら、森田療法のためにせず、生涯を禅に打ち込み、その中で折りにふれて後進に森田療法の指導をした医師がいた。
 江渕弘明医師(1916-1998)。高知県出身で、小児期、さらに旧制の中学、高校生の頃より神経症に悩み、森田療法に出会う。京都大学医学部学生時代より、相国寺の智勝会(座禅会)に入る。内科医となり、郷里の土佐市での勤務医を経て、昭和43年より2年間、宇和島の大隆寺で禅修行、さらに昭和45年より京都の相国寺の僧堂にて、修行生活に入られた。ここでの僧堂生活は約20年に及ぶ。その間、理解ある梶谷宗忍老師の下、智勝会の後輩の指導をしつつ、相国寺を拠点に各地に出向き、森田療法関係の組織や人と交流された。
 まず同じ禅修行の経験者、鈴木知準医師との交流があった。鈴木診療所の機関誌「今に生きる」には、度重ねて寄稿され、そこには禅修行に基づく深い森田療法観が読み取れる。
 「生活の発見会」への協力もあった。その範囲は不明ながら、名古屋の方々との交流の跡は判明している。
 教育の領域で森田正馬の指導を継承した方として、小田原に和田重正氏がおられた。和田氏は、「はじめ塾」と寄宿生活塾「一心寮」を開き、子どもたちと同行し、生活や人生を重んじる教育を実践した人として知られる。氏は禅にも通じ、江渕医師との間に親交があった。
 さて、若き日に智勝会で江渕医師から森田療法の指導を受けた重要な人物として、神戸女学院大学の松田高志教授(現 名誉教授)がおられる。松田教授は、当時江渕医師から和田重正氏を紹介され、その後和田氏の教育の水脈を関西で受け継がれたのである。和田、江渕、松田の三人が共有されたのは、禅と森田療法と教育が渾然一体となったものだった。
 江渕医師(昭和58年に、老師)は、人を生かす療法である森田療法の、原点としての己事究明(自己教育)を生涯をかけて追求なさった希有な人物であった。森田療法を支えていたこんな人の存在が、療法の歴史の中に残ることを願うものである。