日本精神障害者リハビリテーション学会(高知)で講演(予告)

2015/11/23

 来たる12月5日、森田正馬の出身地、高知で開催される第32回日本精神障害者リハビリテーション学会で、森田正馬の人生と森田療法について、講演をさせて頂きます。禅の「十牛図」に照らしながら、それを述べることにしました。
 精神障がい者のリハビリテーションと森田療法の関係をどのように捉えて説明すべきか、考え込みました。しかし、森田療法は神経症の治療に限定されるものではなく、むしろ健常者、精神障がい者を含めて、万人が生きるためのものです。そこにこそ森田療法の本質があると思うのです。人間みんなが人生の当事者です。禅の「十牛図」に照らして、そんな話をさせていただくつもりです。下手な話になるでしょうけれど。

 以下に抄録を掲げておきます。

 
 

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禅の「十牛図」と森田療法
─正馬先生の「心牛」探しの旅─

京都森田療法研究所  
岡本 重慶  

 南国土佐から偉大な人物が多く輩出した。森田療法を創始した森田正馬も、そのひとりである。坂本龍馬と同じく、名前に馬の字があり、体は弱いが奔馬のようにスケールの大きな人だった。本学会が高知で開催されるにあたり、当地ゆかりの正馬先生の生涯や森田療法について述べる機会を頂いた。感謝してお受けしたものの自分は非力であり、加えて森田療法の話題は本学会の趣旨にそぐわないのではないかと、困惑することになった。
 しかしながら、森田療法の本質に立ち戻れば、それは単に神経症の療法なのではなく、「生老病死」の苦を「あるがまま」に生きる智恵であり、万人にとって必要なものである。人間は森田療法的にしか生きられない。森田正馬は、若い頃から培っていた禅的素養と自らの人生経験を生かしてそんな深い療法を打ち立てたのだった。当時の医学から異端視されないようにと、森田は禅との一致は偶然だと説明したが、彼の療法が禅に通じることは明白であった。そこで、療法の根幹をなす禅との関係について、簡潔に触れることにする。禅については、わかりやすい教本として「十牛図」を取り上げ、森田療法的生き方と重なることを示す。さらにその過程に対応する森田正馬の生涯を、挿話的に紹介する。森田療法を生きた第1号の事例は彼自身だからである。
 さて「十牛図」は、牛を探す牧童の姿に託して、迷える人が牛に見立てられた自己(「心の牛」)を尋ねる自分探しの図で、その心の旅が十の階梯に表されている。牛はやがて捕獲される。そして心牛は、悟ったような人と一体化して姿を消す。だが悟ったかの如き人も消えて、最後には市井にただの人が現れる。悟りも精神的健康も、日常生活の中にしかないことが象徴的に示されている。
 森田正馬は幼児期には、夜尿があり、お寺の地獄絵を恐怖し、成績は不良であった。遅れて入った中学校を8年かかって卒業した。父に反抗して奇矯な行動をすることがあった。病弱で神経衰弱に悩みがちだったが、一方旺盛な好奇心から、旧制高校時代以後、幅広い学力を身につけていった。東大に進学後、神経衰弱で勉強できず、父への面当てに死ぬ気で必死に勉強をしたら、成績は上がり神経衰弱も治ってしまった。荒れていた森田の「心牛」はさらに陶冶され、やがて彼自身が悩める者の父となったのだった。
 森田療法は心を固定的に捉えない。精神障害や悩みの有無を問わず、状況に相応しい行動をとることが健康なのである。